9月9日(水)クリストファー・ホグウッド指揮 NHK交響楽団
《2009年9月Bプロ》 サントリーホール
【曲目】
1.ベートーヴェン/序曲「コリオラン」Op.62
2.ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番ト長調Op.58
Pf:クリスティアン・ベザイディンオート
3.ベートーヴェン/交響曲第7番イ長調Op.92
N響新シーズンの幕開けは古楽畑の重鎮 ホグウットによるベートーベン・プロ。1曲目の「コリオラン」序曲の第一声は想像していたような鋭角的な響きではなく、重心の低い、密度の濃い響きでホールに鳴り渡った。短い序奏に続いて主題部が始まると最初の印象は益々確かなものに。ノリントンでさんざん「強制」されたノンヴィヴラート奏法を完全に手中に収めているN響の弦がとても豊かで広がりのある響きを奏でる。盛り上がった深刻な気分が徐々に消え入るように曲を閉じるところの雄弁さもピカイチだ。
続くピアノコンチェルト、ピアノは蓋を外して丁度指揮者が弾き振りする時と反対向きに置かれた。ベザイディンオートはたっぷりと時間を置いてから最初のG-durの和音をなんとアルペジォゆっくりと奏でた。そして多少想像していたが、オーケストラの前奏の部分でも通奏低音を担当するように一生懸命弾いていたが、反響板の役目もある蓋がないせいか殆んど聴こえなかった。
この控え目なピアノの音量はソロの部分が始まっても変わりない。この曲はピアノとオーケストラが華やかに競演するというイメージがあったが、この演奏ではピアノはオーケストラパートの一部のように溶け込んで、言い方を換えると埋没しているようにも聴こえた。第1ヴァイオリンは5プルト(2列目は6プルト)まであるフルオーケストラに、小型のピアノ(正面からみると大きさはわからなかったが2階席で聴いていた友人のテクノがそう言っていた)では音量のバランスはどうなのだろうか…(今回使用したピアノについてご存知の方、コメント下さい!) それと、ピアノの高音域を部分的にオクターヴ下で弾いていたようにも聴こえたが、それでピアノの音が益々控えめ聞こえたのかも知れない。
その分、普段気がつかないオケパートの動きが面白いようによく聴こえてきて、様々な楽器がソロを受け持つコンチェルトグロッソのような楽しげな雰囲気。第3楽章でピアノにチェロがソロでつけるオブリガートはヴィオラ・ダ・ガンバのような古楽チックな音色だったのも面白かった。
そんな感じなので、展開部の反復進行なども和声進行で畳み掛けて盛り上げるよりも変化を楽しませるという姿勢で、ディヴェルティメントを聴いているような気分。ピアニストがとても楽しそうに弾いているのも印象に残った。音量をガンガンとやらない分、繊細でデリケートな表現は素晴らしく、とりわけ第2楽章、それまでのイメージとしてあったオケとピアノのエモーショナルな対立の世界ではなく、静謐で深遠な世界を醸し出していた。
後半のプログラムは第7シンフォニー。これはテンポ、アーティキュレーション、ディナミークどれも特に珍しとは感じなかったが、全楽章を殆どアタッカで通したのは異色。全体に出るべきところは出て、決めるべきところは決め、メリハリと薬味の効いた活きのいい演奏だった。終楽章の畳み掛けもソツなくこなしていたが、ここで期待してしまう猛烈なエネルギーの高揚と爆発はない、というか最初からそういう演奏は目指していない気もする。一番感銘を受けたのはピアノコンチェルト同様に第2楽章の深遠な世界だった。
《2009年9月Bプロ》 サントリーホール
【曲目】
1.ベートーヴェン/序曲「コリオラン」Op.62
2.ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番ト長調Op.58
Pf:クリスティアン・ベザイディンオート
3.ベートーヴェン/交響曲第7番イ長調Op.92
N響新シーズンの幕開けは古楽畑の重鎮 ホグウットによるベートーベン・プロ。1曲目の「コリオラン」序曲の第一声は想像していたような鋭角的な響きではなく、重心の低い、密度の濃い響きでホールに鳴り渡った。短い序奏に続いて主題部が始まると最初の印象は益々確かなものに。ノリントンでさんざん「強制」されたノンヴィヴラート奏法を完全に手中に収めているN響の弦がとても豊かで広がりのある響きを奏でる。盛り上がった深刻な気分が徐々に消え入るように曲を閉じるところの雄弁さもピカイチだ。
続くピアノコンチェルト、ピアノは蓋を外して丁度指揮者が弾き振りする時と反対向きに置かれた。ベザイディンオートはたっぷりと時間を置いてから最初のG-durの和音をなんとアルペジォゆっくりと奏でた。そして多少想像していたが、オーケストラの前奏の部分でも通奏低音を担当するように一生懸命弾いていたが、反響板の役目もある蓋がないせいか殆んど聴こえなかった。
この控え目なピアノの音量はソロの部分が始まっても変わりない。この曲はピアノとオーケストラが華やかに競演するというイメージがあったが、この演奏ではピアノはオーケストラパートの一部のように溶け込んで、言い方を換えると埋没しているようにも聴こえた。第1ヴァイオリンは5プルト(2列目は6プルト)まであるフルオーケストラに、小型のピアノ(正面からみると大きさはわからなかったが2階席で聴いていた友人のテクノがそう言っていた)では音量のバランスはどうなのだろうか…(今回使用したピアノについてご存知の方、コメント下さい!) それと、ピアノの高音域を部分的にオクターヴ下で弾いていたようにも聴こえたが、それでピアノの音が益々控えめ聞こえたのかも知れない。
その分、普段気がつかないオケパートの動きが面白いようによく聴こえてきて、様々な楽器がソロを受け持つコンチェルトグロッソのような楽しげな雰囲気。第3楽章でピアノにチェロがソロでつけるオブリガートはヴィオラ・ダ・ガンバのような古楽チックな音色だったのも面白かった。
そんな感じなので、展開部の反復進行なども和声進行で畳み掛けて盛り上げるよりも変化を楽しませるという姿勢で、ディヴェルティメントを聴いているような気分。ピアニストがとても楽しそうに弾いているのも印象に残った。音量をガンガンとやらない分、繊細でデリケートな表現は素晴らしく、とりわけ第2楽章、それまでのイメージとしてあったオケとピアノのエモーショナルな対立の世界ではなく、静謐で深遠な世界を醸し出していた。
後半のプログラムは第7シンフォニー。これはテンポ、アーティキュレーション、ディナミークどれも特に珍しとは感じなかったが、全楽章を殆どアタッカで通したのは異色。全体に出るべきところは出て、決めるべきところは決め、メリハリと薬味の効いた活きのいい演奏だった。終楽章の畳み掛けもソツなくこなしていたが、ここで期待してしまう猛烈なエネルギーの高揚と爆発はない、というか最初からそういう演奏は目指していない気もする。一番感銘を受けたのはピアノコンチェルト同様に第2楽章の深遠な世界だった。