9月27日(水)ウラディーミル・アシュケナージ指揮 NHK交響楽団
《10月Bプロ》 サントリーホール
【曲目】
1.ベートーヴェン/交響曲第2番二長調Op.36
2.ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調Op.55「英 雄」
アシュケナージ/N響がまた会心の演奏を聴かせてくれた。第2シンフォニーは落着いた響きの堅実で渋めの演奏で、良く言えば「通好み」だが面白みという意味では物足りなさを感じた。
ところが後半のエロイカは最初のトゥッティの2打音からしてオケに別の魂が乗り移ったような音が響いた。そして前のめりなほどのアジタート気味の第1主題ではもう聴く者をどこか別の場所へさらって行ってしまうほどの力に溢れていた。そうした緊迫感と、それと隣り合わせに置かれた弛緩との明快な対比は実に見事。まさに「生きた」その場で音楽が生み出されているような新鮮さとエネルギーに満ちた第1楽章。
第2楽章は心に差し込むような、魂の奥底をえぐるような悲痛な歌が聴こえた。第3楽章では、3本のホルンが踊り狂っているような痛快なトリオが最高。アシュケナージはホルンに、この3楽章に限らず、第2シンフォニーにおいてもかなり主役的な目立つ役割を与えていたように感じ、そしてホルンはそうしたアシュケナージの期待の更に上を行くような見事な唇さばきと呼吸で応えていた。今夜の1番さんは誰だったかちょっとわからない。
ソロ楽器の活躍はホルンだけではない。第2楽章の茂木さんのオーボエも大胆でかつ深い音色を湛えていたし、ファゴットやクラリネットも大いに存在感を発揮していた。フルートの中野さん?も天に射す光のような鮮やかな音を聴かせてくれたが、今夜の演奏が始まる前に周辺の人たちと握手を交わしていたのは何故だろう?
ソロ楽器達の大活躍、それに、以心伝心の敏感で鋭く、活きの良い弦(コンマスは堀さん)が大いに盛り立て、第1楽章から続いたアシュケナージ/N響の乗りに乗った波は第4楽章で更に大きなものとなり、見事なクライマックスを築いた。それは大きな塊として押しかけてくるというより、ひとつひとつの線が鮮やかで力強い筆致で描かれ、それが多彩な束となって高みへとつながって行くよう。その透明度の高さと深さは、アシュケナージの音楽への深くて明晰な読みからもたらされているように思う。アシュケナージの弾くベートーヴェンのソナタの演奏を思い起こす。
コーダは全曲の総決算のごとく壮大に鳴り響き、もう全身がジンジンときた。最後の最後でヴァイオリン1列目、3か4プルトの奏者が弓を飛ばしてしまったのにはちょっとびっくりしたが、そういう事故は見てしまうと聴くことへの集中がぶち切れてしまうので、敢えてそこからは目をそらし、最後の1打に酔いしれた。
こんなすごいエロイカは1992年にサントリーホールで聴いたシュタイン/N響以来かも! (この放送の録音持っている方、いませんか???)
この前のショスタコの4番もそうだったが、アシュケナージとN響は益々すごい演奏をするようになってきた。もう「アシュケナージ更迭」なんて誰にも言わせない。これからも数々の名演を生んでいってくれることを確信した。
《10月Bプロ》 サントリーホール
【曲目】
1.ベートーヴェン/交響曲第2番二長調Op.36
2.ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調Op.55「英 雄」
アシュケナージ/N響がまた会心の演奏を聴かせてくれた。第2シンフォニーは落着いた響きの堅実で渋めの演奏で、良く言えば「通好み」だが面白みという意味では物足りなさを感じた。
ところが後半のエロイカは最初のトゥッティの2打音からしてオケに別の魂が乗り移ったような音が響いた。そして前のめりなほどのアジタート気味の第1主題ではもう聴く者をどこか別の場所へさらって行ってしまうほどの力に溢れていた。そうした緊迫感と、それと隣り合わせに置かれた弛緩との明快な対比は実に見事。まさに「生きた」その場で音楽が生み出されているような新鮮さとエネルギーに満ちた第1楽章。
第2楽章は心に差し込むような、魂の奥底をえぐるような悲痛な歌が聴こえた。第3楽章では、3本のホルンが踊り狂っているような痛快なトリオが最高。アシュケナージはホルンに、この3楽章に限らず、第2シンフォニーにおいてもかなり主役的な目立つ役割を与えていたように感じ、そしてホルンはそうしたアシュケナージの期待の更に上を行くような見事な唇さばきと呼吸で応えていた。今夜の1番さんは誰だったかちょっとわからない。
ソロ楽器の活躍はホルンだけではない。第2楽章の茂木さんのオーボエも大胆でかつ深い音色を湛えていたし、ファゴットやクラリネットも大いに存在感を発揮していた。フルートの中野さん?も天に射す光のような鮮やかな音を聴かせてくれたが、今夜の演奏が始まる前に周辺の人たちと握手を交わしていたのは何故だろう?
ソロ楽器達の大活躍、それに、以心伝心の敏感で鋭く、活きの良い弦(コンマスは堀さん)が大いに盛り立て、第1楽章から続いたアシュケナージ/N響の乗りに乗った波は第4楽章で更に大きなものとなり、見事なクライマックスを築いた。それは大きな塊として押しかけてくるというより、ひとつひとつの線が鮮やかで力強い筆致で描かれ、それが多彩な束となって高みへとつながって行くよう。その透明度の高さと深さは、アシュケナージの音楽への深くて明晰な読みからもたらされているように思う。アシュケナージの弾くベートーヴェンのソナタの演奏を思い起こす。
コーダは全曲の総決算のごとく壮大に鳴り響き、もう全身がジンジンときた。最後の最後でヴァイオリン1列目、3か4プルトの奏者が弓を飛ばしてしまったのにはちょっとびっくりしたが、そういう事故は見てしまうと聴くことへの集中がぶち切れてしまうので、敢えてそこからは目をそらし、最後の1打に酔いしれた。
こんなすごいエロイカは1992年にサントリーホールで聴いたシュタイン/N響以来かも! (この放送の録音持っている方、いませんか???)
この前のショスタコの4番もそうだったが、アシュケナージとN響は益々すごい演奏をするようになってきた。もう「アシュケナージ更迭」なんて誰にも言わせない。これからも数々の名演を生んでいってくれることを確信した。
ホルン1番客演は、NJP首席吉永さんでした