2月6日(月)新国立劇場オペラ公演
新国立劇場
【演目】
モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」
【配役】
フィオルディリージ:リカルダ・メルベス(S)、ドラベッラ:エレナ・ツィトコーワ(MS)、デスピーナ:中嶋 彰子(S)、フェルランド:高橋淳(T)、グリエルモ:ルドルフ・ローゼン(Bar)、ドン・アルフォンソ:ヴォルフガング・シェーネ(Bar)
【演出】
コルネリア・レプシュレーガー
【美術・衣装】
ダヴィデ・ピッツィゴーニ
【演奏】
オラフ・ヘンツォルト指揮 東京交響楽団/新国立劇場合唱団
去年は都合がつかず観れなかった新国の「コジ」の再演は実に素晴らしい公演だった。
まず特筆すべきはオーケストラ。ふわっとした、ほどよく空気を含んだ軽やかで柔らかな弦は自由自在に自然によく歌い、よくしゃべり、多彩な色を醸し出す。内声の豊かな響きにもほれぼれ。管は温かく、またチャーミングにオーケストレーションに色を添え、ふくよかな響きを作り出す。2幕第2場の木管とホルンのアンサンブルでは、プレイヤーのハイレベルをまざまざと証明した。そこに限らずホルンの素晴らしいこと!まるでホルン・コンチェルトに聴き惚れているような気分で酔いしれた。滑らかでよく歌うホルンを吹いたこの東響の奏者はどなた?これまでにも東響がここのピットに入った時は好印象を持った記憶はあるが、ここまで素晴らしいオーケストラだったなんて!
これにはヘンツォルトという指揮者の巧みな導きも見逃せないだろう。語り口といい、歌といい、響きといい、モーツァルトのエッセンスが凝縮されたような演奏をオケから引き出す力とセンスはただ者ではない。まるでヨーロッパの名だたる劇場にいるような気分になった。
そんな文句なしのオケに常に伴われて歌える歌手たちは幸せだ。6人のソリストはこれまた粒ぞろい。それぞれの役どころの魅力を十分に表現していた。
フィオルディリージ役のメルベスの柔らかな美声と優雅に包み込むような色香と懐の深さ、ドラベッラ役のツィトコーワは最初の第一声からハッとするような映えた声で魅了。「妹」らしい積極的な気性をお色気も十分に伝えた。中嶋彰子のデスピーナがまた出色!瑞々しい美声と巧みな歌いまわしで、主役の2姉妹にひけをとらない存在感で人生経験豊富で賢く個性的な小間使いを演じた。「医者」や「結婚公証人」としての歌と演技もお見事!さすがウィーン・フォルクスオーパー仕込みだ。フェランドには当初予定のエルナンデスの降板で急遽代役として高橋淳が出演。つやのある声は魅力で、特にアンサンブルではよく健闘していたが、ソロでは表現の幅の弱さと音程の怪しさが多少気になった。グリエルモを演じたローゼンは2枚目役が似合う。2幕でドラベッラを口説き落とす場面など男の色気がムンムンと漂って抜群だった。そして、ドン・アルフォンソのシェーネもはまり役。貫禄の存在感で、このオペラをただの茶番で終わらせない引き締め役として要を演じた。
「コジ・ファン・トゥッテ」ではこうしたソリスト達のソロアリアもさることながら、随所にちりばめられた多重唱の数々も大きな魅力だが、そうしたアンサンブルがどれもぴたりと決まって個々の歌手の魅力を増幅していた。この声のアンサンブルに、素晴らしいオーケストラが加わった華やかなアンサンブルの饗宴はこのオペラの魅力を語り尽くした。
レプシュレーガーの演出もすっきりしていていい。序曲では舞台装置の全くない殺風景な舞台にモノトーンの男女の小集団が繰り出してきて「えっ、なんにもないの?」と思ったが、その後シンプルながら場面を伝える装置が代わる代わる現れた。曲線を生かした移動式の大きな装置がいろいろな役割を果たし、それを黒子が人力で動かすのもおもしろい。また、要所に序曲で登場した男女の小集団のパフォーマンスが筋を巧みに浮き上がらせていたのもうまい。逢い引きの舞台ともなった、きっちり刈り込まれた植え込みのある庭園は、あかりが灯されるだけでずいぶん雰囲気が変わるんだな、と思った。
それにしても、それぞれの人物描写、ごく日常にもありそうなささやかなことで一喜一憂する様々な心の変化を、モーツァルトは何と巧みに自然に音で描いてしまうことか!一人一人が人間臭さのにじみ出た血の通った人間として描かれることで、ドタバタのオペラ・ブッファでも最後はジーンとする感動をもたらしてくれる、というのはモーツァルトならでは。しかも今夜のような素晴らしい公演なら感動はなお更だ。これだけの公演、ヨーロッパでもそうは出会えないと思う。
新国立劇場
【演目】
モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」
【配役】
フィオルディリージ:リカルダ・メルベス(S)、ドラベッラ:エレナ・ツィトコーワ(MS)、デスピーナ:中嶋 彰子(S)、フェルランド:高橋淳(T)、グリエルモ:ルドルフ・ローゼン(Bar)、ドン・アルフォンソ:ヴォルフガング・シェーネ(Bar)
【演出】
コルネリア・レプシュレーガー
【美術・衣装】
ダヴィデ・ピッツィゴーニ
【演奏】
オラフ・ヘンツォルト指揮 東京交響楽団/新国立劇場合唱団
去年は都合がつかず観れなかった新国の「コジ」の再演は実に素晴らしい公演だった。
まず特筆すべきはオーケストラ。ふわっとした、ほどよく空気を含んだ軽やかで柔らかな弦は自由自在に自然によく歌い、よくしゃべり、多彩な色を醸し出す。内声の豊かな響きにもほれぼれ。管は温かく、またチャーミングにオーケストレーションに色を添え、ふくよかな響きを作り出す。2幕第2場の木管とホルンのアンサンブルでは、プレイヤーのハイレベルをまざまざと証明した。そこに限らずホルンの素晴らしいこと!まるでホルン・コンチェルトに聴き惚れているような気分で酔いしれた。滑らかでよく歌うホルンを吹いたこの東響の奏者はどなた?これまでにも東響がここのピットに入った時は好印象を持った記憶はあるが、ここまで素晴らしいオーケストラだったなんて!
これにはヘンツォルトという指揮者の巧みな導きも見逃せないだろう。語り口といい、歌といい、響きといい、モーツァルトのエッセンスが凝縮されたような演奏をオケから引き出す力とセンスはただ者ではない。まるでヨーロッパの名だたる劇場にいるような気分になった。
そんな文句なしのオケに常に伴われて歌える歌手たちは幸せだ。6人のソリストはこれまた粒ぞろい。それぞれの役どころの魅力を十分に表現していた。
フィオルディリージ役のメルベスの柔らかな美声と優雅に包み込むような色香と懐の深さ、ドラベッラ役のツィトコーワは最初の第一声からハッとするような映えた声で魅了。「妹」らしい積極的な気性をお色気も十分に伝えた。中嶋彰子のデスピーナがまた出色!瑞々しい美声と巧みな歌いまわしで、主役の2姉妹にひけをとらない存在感で人生経験豊富で賢く個性的な小間使いを演じた。「医者」や「結婚公証人」としての歌と演技もお見事!さすがウィーン・フォルクスオーパー仕込みだ。フェランドには当初予定のエルナンデスの降板で急遽代役として高橋淳が出演。つやのある声は魅力で、特にアンサンブルではよく健闘していたが、ソロでは表現の幅の弱さと音程の怪しさが多少気になった。グリエルモを演じたローゼンは2枚目役が似合う。2幕でドラベッラを口説き落とす場面など男の色気がムンムンと漂って抜群だった。そして、ドン・アルフォンソのシェーネもはまり役。貫禄の存在感で、このオペラをただの茶番で終わらせない引き締め役として要を演じた。
「コジ・ファン・トゥッテ」ではこうしたソリスト達のソロアリアもさることながら、随所にちりばめられた多重唱の数々も大きな魅力だが、そうしたアンサンブルがどれもぴたりと決まって個々の歌手の魅力を増幅していた。この声のアンサンブルに、素晴らしいオーケストラが加わった華やかなアンサンブルの饗宴はこのオペラの魅力を語り尽くした。
レプシュレーガーの演出もすっきりしていていい。序曲では舞台装置の全くない殺風景な舞台にモノトーンの男女の小集団が繰り出してきて「えっ、なんにもないの?」と思ったが、その後シンプルながら場面を伝える装置が代わる代わる現れた。曲線を生かした移動式の大きな装置がいろいろな役割を果たし、それを黒子が人力で動かすのもおもしろい。また、要所に序曲で登場した男女の小集団のパフォーマンスが筋を巧みに浮き上がらせていたのもうまい。逢い引きの舞台ともなった、きっちり刈り込まれた植え込みのある庭園は、あかりが灯されるだけでずいぶん雰囲気が変わるんだな、と思った。
それにしても、それぞれの人物描写、ごく日常にもありそうなささやかなことで一喜一憂する様々な心の変化を、モーツァルトは何と巧みに自然に音で描いてしまうことか!一人一人が人間臭さのにじみ出た血の通った人間として描かれることで、ドタバタのオペラ・ブッファでも最後はジーンとする感動をもたらしてくれる、というのはモーツァルトならでは。しかも今夜のような素晴らしい公演なら感動はなお更だ。これだけの公演、ヨーロッパでもそうは出会えないと思う。
おっしゃるように、アンサンブルがとても良かったと思いました。時間を忘れる楽しさでした。指揮者がよかったのでしょうね。