玄奘記念堂の玄奘法師像
インド仏跡巡礼第3日目(2) ナーランダにて(続)
第3日目、2017年11月4日、ナーランダ寺の遺跡を見学後、玄奘記念堂 Xuanzang Memorial Hall に向かいました。ナーランダ寺から1kmしかは離れていないのですが、雇った車の運転手はそこに行った経験がなかったので、30分もかかってしましました。
入場券売り場
入口の門
入口の門を潜ると、正面にお寺の様な建物が建っていました。それが、玄奘記念堂でした。
正面から見た記念堂
記念堂に向かって進むと、旅姿の玄奘法師の像が立っていました。台座のプレートには、“玄奘は、人類文明の崇高な価値を解き明かす偉大な使命を背負った世界市民でした。”(原文は英語)と書かれていました。
玄奘法師の像
玄奘は唐から遥か彼方のインドに渡り帰国するまでの17年間の大半を苦難の旅に費やしていたので、玄奘の人生を象徴する姿と感じました。
尚、前庭の隅から記念堂の建物を斜め方向に移動すると、立体感が感じられる全体像を見ることができました。
記念堂の全体像
記念堂の内部に入ると、正面に法師の像を祀る祭壇がありました。
法師の像を祀っている祭壇
祭壇の右側には、横長の大きな壁画がありました。その上には、ナーランダ寺で戒賢法師が玄奘らのお坊さん達に瑜伽師地論(大乗仏教唯識派の重要な文献)を講義している風景を描いた額などが掲げられていました。
祭壇の右側に飾られていた大きな壁画
又、左側の壁面には、玄奘法師や戒賢法師の肖像も飾られていました。
旅姿の玄奘法師 王舎城(ラジギール)竹林精舎の玄奘法師
戒賢法師の肖像
ここで、玄奘法師がナーランダに滞在していたときに師事していた戒賢法師に纏わるエピソードをご紹介します。
“こうして満3年の旅路を経て、マガダ国に到着した玄奘は、まもなくナーランダ寺の四人の大徳が迎えにきたので、一緒に同道しました。こうして法師はインド第一の大乗経学の中心ナーランダ寺において、「正法蔵」と尊称されている大徳戒賢老師につき、5年にわたる研究生活に没頭することになりました。 (中略) そこで、玄奘は奇しき暗号に感激して、熱心に正法蔵の講義を聞きました。『瑜伽論』を3篇、『順正理論』、『顕揚論』・・・・を聴講したのです。”(“三蔵法師の歩いた道”長澤和俊著、青春出版社刊)
この堂内には、玄奘が17年をかけて50,000里の距離を歩いた旅の記録を示す案合板も置かれていました。
旅の記録を図示した案内板
記念堂を出て、辺りの庭園を見回すと、白亜の東屋とか大きな竹林などを見かけました。
白亜の東屋
竹林
玄奘法師が7世紀の昔に求法の旅で歩んだ足跡を偲びながら、記念堂を後にしました。
蛇足ですが、玄奘法師は奈良薬師寺の開祖的存在だそうです。慈恩大師が開祖となっている法相宗の教義は「唯識」は玄奘法師がインドから中国にもたらしたもので、薬師寺が法相宗の本山となっている事情があるとのことです。このように薬師寺は玄奘三蔵と深い縁のある事から、全日本仏教会より分骨を拝受し、平成3年(1991)に玄奘三蔵院伽藍が建立された様です。(写真も含めて薬師寺のHPを引用)
薬師寺の玄奘三蔵院伽藍
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