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インド仏跡巡礼第6日目 サルナートにて(2) Buddhist Pilgrimage Tour in India: 6th Day, At Sarnath (2)

2018-09-16 | インド旅行

最初の説法「初転法輪」が行われた場所、ダメーク ストゥーパ

インド仏跡巡礼第6日目 サルナートにて(2)

第6日目、2017年11月7日 

この日は、釈尊がブッダガヤで悟りを開いて以来初めて仏教の教義(法輪)を説いた“初転法輪の地”、サルナート遺跡公園(Excavation sites)に入園しました。

この遺跡公園は、大きく分けて3つのエリアから構成されていました。

(1)  大仏エリア (Area of huge standing Buddha statue )

(2)  遺跡のエリア (Excavation area)

(3)  ダメーク ストゥーパのエリア (Area of Dhamekh Stupa)

前回は、(1) 大仏エリアの訪問記を綴りましたので、今回は (2) 遺跡のエリア 及び (3) ダメーク ストゥーパのエリアについて体験談を語ります。

 

(2) 遺跡のエリア

発掘された遺跡は数多くありますが、私が見学したので、僧院No. 5、僧院No. 7、ダルマラージカ ストゥーパ(Dharmarajika Stupa)、アショーカ王の石柱(Ashoka Pillar)、Main Templeに通じる道路(Causeway)などでした。

 サルナート発掘遺跡のマップ

最初に訪れたのは、僧院No. 5の遺跡でした。残っていたのは、四角形の外側の土台だけでした。この僧院の建築様式は、グプタ朝(4-6世紀)以降の典型的な様式だそうです。僧坊や寺院などの遺跡はないので、想像するのみです。

 

  僧院No. 5の遺跡

 

僧院No. 5のすぐ隣には、僧院No. 7の遺跡がありました。こちらの僧院は、敷地の規模がNo.5の数分の一くらいでした。これは中世初期に、古い遺跡の上に造られたそうです。

   

 僧院No. 7の遺跡

 次に訪れたのは、仏陀の遺骨をまつるために建てられたダルマラージカ ストゥーパです。

 

これは、紀元前 3 世紀にマウリヤ朝のアショーカ王によって建てられたものです。現在残っているのは土台だけですが、この僧院は円筒形の形状だったことが推定されます。

私が現地で購入した資料(タイトル:SARNATH Archaeology, Art & Architecture)によれば、この ストゥーパの高さは30.4mでしたが、1794年にJagat Singhと言う人物によって解体され、ヴァラナシで建設する建物の材料に使われたと記されていました。仏教史跡としての貴重な価値が無視されたことは誠に残念です。

 

 ダルマラージカ ストゥーパ の遺跡

 このすぐ近くには、今でも残っているアショーカ王の石柱が3本立っていました。

 

 アショーカ王の石柱

残っているのは石柱の下部のみで、先端に載っていた4頭獅子柱頭は考古学博物館にて保管され、展示されています。

石柱のモニュメントは、Main Templeのすぐ手前に位置していましたが、その反対側にはダメーク ストゥーパからMain Templeに通じる石畳の道路(Causeway)の遺跡が残っていました。

  

 Main Templeに通じる道路(Causeway)の遺跡

 

(3) ダメーク ストゥーパのエリア

アショーカ王の石柱遺跡がある付近からは、ダメーク ストゥーパを眺めることができました。

 

 高さは34mと言われ、二重円筒形の輪郭を持っています。

 因みに、ストゥーパとはサンクリット語で土を盛ったものという意味だそうです。このストゥーパは二重の円筒形の輪郭を持っていますが、日本の五重塔などの起源は、インドのストゥーパと言われています。

アショーカ王の石柱遺跡を後にして、ダメーク ストゥーパに向かいました。緑滴る広大な芝生の奥に、青空をバックにしてレンガ色のストゥーパが高々と聳える姿は印象的でした。

  

ダメーク ストゥーパに近づいて、全体の姿を捉えたのが、記事冒頭の写真です。このストゥーパは、初転法輪の地、即ち釈尊が5人の弟子に対して悟りを開いてから初めてここで説教を行った土地であること記念して、紀元前3世紀にアショーカ王が建てたものです。

このストゥーパはその後改築され、現在の姿は6世紀ころのグプタ朝のものだそうです。

唐の玄奘法師は640年にサルナートを訪れましたが、その時は1,500人の僧侶が住む集落があり、最大のストゥーパは91mの高さがあったそうです。

さて、ダメーク ストゥーパのすぐそばに近づいてみると、壁の一部には繊細な彫刻が施されていました。恐らく、建設当初は壁全面がこの様な彫刻で覆われていたのではないかと思われます。

   

このストゥーパの傍らには、ダメーク ストゥーパの解説が記された石板がありました。

 

 ダメーク ストゥーパの解説が記された石板

その解説によれば、“ここで回収された碑文には1026年と刻まれており、旧名はDharma Chakra Stupaであった。 (中略)  下部の円筒部分は、葉や花、鳥や人間などの幾何学的模様が彫刻されて石で構成されています。”と書かれていました。

ダメーク ストゥーパを見学し、釈尊はどのような説教をしたのかなと考えながら、遺跡公園巡りを終えました。  

  

 遺跡公園の出口

  

 出口付近の土産屋

  

この遺跡公園を見学した印象をまとめると、仏教が栄えたマウリヤ朝アショーカ王の時代に建造された僧院が数多く、その中でも特筆すべきは、釈尊が悟りを開いてから初めて仏教の教えを説いたとされるダメーク ストゥーパが中世の姿を留めていることでした。

しかしながら、先に訪れたナーランダの遺跡に比べると、遥かに小さな規模でした。

 


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