2011年8月8日(月)続き… のち一時
テント場のトイレの鏡で初めて怪我をした自分の顔をじっくり見た。なかなかヒドイ。。洗い落とせる血は洗い、昼メシのあと周辺をちょっと散策してから今日の幕営場所の見張に向かった。
広大な尾瀬ヶ原を縦断する見張までの道は、全てが木道の平坦なコース。尾瀬ヶ原の向こうには明日登る燧ヶ岳がそびえ、振り返れば至仏山が見送ってくれている。怪我をした至仏山だが、実に絵になる。
そんなパノラマと、睡蓮が咲く池塘が点在し、花咲く広大の湿原の景色を眺めながらの歩きは、重い荷物も苦にならないほど気持ちがいい。ハイシーズンなのに行き交う人がとても少ないのはどうしてだろう、とちょっと気になるが…
| 山に来ると、いつもいろいろな曲が頭の中を流れるのだが、今回は「なぜか」というか、「やっぱり」というか「夏の思い出」の「遥かな尾瀬」ばかりが流れている。
湿原のなか、オアシスのように木がこんもりしげっている地帯が所々あるが、そんな場所にはいい水も豊富に湧いているのだろう。そうした「オアシス」に小屋が建っている。 |
山の鼻のテント場を出て1時間20分で行きついたところに竜宮小屋がある。そこから再び湿原縦断コースを40分ほど進むと、東西約6kmある尾瀬ヶ原の東端の見晴に着いた。樹林帶に入ったところに、立派な山小屋がいくつも建ち、ちょっとした集落を形成している。車では来られない場所にこんな光景が広がっているのも尾瀬ならではなのだろう。
この見晴が今夜と明日の幕営場所。テント場を管理する燧小屋は集落の奥まったところにあった。広いテント場に4張ほどテントがあった。場所はいくらでもあり、木立ちの下の静かそうなところにテントを張った。
ここも夕食は小屋でとらせてもらったが、料理の品数も多く、どれも心のこもった家庭料理という感じで、とてもおいしかった。
テント泊なのにお風呂にも入れてもらえた。 | |
山小屋で風呂に入れるだけでもありがたいが、ゆったりした木の浴槽の風呂は本当に気持ちよかった。
食事中に激しい雷雨があったので、夕日は見えないだろうと思い、食後もしばらく食堂でのんびりしてから外へ出ると、なんと西の至仏山の方面の雲が残照に紅く染まっていた。急いで湿原まで足を運び、空の色が闇に消えるまで、暮れ行く尾瀬の景色を楽しんだ。
明日はもう少し早く外に出て夕日を眺めよう。
2011年8月9日(火)時々
3時50分起床。空を見上げると今日も星が瞬いている。朝メシを急いで済ませ4時50分に出発した。出かける準備はだいたい前の晩に済ませているのだが、起きてから朝メシを済ませ、出かけるまでやっぱり1時間近くかかってしまう。
尾瀬沼方面への樹林帶の道を進む。道は三叉路になり、燧ヶ岳へ登る見晴新道へ。登山道が始まった。昨日はひどい怪我をしてしまったので、今日は絶対怪我をしないぞ、と自分に言いきかせながら一歩一歩登っていく。この道は、ガイドにはぬかるんでいる、と書いてあったが特にぬかるみはない。道の状態は天候によって大きく異なる。道は結構急だが、昨日の至仏山のようなツルツル滑る岩ではない。でも油断は絶対禁物。「コケない!死なない!」と唱えながらひたすら登る。
至仏山と比べ、この登山道は展望は効かない。昨日は驚くほど早く森林限界に来たが、今日はいつまでも暗い樹林帶のなかの登りだ。前方上の方が明るくなり、そろそろ展望が開けるか!?と思わせておいても期待外れの連続。時間的にももういい加減展望が開けてもいいよな… と思いながら登り続け、ようやく「今度こそ!」と確信できるほどの明るい光が近づいた。
その辺りはダケカンバなど低木なのできっと森林限界だ!張りきって登って行ったら、道がイヤなザレ場になった。
おかしいとは思ったが、日の差すダケカンバ帯が目の前なので、少し無理して進んだ。
しかし、まず間違いなくここは登山道ではない。ダケカンバ帯まで辿り着いても、そこから登山道に戻れる確信もない。そのうち、足場の確保も難しくなった。五十肩を抱え、「絶対怪我をしない」と誓ってもいたので、あと10メートルとないところまで来ていたが、ここは撤退することにした。 |
ここの上までは登らずに撤退して正解だった… |
足場の悪い急なザレ場を慎重に戻り、やっと登山道が見つかった。どこでどう間違えたのか… あのままザレ場を登りきっても、この登山道には戻れなかっただろう。
そこから本当に森林限界に出たときは、登り始めて2時間半以上も経っていた。この道は「見晴新道」なんて名前がついているが、展望を得られるまでは相当長い。騙されてはいけない。もっともこの名前は「見晴」という登山口の名前から来ているわけだが…
森林限界になれば展望はぐんぐんと開けてくる。日光白根山と男体山も姿を現した。
尾瀬ヶ原にかかっていた朝霧もすっかり晴れて、西端の至仏山まで見渡せるようになった。
眼下には尾瀬沼も見えてきた。けれどちょっとイヤな雲がかかってきたのが気がかり… 早く頂上に着きたいな。
燧ヶ岳は双二峰で、東西に1つずつ山頂を持っている。それぞれの頂に固有の名前がついているが、漢字の読み方がわからないし、覚えられそうにないので、西峰と東峰と呼ぼう。ここから近い山頂は西峰で、こちらが燧ヶ岳の最高点(2356m)だ。展望を楽しみながらも西峰登頂を急ぐ。途中、もう色付き始めたコケモモの実の群落を見つけ、ちょっと失礼してつまみ食い。甘さはまだ足りないが、この酸味に元気づけられる。
8時10分に燧ヶ岳西峰に到着。昨日より雲が多く、白根山の山頂も雲に見え隠れし始めていたが、展望はまずまず。山頂からは尾瀬沼の全体が見渡せ、その遠景が日光連山というパノラマ構造のダイナミックな景色を楽しめる。
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この景色をスケッチ。白根山がしょっちゅう雲に隠れてしまうので描くのに一苦労した。左端には男体山も入った。
西峰の目の前には東峰がドーンとそそり立っている。燧ヶ岳登山では一番ポピュラーな長英新道からはこの東峰が近いため、こっちの方が人が多い。西峰で1時間45分過ごした後、この東峰へ行った。西峰からおよそ20分。
西峰と東峰の鞍部は明るく広々とした草原になっている。
東峰からの眺めもいい。雲に隠れてしまっていた至仏山がまた見えてきたので、ここでは至仏山方面をスケッチした。 | |
広大な尾瀬ヶ原、至仏山と燧ヶ岳という2つの名峰、それにひっそりと水を湛えた尾瀬沼… 尾瀬というところは、湿原だけでなく、本当に変化に富んだ自然を楽しめるところだな、と実感。東峰でも1時間ばかり過ごし、長英新道を下った。
至仏山に比べると少ないが、燧ヶ岳にも花は咲いている。
登りで使った見晴新道に比べ、尾瀬沼へ下る長英新道は良い展望がずっと続く。眼下にだんだん近づいてくる尾瀬沼と、背後に連なる山々の眺めを楽しみながらの下山。
山頂から1時間50分で尾瀬沼の沼畔までやってきた。森に囲まれた沼の周辺には花咲く湿原がひろがっていて、開放感がある。沼畔に沿って10分程で着いた長蔵小屋の近くの沼畔から燧ヶ岳を映す尾瀬沼の眺めは、絵葉書のように構図が整ってキレイ。
静かな沼畔でこの景色を眺めながら昼メシにした。女子高校生のグループがやってきて「疲れたー」とか言いながら近くのベンチに腰掛けていたが、飛んできたハチに大騒ぎ。「出発するぞ」という先生の合図で一斉に去って行った。この間、沼畔のキレイな景色を眺める様子も、歓声もなし… もったいなさすぎ… 僕はここでも水彩道具を出して、絵手紙を仕上げた。
| 沼畔を戻り、水辺の木道をさらに沼尻まで進んだ。
車はもちろん、釣り舟も、ボート遊びもない尾瀬沼は、周囲6キロというその大きさに似合わないほどにひっそりと静か。
数時間の歩きで、日常の下界とかけ離れた風景に出会えるというのも、尾瀬の魅力だ。 |
沼尻からは樹林帯の山道を1時間7分歩いて、今日のスタート地点の見晴へ戻ってきた。
昨夜は数張りしかなかったテント場には、学生らしい若者たちが大勢テントを設営していた。今夜のテント場は賑やかになりそう…
夕食は今夜も小屋で食べた。今夜もご馳走だった。怪我はしたが、とにかく生きて尾瀬の二山に登ってきて最後の夜を迎えたことを祝い、今夜はロング缶で乾杯した。 | |
テント場は賑わっていたが、食堂には数えるほどしかお客がいない。夏のハイシーズンでこんなに宿泊客が少なくてはタイヘンだろうと心配になってしまう。
「福島県」というのが影響しているとも聞いたが、ここは群馬や新潟との県境で、原発からは遠い。なのに、尾瀬に福島県が含まれているせいで敬遠されてしまうとしたら、やり切れないだろう。原発はつくづく怖い。
昨夜はタイミングを少々逃したので、今日は食後早めに、尾瀬ヶ原を見渡せる場所まで行って、夕映えのシーンに備える。今日もいい夕焼けが期待できそうだ。
至仏山の上にある雲がだんだんと紅色に染まってきた。振り返れば燧ヶ岳が、夕闇のなかに色を失っていく。南の富士見峠方面の峰々の上にはほぼ満月の月が浮かんでいて、だんだんと明るさを増してきた。
刻々と色を変化させて行く周囲の景色を順番にみているうちに、西の空は鮮やかな金色に染め上げられていった。これらの光景をたっぶりと目に焼き付け、デジカメとフィルムカメラに収めた。
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暮れゆく尾瀬ヶ原の夕景を、しばしスライドショーでどうぞ。
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