9月20日(火)没後20年 武満 徹 オーケストラ・コンサート
東京オペラシティコンサートホール:タケミツメモリアル
【曲目】
1.武満 徹/地平線のドーリア(1966)
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2. 武満 徹/環礁 ─ ソプラノとオーケストラのための(1962)
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3. 武満 徹/テクスチュアズ ─ ピアノとオーケストラのための(1964)
4. 武満 徹/グリーン(1967)
5. 武満 徹/夢の引用 ─ Say sea, take me! ─ 2台ピアノとオーケストラのための(1991)
【演奏】
S:クレア・ブース(2)/Pf:高橋悠治(3,5)、ジュリア・スー(5)
オリヴァー・ナッセン指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
武満イヤーを飾るにふさわしい大きなコンサートが、東京オペラシティ・タケミツメモリアルで行われた。武満のオーケストラ作品が通常の演奏会で取り上げられることは少なくないが、弦楽のためのレクイエムや映画音楽などに偏りがち。今夜は演奏頻度が少ないながら、特に初期の優れた作品を中心に、武満の世界に触れることができる意義深い演奏会となった。
指揮は、武満との親交も深く、生前から武満作品を積極的に世界に紹介してきたオリヴァー・ナッセン。もう一人の大切な友人で、武満の優れた演奏者でもあるピアニストのピーター・ゼルキンが、病気のため来日できなくなり、やはり武満の音楽の良き理解者である高橋悠治が代わりを務めた。会場はビックリするほどの超満員。現代音楽の演奏会にお客が集まらないことを嘆いていた武満先生はさぞ驚くことだろう。とは言え、今夜集まった聴衆の多くは「現代音楽を聴きに来た」という意識は希薄に違いない。
そんな聴衆にとって最初の「地平線のドーリア」はどんな風に聴こえただろうか。武満の「歌」や映画音楽のイメージとは違って面食らったかも知れないが、そこから何かメッセージを受け取った人も少なくないだろう。僕は今回この曲を何度目かに実演で聴いて、日本人のスピリッツのようなものを感じた。武満は自らの音楽に日本的なものを敢えて取り入れることはしなかったが、武満作品の多くから、この感覚が伝わることは少なくない。但し、それは演奏自体がとてもピュアでなければならない。そうした意味から、今夜のナッセン指揮 東フィルの弦楽器プレイヤーの演奏は、そうした精神性に触れる優れたものだったと言える。プログラムノートに書いてあったように、弦楽器だけで奏でられているとは思われない音、具体的には、フルートやサックスなどの柔らかな木管楽器の音が聴こえてきた。それは天上界で奏でられる雅な調べのよう。
次の「環礁」は恐らく初めて聴いた。図形楽譜が用いられているというこの曲は、透徹とした厳しさの中に、キラリと光る美しさがある。大岡信の意味深長な、というかよくわからない詩を、日本語を母国語としないソプラノのクレア・ブースが歌に乗せることで、声の官能的な魅力や、意味を表す記号としてではなく発せられる言葉の響きそのものが鮮烈な印象を投げかけ、前衛的な異次元の世界へと導いて行った。武満の若い息吹が伝わる意欲的な作品だ。
強いインパクトを受けた前半の2曲に比べると、後半の3曲の印象はいまひとつ弱かった。オーケストラの音色により色彩感が求められる「グリーン」や「夢の引用」で、オケは十分良い音を出してはいたのだが、純度の高い結晶だけが放つような色彩の妙を醸し出すためには、更にアンサンブルが磨かれることが求められているように感じた。それと、「夢の引用」で引用されているドビュッシーの「海」が、あまりにはっきりと、あちこちで顔を覗かせることで、せっかく多くの魅力を持ちながら、武満のオリジナリティーが損なわれてしまってはいまいか、という作品そのものへの疑問を感じたことも、インパクトを弱めた要因かも知れない。
とは言え、「グリーン」での調性感と非調性感の間で保たれる緊張感のある気高い均衡の魅力、今夜の演奏会で唯一取り上げられた、武満が還暦を過ぎてからの作品((夢の引用)で至った、調性に回帰しながらも普遍的で宇宙的な境地を、ナッセン/東フィル、高橋とスーの磨かれたタッチの演奏で覗くことができた。
このようなオール・タケミツの、しかもオーケストラ作品をまとめて聴けるのも、武満イヤーならでは。終演後にステージに呼び出された武満さんが、ちょっと照れくさそうに、でもこぼれる笑顔で嬉しそうにナッセンやソリスト達と握手をする姿が目に浮かぶようだった。
パーヴォ・ヤルヴィ指揮 N響の武満(2016.9.15 サントリーホール)
武満徹 室内楽作品演奏会(2016.6.25 トッパンホール)
CDリリースのお知らせ
さびしいみすゞ、かなしいみすゞ ~金子みすゞの詩による歌曲集~
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東京オペラシティコンサートホール:タケミツメモリアル
【曲目】
1.武満 徹/地平線のドーリア(1966)
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2. 武満 徹/環礁 ─ ソプラノとオーケストラのための(1962)
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3. 武満 徹/テクスチュアズ ─ ピアノとオーケストラのための(1964)
4. 武満 徹/グリーン(1967)
5. 武満 徹/夢の引用 ─ Say sea, take me! ─ 2台ピアノとオーケストラのための(1991)
【演奏】
S:クレア・ブース(2)/Pf:高橋悠治(3,5)、ジュリア・スー(5)
オリヴァー・ナッセン指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
武満イヤーを飾るにふさわしい大きなコンサートが、東京オペラシティ・タケミツメモリアルで行われた。武満のオーケストラ作品が通常の演奏会で取り上げられることは少なくないが、弦楽のためのレクイエムや映画音楽などに偏りがち。今夜は演奏頻度が少ないながら、特に初期の優れた作品を中心に、武満の世界に触れることができる意義深い演奏会となった。
指揮は、武満との親交も深く、生前から武満作品を積極的に世界に紹介してきたオリヴァー・ナッセン。もう一人の大切な友人で、武満の優れた演奏者でもあるピアニストのピーター・ゼルキンが、病気のため来日できなくなり、やはり武満の音楽の良き理解者である高橋悠治が代わりを務めた。会場はビックリするほどの超満員。現代音楽の演奏会にお客が集まらないことを嘆いていた武満先生はさぞ驚くことだろう。とは言え、今夜集まった聴衆の多くは「現代音楽を聴きに来た」という意識は希薄に違いない。
そんな聴衆にとって最初の「地平線のドーリア」はどんな風に聴こえただろうか。武満の「歌」や映画音楽のイメージとは違って面食らったかも知れないが、そこから何かメッセージを受け取った人も少なくないだろう。僕は今回この曲を何度目かに実演で聴いて、日本人のスピリッツのようなものを感じた。武満は自らの音楽に日本的なものを敢えて取り入れることはしなかったが、武満作品の多くから、この感覚が伝わることは少なくない。但し、それは演奏自体がとてもピュアでなければならない。そうした意味から、今夜のナッセン指揮 東フィルの弦楽器プレイヤーの演奏は、そうした精神性に触れる優れたものだったと言える。プログラムノートに書いてあったように、弦楽器だけで奏でられているとは思われない音、具体的には、フルートやサックスなどの柔らかな木管楽器の音が聴こえてきた。それは天上界で奏でられる雅な調べのよう。
次の「環礁」は恐らく初めて聴いた。図形楽譜が用いられているというこの曲は、透徹とした厳しさの中に、キラリと光る美しさがある。大岡信の意味深長な、というかよくわからない詩を、日本語を母国語としないソプラノのクレア・ブースが歌に乗せることで、声の官能的な魅力や、意味を表す記号としてではなく発せられる言葉の響きそのものが鮮烈な印象を投げかけ、前衛的な異次元の世界へと導いて行った。武満の若い息吹が伝わる意欲的な作品だ。
強いインパクトを受けた前半の2曲に比べると、後半の3曲の印象はいまひとつ弱かった。オーケストラの音色により色彩感が求められる「グリーン」や「夢の引用」で、オケは十分良い音を出してはいたのだが、純度の高い結晶だけが放つような色彩の妙を醸し出すためには、更にアンサンブルが磨かれることが求められているように感じた。それと、「夢の引用」で引用されているドビュッシーの「海」が、あまりにはっきりと、あちこちで顔を覗かせることで、せっかく多くの魅力を持ちながら、武満のオリジナリティーが損なわれてしまってはいまいか、という作品そのものへの疑問を感じたことも、インパクトを弱めた要因かも知れない。
とは言え、「グリーン」での調性感と非調性感の間で保たれる緊張感のある気高い均衡の魅力、今夜の演奏会で唯一取り上げられた、武満が還暦を過ぎてからの作品((夢の引用)で至った、調性に回帰しながらも普遍的で宇宙的な境地を、ナッセン/東フィル、高橋とスーの磨かれたタッチの演奏で覗くことができた。
このようなオール・タケミツの、しかもオーケストラ作品をまとめて聴けるのも、武満イヤーならでは。終演後にステージに呼び出された武満さんが、ちょっと照れくさそうに、でもこぼれる笑顔で嬉しそうにナッセンやソリスト達と握手をする姿が目に浮かぶようだった。
パーヴォ・ヤルヴィ指揮 N響の武満(2016.9.15 サントリーホール)
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