ナーランダの遺跡(Temple No.3)
インド仏跡巡礼第3日目(1) ナーランダにて
第3日目、2017年11月4日、ラジギールで朝食を済ませた後、この街の北方11kmの位置にあるナーランダ Nalandaに出かけました。この地を訪れようと思った動機は、唐代初期に玄奘法師 Xuanzang-Fashiが仏教の真理を極めるべく、苦難の満ちたシルクロードを旅して仏教生誕の地インドに辿りつき、ナーランダに5年間も滞在したと言う史実があるからです。
そもそもナーランダが有名なのは、5-12世紀の間、多数の寺院や僧院から構成されたナーランダ寺Nalanda Mahavira があり、世界的に最大の仏教大学として隆盛を極めたと言われているからです。その後、イスラム勢力の攻撃で灰燼に帰してしまいましたが、20世紀になってから、考古学的調査のために発掘作業が行われ、6か所の寺院と11か所の僧院がこの地に集中していることが明らかにされ、現在はユネスコの文化遺産に登録されています。
ラジギールを出発してから30分ほどで、ナーランダ遺跡の駐車場に到着しました。駐車場付近には、お土産品などを売る多数の屋台が並んでいました。
駐車場付近のお土産店
1) ナーランダ寺遺跡
チケット売り場に行くと入場料が記されていましたが、インド人は15ルピー、外国人は200ルピーでした。
チケット売り場
遺跡の入口は、チケット売り場から見て道路の反対側にありました。
遺跡への入口
入場すると、ARCHEOLOGICAL SURVEY OF INDIA(インド考古調査局)の標識があり、すぐ傍らでは発掘作業が行われていました。
インド考古調査局の標識 発掘作業中の現場
正面に延びる直線道路を進むと、ナーランダ遺跡に関する案合板がありました。“歴史を振り返ると、紀元前6世紀の釈尊の時代に遡ること、釈尊の最大の弟子であるサリプッタ Sariputtaはここで生まれ涅槃に入ったこと、クマールグプタ1世の治世(西暦413-455年)に寺院が創設されたこと、1200年頃に回教徒の軍隊によって徹底的に破壊され、ナーランダの栄光は地中に埋もれてしまったこと”などが説明されていました。
ナーランダ遺跡の案合板
この案内板のすぐ向こうには、堅固な赤レンガで築かれた要塞の様な遺跡の姿が見えてきました。それは、巨大な僧院Monastery No. 1とNo.4の外壁でした。
Monastery No. 1とNo.4の外壁
Monastery No. 5の近くに、発掘された遺跡のマップがありましたので、実際に私が巡った遺跡群のルート(オレンジ色の線)と写真を撮影した僧院と寺院(赤色の枠で囲んだ箇所。尚、Mは僧院、Tは寺院を示す)。
遺跡現場にはあちこちに案合板がありますので、その説明のキーポイントを取り出して記述します。また、チケット売り場で購入したガイドブック*も参考にして、記述を進めます。 *“NALANDA (STUDY OF HISTORICAL PLACE)” Dr. Ranjan Kumar著、NMP PUBLICATIONS刊
最初に見学した遺跡は、Monastery No.5でした。この施設は、Monastery No.4の付属施設として、建造されたそうです。
Monastery No.5
次に見学したのは、Monastery No.1ですが、それはナーランダのインド考古調査隊が最初に発掘した遺跡でした。敷地面積は、長さが205ft(約63m)、幅が168ft(約51m)に及んでいます。この僧院群の中で最も重要な遺跡とされており、6-7世紀に建造された様です。多くの僧院の中で、このMonastery No.1は最もよい状態で保存されていると思いました。
Monastery No.1の外観
このMonastery No.1の奥側にも、スケールの大きな遺跡がありました。それは、Temple No.3でした。
Temple No.3の外観
そもそもは、紀元前3世紀、マウリア王朝時代にアショーカ王が釈尊の最大の弟子、サリプッタを祀るために造ったとのことです。現在、この寺院は中央部の堅固な建築物が多数の小さなストゥーパで囲まれた構成となっており、周囲を歩き回ることができる様になっていました。
ガイドブックによると、発掘されたのは1925年頃で、多数のストゥーパはそれぞれ違う時代に建造されたそうです。最大のストゥーパは、周囲は120フィート(約37m)四方、高さは80ft(約24m)であり、3km先まで見渡すことができる様です。
ところで、創建当時は、主要ストゥーパの四隅に4つのタワーが立っていたと言われていますが、現存するのは2つのみです。そのタワーの壁面には釈尊の像など、グプタ朝時代の様式を誇る塑像の作品が飾られています。
Temple No.3横のタワー上部の仏像
Temple No.3の敷地の隣には、僧坊の遺構もありました。
僧坊の遺構
この後、八つほどの似た様な構造の僧院が並ぶ道路に沿って歩きました。その中央部付近にMonastery No.8がありました。
Monastery No.8の外観
この遺跡には、内部に入ってつぶさに見学しました。敷地の外壁に沿って僧坊が並び、広い中庭の中央部にはshrine(聖堂あるいは仏殿)の遺構がありました。実際に仏教大学として使われた頃は、この中庭には色々な仏教施設が建っていただろうと思われます。
Monastery No.8の中庭
中央部にある仏殿
次いで、寺院の遺跡を巡りました。Temple No. 13は、Monastery No.8の斜め向かいにあり、高台の基礎の上に築かれています。
Temple No. 13の外観
敷地の北端にTemple No. 14がありました。
Temple No. 14の外観
階段を登って入口の内部も覗きましたが、祭壇と思われる構造の痕跡があるだけでした。
Temple No. 14の内部
最後に立ち寄ったのが、Monastery No.8の裏側にあるTemple No. 2でした。これは、1916年に発掘されていますが、その特徴を調べた結果に基づき、6-7世紀頃に造られたフンドゥー寺院と推測されています。
Temple No. 2
この遺跡群は広大な敷地に広がっているので、暑い中で歩くと脱水症が心配されます。私は、ミネラルウォーターを飲みながら1時間半ほどかけてゆっくりと見学しました。
ナーランダ遺跡を見学し、この様に巨大な仏教大学が5世紀より数百年に渡ってこの地に存在していた時代にが思い馳せ、深い感慨を覚えました。
2) ナーランダ考古学博物館
ナーランド寺の遺跡で発掘された石像、ブロンズ像や、漆喰の作品などが展示されています。しかし、サイズの大きな発掘品は少なく、小型の仏像などがほとんどでした。また、ヴィシュヌ神とかガネイシャなどもありました。展示品を見学するのに、30分もかからないくらいでした。尚、ここでは写真撮影はOKでした。
博物館の外観
仏像の展示品
ここを見学後、玄奘記念堂 Xuanzang Memorial Hall に向かいましたが、その記事は次回に投稿します。
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