その時その時、思ったままに書いているブログです
統一感も何もありません・・・。
とりあえず今回は
生き方や考え方の参考にしている話を書きたいと思っております
日々の生活の中で苦しくなった時
例えば
自分の考えとは違う言動をしなくてはならない時、
自分に対して浴びせられる言動で、そりゃないでしょ、と思う時
他人の言動を見て、それダメなんじゃない?と思う時
そんなことは世の中にあふれていることでしょう、
日常茶飯事でしょう。
なんか辛いなとか、やってらんないなと思う時
はてさて、私はどうありたい?
どんな人間でいたい?
親や祖父母と子供の頃話してた話、
「将来どんな人になりたい?」的な。
その時、どんな思いを抱いていたか。
そこに立ち戻りたいと考えます。きっと皆さんも同じような気持ちを抱かれますよね?
私は子供ながらに感動したり、心の中で生き続けている出来事が
(とりあえず)二つほどあります。
それを思い出すようにしています。
そのうちの一つが
山本周五郎の本を読み返したり
その時の主人公の心の動きを思い返したり、そんなことをして
自分らしさや、どんな人でありたいのかを再認識しています。
一番最初に感動したのが
長編『樅ノ木は残った』です。
あらすじは・・・あえて書きませんが
思いを貫く姿、それを周囲のわかる人にはわかってもらえている様子など
どっしりとした重厚な人物像がすごく心に刺さりました。
少し前、NHKの大河ドラマ『おんな城主直虎』の時の
高橋一生さんの役どころ、あれに通ずるものがあるなと思いました。
またある時、ふと思い出したことがありました。
小学校2年生か3年生の国語の時間、
授業には熱中せず、教科書の後ろの方に載っていた短編を
つい読みふけってしまったのです。
隠れ読み、みたいな感じです。
江戸時代、いいとこのお嬢さんが鼓を練習している。大会で一番を取りたい
負けん気の強いそのお嬢さまは
ライバルに勝ちたい、勝ちたいと必至で練習している。
それをみすぼらしい老人が
「鼓は勝ち負けのために打つものではない。美しいものです。」みたいなことを言って諭す。
というようなストーリー。
本当に心に刺さっていました。
大人になって周五郎を読んでいた時
もしやあの作品は周五郎ではなかったのか?と疑問が湧きました。
調べてみると、確かに山本周五郎の作品でした。
なんだ、私は小学生の時すでに出会っていたのか、となんだか
それはそれで感動しました。
国語の授業でその題材が取り上げられるのを楽しみにしていましたが
当時、教科書すべてを授業ではしていなかったので
『鼓くらべ』は隠れ読みしただけで終わってしまいました。
もっと深く掘り下げて欲しかったなぁ。と、ないものねだり
まだ読んでいない作品もたくさんあります。
心が不安定な時は周五郎に触れて、自分らしさを取り戻したいと思っています。
今は『赤ひげ診療譚』を通勤途中に読んでます