8月31日(木)マリス・ヤンソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
ザルツブルク・祝祭大劇場
1. モーツァルト/交響曲第23番二長調K.181(162b)
2. モーツァルト/ピアノ協奏曲二短調K.466
Pf:アルフレート・ブレンデル
3. ヘンツェ/夢見るセバスチャン(2004)
4.モーツァルト/交響曲第33番変ロ長調K.319
【アンコール】
1. モーツァルト/「フィガロの結婚」序曲
2.ルチツカ/オーケストラのためのスケッチ「祝福と呪い」(Das Gesegnete, das Verfluchte)
今シーズンのザルツブルク音楽祭ファイナルの公演を聴いた。モーツァルトとザルツブルクに敬意を表し、モーツァルトのザルツブルク時代のシンフォニーが2曲演奏され、そこに名曲の誉れ高いニ短調のピアノ協奏曲がブレンデルのソロで花を添える、という魅力溢れるプログラム。しかし、モーツァルトに関してはちょっと期待外れのところもあった。
冒頭のシンフォニーは活き活きとしたフレッシュな演奏で好感を持ったが、多少硬さを感じた。続くピアノコンチェルトのブレンデルのソロは素晴らしい。落着いた秋の色でとつとつと歌を紡ぎ出す。何気ない表情が陰影に富んだ表現をつくる。人生を重ね、年輪を刻んだ音を感じた。第2楽章では随所に装飾をほどこしていたが、それが反って内面へと入り込んでいくように感じた。
後半の冒頭に置かれたハンス・ウェルナー・ヘンツェの現代曲「夢見るセバスチャン」は大変充実した演奏だった。12音風の弦のつぶやきで始まった音楽は間もなくリズムや構造をはっきりと現し、柔軟な息遣いで進んで行く。3部構成で切れ目なしに演奏されるが、最後の盛り上がりはあっけなく終わってしまい、もっと聴いていたい気分。しなやかな力がみなぎる演奏で、ヤンソンス/コンセルトヘボウの本領発揮といったところ。但し、このフェスティヴァルに着飾ってやって来たお祭り気分の聴衆の反応は非常に冷めたものだった。前の列にいたおばさんも、途中で困った表情で何べんも顔をしかめていた。
最後の曲目のモーツァルトの33番のシンフォニーは、ヘンツェの好演もあって期待したが、残念ながらヤンソンスはモーツァルトをいじり過ぎ。やりたいことはわからないではないが、それが音楽の自然な流れ、歌、息遣いを壊してしまっている。モーツァルトはもっともっと自由に解き放たれなければ窒息してしまう。音の伸びも感じられない。ただ、最後の4楽章だけは活き活きとしたテンポとリズムで気分を乗せてくれた。最初からこうしてくれれば良かったのに…
アンコールでフィガロを聴けたのは嬉しかった。引き締まったフォルム、小気味の良いテンポ、密度が濃くかつ軽快さも失わない。でもやっぱり完全に解き放たれたとまでは行かないのがヤンソンスのモーツァルトか?
この公演は最終公演とあって、この後フェスティヴァル総裁のラブル=シュタットラー氏が挨拶を述べ、今回のフェスティヴァルで任期を終えるというインテンダントで、作曲家でもあるペーター・ルチツカ氏への謝辞が述べられたあと、ルチツカの小品が演奏された。短い曲だったが、やっぱりヤンソンスはこういった音楽をやった方がずっと実力を発揮するのでは、と感じた。
ザルツブルク・祝祭大劇場
1. モーツァルト/交響曲第23番二長調K.181(162b)
2. モーツァルト/ピアノ協奏曲二短調K.466
Pf:アルフレート・ブレンデル
3. ヘンツェ/夢見るセバスチャン(2004)
4.モーツァルト/交響曲第33番変ロ長調K.319
【アンコール】
1. モーツァルト/「フィガロの結婚」序曲
2.ルチツカ/オーケストラのためのスケッチ「祝福と呪い」(Das Gesegnete, das Verfluchte)
今シーズンのザルツブルク音楽祭ファイナルの公演を聴いた。モーツァルトとザルツブルクに敬意を表し、モーツァルトのザルツブルク時代のシンフォニーが2曲演奏され、そこに名曲の誉れ高いニ短調のピアノ協奏曲がブレンデルのソロで花を添える、という魅力溢れるプログラム。しかし、モーツァルトに関してはちょっと期待外れのところもあった。
冒頭のシンフォニーは活き活きとしたフレッシュな演奏で好感を持ったが、多少硬さを感じた。続くピアノコンチェルトのブレンデルのソロは素晴らしい。落着いた秋の色でとつとつと歌を紡ぎ出す。何気ない表情が陰影に富んだ表現をつくる。人生を重ね、年輪を刻んだ音を感じた。第2楽章では随所に装飾をほどこしていたが、それが反って内面へと入り込んでいくように感じた。
後半の冒頭に置かれたハンス・ウェルナー・ヘンツェの現代曲「夢見るセバスチャン」は大変充実した演奏だった。12音風の弦のつぶやきで始まった音楽は間もなくリズムや構造をはっきりと現し、柔軟な息遣いで進んで行く。3部構成で切れ目なしに演奏されるが、最後の盛り上がりはあっけなく終わってしまい、もっと聴いていたい気分。しなやかな力がみなぎる演奏で、ヤンソンス/コンセルトヘボウの本領発揮といったところ。但し、このフェスティヴァルに着飾ってやって来たお祭り気分の聴衆の反応は非常に冷めたものだった。前の列にいたおばさんも、途中で困った表情で何べんも顔をしかめていた。
最後の曲目のモーツァルトの33番のシンフォニーは、ヘンツェの好演もあって期待したが、残念ながらヤンソンスはモーツァルトをいじり過ぎ。やりたいことはわからないではないが、それが音楽の自然な流れ、歌、息遣いを壊してしまっている。モーツァルトはもっともっと自由に解き放たれなければ窒息してしまう。音の伸びも感じられない。ただ、最後の4楽章だけは活き活きとしたテンポとリズムで気分を乗せてくれた。最初からこうしてくれれば良かったのに…
アンコールでフィガロを聴けたのは嬉しかった。引き締まったフォルム、小気味の良いテンポ、密度が濃くかつ軽快さも失わない。でもやっぱり完全に解き放たれたとまでは行かないのがヤンソンスのモーツァルトか?
この公演は最終公演とあって、この後フェスティヴァル総裁のラブル=シュタットラー氏が挨拶を述べ、今回のフェスティヴァルで任期を終えるというインテンダントで、作曲家でもあるペーター・ルチツカ氏への謝辞が述べられたあと、ルチツカの小品が演奏された。短い曲だったが、やっぱりヤンソンスはこういった音楽をやった方がずっと実力を発揮するのでは、と感じた。
もっぱら、『午後の曳航』のことばかりに興味を持っていたのですが、、、、。この公演の評判などはお聞きになりましたでしょうか?