2月12日(金)ライナー・ホーネック指揮 紀尾井シンフォニエッタ東京
ホルン王が奏でる、ウィーンゆかりの作曲家たち ~第103回定期演奏会~
紀尾井ホール
【曲目】
1.モーツァルト/ディヴェルティメント ニ長調 K.136
2.R.シュトラウス/ホルン協奏曲第2番変ホ長調 TrV283
3.モーツァルト/ホルン協奏曲第3番変ホ長調 K.447
【アンコール】
メシアン/恒星の叫び声
Hrn:シュテファン・ドール
4.R.シュトラウス/メタモルフォーゼン(23の独奏弦楽器のための習作)TrV290
世界的なホルンの名手、シュテファン・ドールのソロで、モーツァルトとシュトラウスのコンチェルトを聴ける。これが今夜の紀尾井シンフォニエッタ東京の定期演奏会に出かける決め手だった。
コンチェルトを含むモーツァルトとシュトラウスだけのプログラム。モーツァルトと、モーツァルトを敬愛し、そのスピリッツを受け継いでオマージュ的作品を書いたシュトラウス晩年の作品が並んだプログラムも魅力だ。
まずはモーツァルトの有名なディヴェルティメントでコンサートの幕が開けた。ホーネックは指揮台ではなくコンマス席に座り、指揮者なしでの演奏。紀尾井シンフォニエッタ東京の弦の名手達が、ウィーン・フィルのコンマスでもあるホーネックのイニシアチブで奏でるモーツァルトには大いに期待した。キビキビした活きの良い演奏で、整ったフォルムも心地よさをもたらすが、アンサンブルの潤いや、柔らかな語り口、そこから立ちのぼる香りといった、期待したウィーン的なイメージのモーツァルトではなかった。
さて、次はドールが登場しての、シュトラウスのコンチェルト。ホーネックは今度は指揮台に。これは文句なしの名演。ドールは、ホルンをまるで自分の身体の一部のように自由自在に操る。洒脱でユーモアにも溢れた短編小説を、生き生きした口調で語り聞かせているのを聴いている気分。オーケストラはピュアで整った響きを聴かせ、ドールのホルンと優美で瑞々しいやり取りを繰り広げ、聴き手をウキウキした幸せな気分にしてくれた。金子さんのクラリネット、広田さんのオーボエのソロの妙技が演奏に花を添えた。
後半はモーツァルトのコンチェルトから。ここでもホーネックは指揮台に立ちイニシアチブを発揮。この影響もあってか、最初のディヴェルティメントに比べてオケには柔らかなニュアンスが加わり、ふっくらとした演奏になった。ドールのホルンは実にエレガントで、オケの柔らかな音色と表情によく溶け合う。曲中では弱音を多用したが、この美しさも極めつけ。音が細ることなく、ふくよかで滑らかなラインをスラスラと描いて行く。ただ、オケが弱音になると表面を撫でるような薄っぺらな表情になってしまうのが残念だった。
モーツァルトの後、ドールが独りアンコールを演奏。ベルに手を入れるミュート演奏が、もう一人ステージの後で別人が演奏しているようなリアルなコントラストを聴かせ、ホルンという楽器の多様性を更に知らしめた。
最後の曲となった「メタモルフォーゼン」では、ホーネックがまたコンマス席に座った。この曲は戦争がもたらした悲惨な結末への大きな喪失感や深い悲しみが込められていると言うが、シュトラウスが晩年に至った高度に昇華された精神世界を見る思いがした。多声部に細かく分奏されて響かせる弦のハーモニーがとてもピュアで、かつ熱く雄弁に迫ってきた。
ただ、演奏のレベルは十分に高いのだが、名手達を集めた紀尾井シンフォニエッタほどのアンサンブルであれば、及第点を超える場外ホームラン的な演奏を期待してしまう自分がいる。それがライブ演奏の醍醐味であることを思うと、やっぱりサプライズ的な演奏を体験したい。
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紀尾井ホール
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1.モーツァルト/ディヴェルティメント ニ長調 K.136
2.R.シュトラウス/ホルン協奏曲第2番変ホ長調 TrV283
3.モーツァルト/ホルン協奏曲第3番変ホ長調 K.447
【アンコール】
メシアン/恒星の叫び声
Hrn:シュテファン・ドール
4.R.シュトラウス/メタモルフォーゼン(23の独奏弦楽器のための習作)TrV290
世界的なホルンの名手、シュテファン・ドールのソロで、モーツァルトとシュトラウスのコンチェルトを聴ける。これが今夜の紀尾井シンフォニエッタ東京の定期演奏会に出かける決め手だった。
コンチェルトを含むモーツァルトとシュトラウスだけのプログラム。モーツァルトと、モーツァルトを敬愛し、そのスピリッツを受け継いでオマージュ的作品を書いたシュトラウス晩年の作品が並んだプログラムも魅力だ。
まずはモーツァルトの有名なディヴェルティメントでコンサートの幕が開けた。ホーネックは指揮台ではなくコンマス席に座り、指揮者なしでの演奏。紀尾井シンフォニエッタ東京の弦の名手達が、ウィーン・フィルのコンマスでもあるホーネックのイニシアチブで奏でるモーツァルトには大いに期待した。キビキビした活きの良い演奏で、整ったフォルムも心地よさをもたらすが、アンサンブルの潤いや、柔らかな語り口、そこから立ちのぼる香りといった、期待したウィーン的なイメージのモーツァルトではなかった。
さて、次はドールが登場しての、シュトラウスのコンチェルト。ホーネックは今度は指揮台に。これは文句なしの名演。ドールは、ホルンをまるで自分の身体の一部のように自由自在に操る。洒脱でユーモアにも溢れた短編小説を、生き生きした口調で語り聞かせているのを聴いている気分。オーケストラはピュアで整った響きを聴かせ、ドールのホルンと優美で瑞々しいやり取りを繰り広げ、聴き手をウキウキした幸せな気分にしてくれた。金子さんのクラリネット、広田さんのオーボエのソロの妙技が演奏に花を添えた。
後半はモーツァルトのコンチェルトから。ここでもホーネックは指揮台に立ちイニシアチブを発揮。この影響もあってか、最初のディヴェルティメントに比べてオケには柔らかなニュアンスが加わり、ふっくらとした演奏になった。ドールのホルンは実にエレガントで、オケの柔らかな音色と表情によく溶け合う。曲中では弱音を多用したが、この美しさも極めつけ。音が細ることなく、ふくよかで滑らかなラインをスラスラと描いて行く。ただ、オケが弱音になると表面を撫でるような薄っぺらな表情になってしまうのが残念だった。
モーツァルトの後、ドールが独りアンコールを演奏。ベルに手を入れるミュート演奏が、もう一人ステージの後で別人が演奏しているようなリアルなコントラストを聴かせ、ホルンという楽器の多様性を更に知らしめた。
最後の曲となった「メタモルフォーゼン」では、ホーネックがまたコンマス席に座った。この曲は戦争がもたらした悲惨な結末への大きな喪失感や深い悲しみが込められていると言うが、シュトラウスが晩年に至った高度に昇華された精神世界を見る思いがした。多声部に細かく分奏されて響かせる弦のハーモニーがとてもピュアで、かつ熱く雄弁に迫ってきた。
ただ、演奏のレベルは十分に高いのだが、名手達を集めた紀尾井シンフォニエッタほどのアンサンブルであれば、及第点を超える場外ホームラン的な演奏を期待してしまう自分がいる。それがライブ演奏の醍醐味であることを思うと、やっぱりサプライズ的な演奏を体験したい。
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