12月3日(木)作曲家 ペーテル・エトヴェシュ
藝大21 創造の杜 2024 The Museum of Creativity
東京藝術大学奏楽堂
【曲目】
1.セイレーンの歌 (2020)
2.スピーキング・ドラム (2012/2013)
3.フォーカス (2021)
4.鷲は音もなく大空を舞い
【演奏】
Perc:藤本隆文(2)/Sax:須川展也(3)
ジョルト・ナジ指揮 藝大フィルハーモニア管弦楽団
ペーテル・エトヴェシュは今年の3月に80歳で亡くなったハンガリーの作曲家で、アンサンブル・アンテルコンタンポランの音楽監督を長年務めたり、武満徹作曲賞の審査員を務めたりした。僕には馴染みがなかったが、大規模なオーケストラによる作曲家の個展での新たな出会いを期待して出かけた。
比較的近作の4曲の中で最もインパクトが強かったのは「スピーキング・ドラム」。これは殆どパーカッショニスト、藤本隆文の独壇場。曲のタイトル通りソリストが様々な打楽器を演奏するだけでなく(道路標識も!)、終始声を発する。その声は叫びとなってパーカッションと共に一つの楽器として音楽が繰り広げられていった。藤本氏の「イっちゃってる」即興的なパフォーマンスは、人間の原初的な衝動をストレートに吐露しているようで、鮮烈でエキサイティングなステージとなった。そもそもパーカッションはインパクトの強い楽器で耳を引くものだが、この演奏からはエトヴェシュの作曲の冴えや熱い思いが伝わって来た。
須川展也が2種類のサックス(ソプラノとテナー?)を演奏した「フォーカス」も耳を引いた。サックスの音色とオケの響きが合わさって生まれる響きに新鮮さを感じた。大編成のオケで演奏した最後の「鷲は音もなく大空を舞い」は、カホンという箱のようなバスク地方の民族打楽器が指揮者の両サイドに置かれ、素朴で力強いリズムを刻んでいたのが印象的だった。
こうしてみると印象に残ったのはソロのパフォーマンスばかりで、オケから伝わってくるものがなかった。開演前のプレトークで、ナジ氏がエトヴェシュは特定の作風を持たず多彩な音楽を書いたと話していた。確かに強烈な個性がオケからは伝わって来なかったが、これはエトヴェシュの音楽自体の問題というより、演奏の問題のような気がした。
指揮のジョルト・ナジは、エトヴェシュと長年に渡り深い親交があり、エトヴェシュの音楽を知り尽くしているようだが、指揮を見ているとオケの交通整理を淡々と行っているようで、それがそのまま真面目な演奏に反映されている感じ。最初の「セイレーンの歌」は、新作の試奏を聴いているようだった。もっと熱く訴えてくるものがあるはずと思うところもあったのだが。藝大フィルハーモニアは一昔前の日本の生真面目なオケという印象。パッションが伝わって来ず、作品にどれほど共感し、何をどう伝えたいかというメッセージが感じられなかった。藝大の教員が主メンバーということだが若いメンバーも多いし、もう少し「熱さ」があってもいいのではないだろうか。
演奏内容とは関係ないし、もう触れたくもないのだが、奏楽堂では「コロナ感染予防のため」と称してマスクの着用推奨や、客同士の会話の自粛、ブラボー発声時のマスク着用など、何度も長々と場内アナウンスが入って久々にうんざりした。永久に続けるつもり?藝大のこうした姿勢は、いつまでも学生の活動を制限していたこととも繋がるのだろう。締め付けから芸術は生まれない。
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Perc:藤本隆文(2)/Sax:須川展也(3)
ジョルト・ナジ指揮 藝大フィルハーモニア管弦楽団
ペーテル・エトヴェシュは今年の3月に80歳で亡くなったハンガリーの作曲家で、アンサンブル・アンテルコンタンポランの音楽監督を長年務めたり、武満徹作曲賞の審査員を務めたりした。僕には馴染みがなかったが、大規模なオーケストラによる作曲家の個展での新たな出会いを期待して出かけた。
比較的近作の4曲の中で最もインパクトが強かったのは「スピーキング・ドラム」。これは殆どパーカッショニスト、藤本隆文の独壇場。曲のタイトル通りソリストが様々な打楽器を演奏するだけでなく(道路標識も!)、終始声を発する。その声は叫びとなってパーカッションと共に一つの楽器として音楽が繰り広げられていった。藤本氏の「イっちゃってる」即興的なパフォーマンスは、人間の原初的な衝動をストレートに吐露しているようで、鮮烈でエキサイティングなステージとなった。そもそもパーカッションはインパクトの強い楽器で耳を引くものだが、この演奏からはエトヴェシュの作曲の冴えや熱い思いが伝わって来た。
須川展也が2種類のサックス(ソプラノとテナー?)を演奏した「フォーカス」も耳を引いた。サックスの音色とオケの響きが合わさって生まれる響きに新鮮さを感じた。大編成のオケで演奏した最後の「鷲は音もなく大空を舞い」は、カホンという箱のようなバスク地方の民族打楽器が指揮者の両サイドに置かれ、素朴で力強いリズムを刻んでいたのが印象的だった。
こうしてみると印象に残ったのはソロのパフォーマンスばかりで、オケから伝わってくるものがなかった。開演前のプレトークで、ナジ氏がエトヴェシュは特定の作風を持たず多彩な音楽を書いたと話していた。確かに強烈な個性がオケからは伝わって来なかったが、これはエトヴェシュの音楽自体の問題というより、演奏の問題のような気がした。
指揮のジョルト・ナジは、エトヴェシュと長年に渡り深い親交があり、エトヴェシュの音楽を知り尽くしているようだが、指揮を見ているとオケの交通整理を淡々と行っているようで、それがそのまま真面目な演奏に反映されている感じ。最初の「セイレーンの歌」は、新作の試奏を聴いているようだった。もっと熱く訴えてくるものがあるはずと思うところもあったのだが。藝大フィルハーモニアは一昔前の日本の生真面目なオケという印象。パッションが伝わって来ず、作品にどれほど共感し、何をどう伝えたいかというメッセージが感じられなかった。藝大の教員が主メンバーということだが若いメンバーも多いし、もう少し「熱さ」があってもいいのではないだろうか。
演奏内容とは関係ないし、もう触れたくもないのだが、奏楽堂では「コロナ感染予防のため」と称してマスクの着用推奨や、客同士の会話の自粛、ブラボー発声時のマスク着用など、何度も長々と場内アナウンスが入って久々にうんざりした。永久に続けるつもり?藝大のこうした姿勢は、いつまでも学生の活動を制限していたこととも繋がるのだろう。締め付けから芸術は生まれない。
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