2023年 5月7日(日)
コロナ騒動
明日(5/8)から、新型コロナウイルス感染症の扱いが2類から5類に変更され、季節性インフルエンザと同等になる。他国と比較して遅すぎる観はあるが、これでようやく社会が通常モードに戻ることが期待できる。それにしても、3年を優に超えるコロナ禍とは一体何だったのか。コロナ禍とは、疫病が直接引き起こした災禍というより、それに過剰反応した行政、メディア、人々による「コロナ騒動」だったと思う。
緊急事態宣言が発令され、長期間に渡ってあらゆるイベントが中止になり、広い公園も含めた行楽施設から人々が締め出され、屋外遊具はテープでぐるぐる巻きにされて使えなくなり、飲食店は休業を強いられ、人々の生きる喜びは悉く奪われた蔓延初期から、コロナ騒動は始まっていた。
無意味な感染対策
その後も過剰な感染対策は続いた。最初の数カ月は、対策もある程度は仕方ないと感じていたし、マスクは必要とも思っていたが、徐々に対策の意味に疑いが増し、やがて殆ど全ての対策が無意味で、その多くは単なるパフォーマンスと感じるようになった。
挙げればキリがないが、例えば、会食時はマスクを外しておしゃべりを楽しんでいながら、トイレに行くときはしゃべりもしないのにマスクを着ける行為。コンサートの入退場時には一定間隔を取るよう呼び掛けながら、客席で隣の人と至近距離で座る状況は問題にされない。矛盾だらけの「対策」は効果がないばかりか、多くの弊害や不都合、不条理をもたらした。
感染対策がもたらした弊害
病院は面会禁止を続け、入院患者から大切な人と会う機会を奪い、高齢者は認知機能も衰えた。家族に会えないまま亡くなってしまった人達も多いことだろう。コロナで亡くなれば、家族は葬儀で最後のお別れさえ出来なかった。
学校ではマスクの着用が強制され、昼食時は「黙食」を強いられた。豊かな心を育むために不可欠な、人と人とのリアルな交流の機会が奪われ、相手の表情を読むことがマスクによって大きく阻害されたことは、特に発達途上の児童にとって将来に渡って悪影響をもたらすだろう。
不安を煽るだけだった「専門家」とメディア
このコロナ騒動を引き起こしたのは、政府や自治体などの行政機関、そして、政府が選んだ「専門家」であり、全ての大手メディアであろう。感染者数の波が高まると、専門家は「気の緩み」などと言って「このままでは感染は大爆発する」と脅し、政府は「人流」抑制に躍起になった。新聞やテレビといった既製の大手メディアは「専門家」の脅しに疑いの目を向けることなく、不安を煽っただけ。そして人々はこうした一方的な情報に踊らされてしまう悪循環。
ワクチンを接種し、消毒を続け、マスクを着け続けているにもかかわらず、そんなことはお構いなしに感染の波は繰り返しやって来た。感染の波と人々の行動パターンの相関関係などないことは、波を繰り返すうちにわかるはずだが、それを指摘する声はもみ消された。コロナやワクチンに対する懐疑的な声は「悪質なデマ」として封殺された。「専門家」やメディアの価値は地に堕ちた。第2次世界大戦で、結果的に戦争に加担してしまったことを反省したはずのマスコミが、政府のやることに異を唱えようとせず、不安を煽る報道に徹したのは何故か。何か大きな権力とか利権が絡んでいることを疑った。
ワクチンに絡む利権
「利権」と云えばワクチン問題も無視できない。感染による重篤な症例や死亡例、後遺症については日々報道される一方で、ワクチンの副反応による被害や死亡例は殆ど報道されない。交通事故で亡くなった人にまでPCR検査を行い、陽性だとコロナによる死者にカウントされる一方で、ワクチン接種直後に死亡しても、その殆どは「因果関係が認められない」と、不問に付された。
2022年は、最大値で11万人超という超過死亡を数えたという。交通事故死まで含めたコロナによる死亡者数が3万8千人程度だというのに。ワクチンによる因果関係が疑われて当然だが、政府は今もってワクチン接種を推奨し続けている。4月26日の毎日新聞に超過死亡についての記事が出たが、「感染症対策による生活習慣の変化などに伴う死者が増えたとみられる」で片づけられてしまった。大手メディアが、この問題をワクチンと結び付けようとしないのは何故か。ここにも何か利権がからんでいると疑われても仕方ないだろう。
日本は、5類へ移行するほぼぎりぎりまで、他国はとっくに撤廃した水際対策を続け、3回以上のワクチンの接種証明か、日本入国前72時間以内の陰性証明を求めた。3回目を受けた人の殆どは、接種後1年以上経過して免疫効果は見込めないにも関わらず。海外へ出かけるためにワクチン接種を受けた人も少なくあるまい。少しでもワクチン接種数を上げたい思惑があるとしか考えられないではないか。
日本人の悲しい性
日本人は、同調圧力を恐れ、みんなが同じ行動を取ってしまう民族であることも改めて明らかになった。それは、周りと同じ行動を取らない人を排除しようとする意識に繋がる。蔓延初期は、遊びに出かけたり、会食をしたりしてコロナに感染した人達が、ネット上で徹底的に攻撃されただけでなく、出かけることや会食という行為そのものが非難された。
それよりも問題なのは、同調圧力をかける側ではなく、同調圧力を勝手に感じて、周りに合わせてしまう人達が多いことではないか。僕はこの半年以上、コンサートや飛行機、病院など、強制されるところ以外では、張り紙を掲げるお店や電車内も含めてマスクは着けなかった。けれど、他人から睨まれたことも、注意されたことも、避けられたこともない。「マスク警察」がはびこっていると言うが、そんな人はごく少数で、周囲の目を勝手に気にしてしまうというのが実際のところだと思う。
こうして大勢の行動に右に倣えしてしまう日本人が何と多いことか。「悲惨な戦争を忘れるな」という声はよく聞くが、日本がもし再び戦争へと向かったとき、一体どれぐらいの人が反対の声を上げるかと思うと絶望的な気分になってしまう。
徹底的な検証を求める
コロナ騒動によって失われたものはあまりにも大きく、将来に渡って取り返しのつかないものも多い。ウイルスが変異の過程で弱毒化し、重症化や死亡のリスクが大幅に減って来ても、コロナだけをいつまでも特別視し、不安を煽り続け、無駄な対策を続けて来たことで、弊害、損失、社会の分断を広げた。コロナ禍で唱えられた「専門家」の声、執られた政策、メディアの報道姿勢をひとつひとつ検証し、総括し、責任を追及することは至上命令と云っていいだろう。コロナのために拠出された戦費にも匹敵する巨費の検証も必須だ。これなくして未来を語ることはできないだろう。
★この投稿後に出したブログ
コロナ報道への意見に対する新聞社の残念な対応
★コロナに関するこれまでのブログでのレポートや意見(時系列)
2020年3月21日
新型コロナウイルスによるコンサート中止に思う
2020年3月25日
日本はコロナを抑えている? ~ドイツの報道より~
2020年4月4日
東京 週末の外出自粛要請に思う
2020年5月1日
「ステイホーム!」の叫びにウンザリ
2020年5月17日
薔薇が奏でる4楽章♪
2020年7月1日
「合唱禁止」に異議あり! ~ドイツの報道より~
2020年8月23日
東京を離れて自然のなかへ出かけよう!
2021年2月3日
コロナ禍で演奏会の中止が続く欧米、やっている日本
2021年2月7日
ポラン書房閉店 ~コロナで大切な場所を失わないためにできること~
2021年3月7日
コロナの不安を煽るだけのメディア
2021年4月23日
コンサートを中止にしないで!
2021年5月11日
#文化芸術は生きるために必要だ
2021年5月24日
「おもてなし」や交流がないオリンピックなんて ~東京オリンピック反対~
2021年7月7日
緊急投稿「緊急事態宣言による文化・芸術イベントを中止させない!」
2021年7月10日
今年も中止。。浅草ほおずき市
2021年7月23日
オリンピックへの複雑な思い・・・ ブルーインパルスと開会式
2021年8月10日
無観客五輪で日本が失ったもの ~東京オリンピック2020を振り返って~
2021年9月7日
パラリンピックが教えてくれたもの ~日本が得たこと、逃したこと~
2021年12月11日
その感染対策、本気???
2022年1月27日
N響定期公演の突然の中止。いつまで続くコロナの特別扱い?
2022年10月31日
イタリアへ行こう!~コロナ後のイタリアの様子~
2022年11月9日
イタリアへ行こう!~イタリア出国前のコロナ検査レポート~
2022年12月15日
新型コロナに感染して抱いた医療機関への不信感
2023年1月13日
ブラボーが響くコンサートを取り戻そう ~終わりの見えない過剰な感染対策に思う~
拡散希望記事!
やめよう!エスカレーターの片側空け
コロナ騒動
明日(5/8)から、新型コロナウイルス感染症の扱いが2類から5類に変更され、季節性インフルエンザと同等になる。他国と比較して遅すぎる観はあるが、これでようやく社会が通常モードに戻ることが期待できる。それにしても、3年を優に超えるコロナ禍とは一体何だったのか。コロナ禍とは、疫病が直接引き起こした災禍というより、それに過剰反応した行政、メディア、人々による「コロナ騒動」だったと思う。
緊急事態宣言が発令され、長期間に渡ってあらゆるイベントが中止になり、広い公園も含めた行楽施設から人々が締め出され、屋外遊具はテープでぐるぐる巻きにされて使えなくなり、飲食店は休業を強いられ、人々の生きる喜びは悉く奪われた蔓延初期から、コロナ騒動は始まっていた。
無意味な感染対策
その後も過剰な感染対策は続いた。最初の数カ月は、対策もある程度は仕方ないと感じていたし、マスクは必要とも思っていたが、徐々に対策の意味に疑いが増し、やがて殆ど全ての対策が無意味で、その多くは単なるパフォーマンスと感じるようになった。
挙げればキリがないが、例えば、会食時はマスクを外しておしゃべりを楽しんでいながら、トイレに行くときはしゃべりもしないのにマスクを着ける行為。コンサートの入退場時には一定間隔を取るよう呼び掛けながら、客席で隣の人と至近距離で座る状況は問題にされない。矛盾だらけの「対策」は効果がないばかりか、多くの弊害や不都合、不条理をもたらした。
感染対策がもたらした弊害
病院は面会禁止を続け、入院患者から大切な人と会う機会を奪い、高齢者は認知機能も衰えた。家族に会えないまま亡くなってしまった人達も多いことだろう。コロナで亡くなれば、家族は葬儀で最後のお別れさえ出来なかった。
学校ではマスクの着用が強制され、昼食時は「黙食」を強いられた。豊かな心を育むために不可欠な、人と人とのリアルな交流の機会が奪われ、相手の表情を読むことがマスクによって大きく阻害されたことは、特に発達途上の児童にとって将来に渡って悪影響をもたらすだろう。
不安を煽るだけだった「専門家」とメディア
このコロナ騒動を引き起こしたのは、政府や自治体などの行政機関、そして、政府が選んだ「専門家」であり、全ての大手メディアであろう。感染者数の波が高まると、専門家は「気の緩み」などと言って「このままでは感染は大爆発する」と脅し、政府は「人流」抑制に躍起になった。新聞やテレビといった既製の大手メディアは「専門家」の脅しに疑いの目を向けることなく、不安を煽っただけ。そして人々はこうした一方的な情報に踊らされてしまう悪循環。
ワクチンを接種し、消毒を続け、マスクを着け続けているにもかかわらず、そんなことはお構いなしに感染の波は繰り返しやって来た。感染の波と人々の行動パターンの相関関係などないことは、波を繰り返すうちにわかるはずだが、それを指摘する声はもみ消された。コロナやワクチンに対する懐疑的な声は「悪質なデマ」として封殺された。「専門家」やメディアの価値は地に堕ちた。第2次世界大戦で、結果的に戦争に加担してしまったことを反省したはずのマスコミが、政府のやることに異を唱えようとせず、不安を煽る報道に徹したのは何故か。何か大きな権力とか利権が絡んでいることを疑った。
ワクチンに絡む利権
「利権」と云えばワクチン問題も無視できない。感染による重篤な症例や死亡例、後遺症については日々報道される一方で、ワクチンの副反応による被害や死亡例は殆ど報道されない。交通事故で亡くなった人にまでPCR検査を行い、陽性だとコロナによる死者にカウントされる一方で、ワクチン接種直後に死亡しても、その殆どは「因果関係が認められない」と、不問に付された。
2022年は、最大値で11万人超という超過死亡を数えたという。交通事故死まで含めたコロナによる死亡者数が3万8千人程度だというのに。ワクチンによる因果関係が疑われて当然だが、政府は今もってワクチン接種を推奨し続けている。4月26日の毎日新聞に超過死亡についての記事が出たが、「感染症対策による生活習慣の変化などに伴う死者が増えたとみられる」で片づけられてしまった。大手メディアが、この問題をワクチンと結び付けようとしないのは何故か。ここにも何か利権がからんでいると疑われても仕方ないだろう。
日本は、5類へ移行するほぼぎりぎりまで、他国はとっくに撤廃した水際対策を続け、3回以上のワクチンの接種証明か、日本入国前72時間以内の陰性証明を求めた。3回目を受けた人の殆どは、接種後1年以上経過して免疫効果は見込めないにも関わらず。海外へ出かけるためにワクチン接種を受けた人も少なくあるまい。少しでもワクチン接種数を上げたい思惑があるとしか考えられないではないか。
日本人の悲しい性
日本人は、同調圧力を恐れ、みんなが同じ行動を取ってしまう民族であることも改めて明らかになった。それは、周りと同じ行動を取らない人を排除しようとする意識に繋がる。蔓延初期は、遊びに出かけたり、会食をしたりしてコロナに感染した人達が、ネット上で徹底的に攻撃されただけでなく、出かけることや会食という行為そのものが非難された。
それよりも問題なのは、同調圧力をかける側ではなく、同調圧力を勝手に感じて、周りに合わせてしまう人達が多いことではないか。僕はこの半年以上、コンサートや飛行機、病院など、強制されるところ以外では、張り紙を掲げるお店や電車内も含めてマスクは着けなかった。けれど、他人から睨まれたことも、注意されたことも、避けられたこともない。「マスク警察」がはびこっていると言うが、そんな人はごく少数で、周囲の目を勝手に気にしてしまうというのが実際のところだと思う。
こうして大勢の行動に右に倣えしてしまう日本人が何と多いことか。「悲惨な戦争を忘れるな」という声はよく聞くが、日本がもし再び戦争へと向かったとき、一体どれぐらいの人が反対の声を上げるかと思うと絶望的な気分になってしまう。
徹底的な検証を求める
コロナ騒動によって失われたものはあまりにも大きく、将来に渡って取り返しのつかないものも多い。ウイルスが変異の過程で弱毒化し、重症化や死亡のリスクが大幅に減って来ても、コロナだけをいつまでも特別視し、不安を煽り続け、無駄な対策を続けて来たことで、弊害、損失、社会の分断を広げた。コロナ禍で唱えられた「専門家」の声、執られた政策、メディアの報道姿勢をひとつひとつ検証し、総括し、責任を追及することは至上命令と云っていいだろう。コロナのために拠出された戦費にも匹敵する巨費の検証も必須だ。これなくして未来を語ることはできないだろう。
★この投稿後に出したブログ
コロナ報道への意見に対する新聞社の残念な対応
★コロナに関するこれまでのブログでのレポートや意見(時系列)
2020年3月21日
新型コロナウイルスによるコンサート中止に思う
2020年3月25日
日本はコロナを抑えている? ~ドイツの報道より~
2020年4月4日
東京 週末の外出自粛要請に思う
2020年5月1日
「ステイホーム!」の叫びにウンザリ
2020年5月17日
薔薇が奏でる4楽章♪
2020年7月1日
「合唱禁止」に異議あり! ~ドイツの報道より~
2020年8月23日
東京を離れて自然のなかへ出かけよう!
2021年2月3日
コロナ禍で演奏会の中止が続く欧米、やっている日本
2021年2月7日
ポラン書房閉店 ~コロナで大切な場所を失わないためにできること~
2021年3月7日
コロナの不安を煽るだけのメディア
2021年4月23日
コンサートを中止にしないで!
2021年5月11日
#文化芸術は生きるために必要だ
2021年5月24日
「おもてなし」や交流がないオリンピックなんて ~東京オリンピック反対~
2021年7月7日
緊急投稿「緊急事態宣言による文化・芸術イベントを中止させない!」
2021年7月10日
今年も中止。。浅草ほおずき市
2021年7月23日
オリンピックへの複雑な思い・・・ ブルーインパルスと開会式
2021年8月10日
無観客五輪で日本が失ったもの ~東京オリンピック2020を振り返って~
2021年9月7日
パラリンピックが教えてくれたもの ~日本が得たこと、逃したこと~
2021年12月11日
その感染対策、本気???
2022年1月27日
N響定期公演の突然の中止。いつまで続くコロナの特別扱い?
2022年10月31日
イタリアへ行こう!~コロナ後のイタリアの様子~
2022年11月9日
イタリアへ行こう!~イタリア出国前のコロナ検査レポート~
2022年12月15日
新型コロナに感染して抱いた医療機関への不信感
2023年1月13日
ブラボーが響くコンサートを取り戻そう ~終わりの見えない過剰な感染対策に思う~
拡散希望記事!
やめよう!エスカレーターの片側空け
asakaさんのブログも拝見しました。マスクについてのご意見にも同感です。
日本人は周りの声や圧力に影響されやすく、おかしいことをおかしいと思えなくなってしまう人が多いですね。
コロナ騒動での人々の行動は、コロナとは関係ないシーンでもあまり変わりがないことに気づきました。
それが、おっしゃるような「偏った無気力な日本」を作ってしまっているように思います。
メディアがようやくワクチンの弊害を取り上げるようになってきました。少しでも検証が進むといいですね。
「情報リテラシーは何より大切」。同感です。
昨年(2023年)の5月から
1年も経過してるのになんら検証されてないですね。
日本だけが奇妙な思い付きのコロナ対策を行ってましたからね。
検証の仕様がないのでしょうが、検証しなければいけません。
それをいまだに信じてる人が多いのですから。情けないです。
どこか片寄った無気力な日本になってきてるように思います。
物事を決め付ける自己陶酔型の人が多くなって来てるのでしょう。
因みにマスクについても、昨年の12月にもノルウェーでは、
「マスクを着用してる人はコロナに感染する可能性が4~40%高い」ことが
判明したと研究結果が公表されてます。多角的に解析せねばならないでしょう。
ところで恐れ入りますが、当ブログへ寄せられた他のコメントを名指しで批判することはお控えいただけますでしょうか。批判された方が、それにまた反論すると、到底噛み合わない意見で当ブログのコメント欄が不毛の議論の場になることは避けたいという理由です。ご理解くださいますようお願いいたします。
コロナ禍による弊害は意外な所からも出て来ている気がしますね。
> 対策は有効性を検証
日本は専門家もメディアも政治も3流と思わせます。
検証・反省など望むべくもないのかもしれません。
欧州:波が来るたび進化
日本:波が来るたび被害増加
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/07/27df660c78c1a40bec830152826a364e.png
ところで上記のさくらもち氏は「新型コロナは存在しない」
などとのたまっており、Aska氏は"マスクが感染を拡大"
とマスクへの奇妙な攻撃 (?) を続けている人物です。
https://blog.goo.ne.jp/sakuranbo-doghotel/e/233e0263f1bb3508e832230cee58c81b
> 新型コロナなどどこにもありはしない。架空の病であり、
こういう人達の仲間にはならないよう注意なさって下さい。
反マスク 反PCR 反ワクチン 反ウクライナ ・・ など多種いるようですが
単に"自分"と"大衆"の間に溝を掘ってハマり、「俺達だけが正しい。
騙されてないでこっちの言う事を聞け」と言いたがっているだけのように見えます。
"無意味な" "不安を煽るだけの" などはいささか極論と思います。
日本は感染対策を捨てた第7波でえらい死者数を記録しました。
22年夏
https://img.buzzfeed.com/buzzfeed-static/static/2022-10/28/7/asset/ab4b32eec387/sub-buzz-3747-1666941232-17.png
感染対策を捨てればきちんと死者が増え、医療崩壊も起こします。これがその証明でしょう。
冬の第8波では1日、400人、500人と凄まじい死者数を記録し、40~60代働き盛りの死も最大となりました。死者数2.3万人
救急車が夜遅く居眠り運転をし、横転事故を起こしていたり、医療従事者は徹底的に疲弊させられました。
コロナ感染歴があると、1年後の心疾患が増える事が最近の論文にて報告されました。
感染対策は重要ではないのだ、というご意見には偏りがあり、無責任でもあると思いますが如何でしょうか。
コロナ禍を経験して、多くの方が亡くなっている中で不謹慎かもしれませんが、人類が得たものもあるのではないかと思いました。
ウィルスが自然発生したのか、某国の研究所で遺伝子操作をしてそれが漏れたのか正確なところは分かりませんが、早い時期に世界中が大騒ぎになったということは恐らく後者の可能性が高いのではないかと思います。米国はそのように主張しています。
遺伝子操作したので、もしかしたら人類にとって今までのウィルスでは持っていない何か大変な影響を人類に与えてしまうかもしれない、と考えてちょっと大げさかもしれないけど、世界中に規制線を敷いたのではないかと思います。
以前会社の研修でパンデミック対策の研修を受けたことがあるのですが、パンデミックが発生した時には今回の様に第一波、第二波。。。という形で流行のピークがある。マネージャーは部門でシフト勤務体制を組んで、オフィスに通勤する人と在宅勤務する人に分けて仕事をアサインしてください。という内容です。
その時に言われたのは、「オフィスの仕事をアサインする場合は、重症になったり亡くなってしまう可能性があります。」というシビアな情報もありました。ピークの時に出社指令を出す側の心労も慮れます。
私の会社はすぐに在宅ワークになり、いまだに続けています。幸いオフィスで仕事をしなければならないケースはありませんでした。
家でもオフィスでも仕事が出来る仕組みを作っていましたので、経費の精算とか、バックエンド業務含めてどこでも行う事が出来ました。
どうしても現場で仕事をしなければならない別の部門の方もいらっしゃいました。
在宅ワークは仕事とプライベートの境界線が曖昧になるというデメリットもありますが、通勤時間が無くなる、どこに住んでも良い、というメリットもあります。
同僚やお客様は、軽井沢、小田原、熱海、三島、那須塩原、別府、長野などに引っ越しして、土日は山に登っているとか、毎日森林浴という優雅な生活をされています。
軽井沢に夫婦で引っ越しされた方は、暖炉がある素敵な別荘に住んで、ビデオ会議が空いた時間に散歩したり、薪を作ったりしているそうです。週1のペースで新幹線で東京に行くそうです。
別府に引っ越された方は、もともと所沢に住んでいたのですが、息子さんが別府の大学(立命館)に通っている時に頻繁に別府を訪れてその魅力に惹かれてしまったそうです。所沢の家を売って温泉が自室にあるマンションに引っ越しされました。
長野に引っ越しされた方は山歩きや無線をされています。今までは大和に住んでいました。
パンデミックが収まったのだから、出社しなさいという方針の会社もあるようです。現場でなければ出来ない仕事もありますが、そうではない仕事は会社に行かないで済む仕組みを作ってどこに住んでも良い社会になれば、コロナ禍も良い契機になるのにと思っております。
拙文をまとめてチラシを作ってくださったり、お友達からも拡散していただいたり、ありがとうございます。今後は新聞社に質問状を送るなど行動して行きたいと思っています。
拙文をご使用される際はお手数ですが、貴ブログで引用されたときのように、当ブログのソース記事をお示し頂くか、ブログのプロフィールで公開している私の氏名を併記して頂けますようお願いいたします。
マスクはしたい人がすればいいし、僕もコロナ前は花粉の時期や、冷たい空気から喉を守りたいときなどすることはありましたが、このところは意地でもしないあまのじゃくでした。
早く平時に戻って、マスクをしてもコロナ対策と思われなくなることを願っています。
みんなに読んでもらいたいですね。
ただ、若い人やお母さんたちはブログを見てないんですよね。
読んで欲しい人たちには、なかなか届かないですね。
それでも発信して行かなければならないと思います。
私は小さな陶芸教室を開いています。
教室ではマスクの話などは一切していませんが、
陶芸を教えててもなかなか覚えてくれない年代の生徒さんたちに
マスクの要否を話しても「無駄だろな」と感じています。
国民の多くが同じような感じではないでしょうかね。
ただ、教室で教えてても理解の早い女生徒さんたち数人は、
私が話した訳でもないのに、マスクを外して来て作陶をしています。
分かってる人たちも多いのです。徐々にもとに戻ってくるでしょう。
日本は牛歩の如くかも・・・。
世界の医学団体コクランが「マスクは予防効果なし」と結論を出しましたね。
マスクの旗振りをしてきたメディアはこういうニュースを流さないですね。
お医者さんや製薬会社などは引き続きマスクを擁護する発信を
続けて行くでしょうから、正常に戻るまでには時間がかかるでしょうが、
正しいと思われることを、正論を発信し続けて行きましょう。
「マスクは用を成さないから外せ」と昔のように言えるとよいのですがね。
風になびく人たちが大半ですからマイノリティではないですよ。
風になびく人たちは分母の数に入りませんよ。
おかしいと思ってる人の方が多いと思いますが口に出せないだけです。
なお、以前に載せられた別件の記事では少し相異を感じていましたので、
この機会にその記事にもコメントをさせてもらいます。悪しからず。
それぞれの項目に、心強いコメントも頂いて感謝です。おかげでFacebookではほぼ無反応の拙文に、直接沢山のリアクションが届いています。今後ともコロナ騒動の検証を注視していきましょう!
このコロナ禍で、自分がマインド的にマイノリティーに属することを実感し、これからもマイノリティーとして生きていく覚悟を決めました。