5月8日(水)ペーター・レーゼル(Pf)
Impressionen aus Paris<パリのおもむき>
紀尾井ホール
【曲目】
1.モーツァルト/ピアノ・ソナタ第13番変ロ長調 K.333
2.ドビュッシー/版画
3.ドビュッシー/子供の領分
4.フランク/前奏曲、コラールとフーガ ロ短調
【アンコール】
1.モーツァルト/トルコ行進曲
2.ドビュッシー/月の光
ベートーヴェンのソナタの全曲演奏会に魅せられて以来、紀尾井ホールでのペーター・レーゼルの演奏会はできるだけ出かけるようにしているが、今夜は2年振りに聴くリサイタルとなった。プログラムの中心はドビュッシー。レーゼルのイメージとは遠いところにあったが、新たなドビュッシーとの出逢いがあった。
その前にモーツァルト。先月、ピリスの名演で聴いたソナタだが、今夜の演奏はレーゼルの顔の表情同様に平然とした表情で進み、淡白とさえ云える。実直な職人気質とも云える演奏からモーツァルトの神髄のようなものを感じられれば良かったのだが、もっと歌が、もっと色彩があればなあ、という思いが最後まで残った。2年前に聴いたモーツァルトは、歌に溢れ、チャーミングとさえ感じたのだが…。
このスタイルでドビュッシーをやったらどんな風になるかイメージが湧かなかったが、「版画」では最初から惹き付けられた。レーゼルのドビュッシーは明晰で堅牢。「版画」の第1曲「塔」では、何層にも分かれた声部が噛み合う逞しさと、細部の緻密さが、鮮やかに提示された。「グラナダの夕べ」や「雨の庭」でも、薄モヤがかかったりせず、一つ一つの声部が静かに語り合い、くっきりしたシーンとして結実する。それは、「印象派」という呼び方でイメージする曖昧さや「何となくいい感じ」などとは対極にある、ピタリと対象物に焦点が合った目にも鮮やかな情景だ。
後半の「子供の領分」で特に引かれたのは「語り」の雄弁さだ。レーゼルは、どの曲でもリズムのタイミングを微妙にずらして、人間味溢れる語りの息遣いを与える。思い入れたっぷりというのではなく、内面から滲み出てくるような仄かな匂いのようなもの。例えば、黒だけ、或いはせいぜい2色か3色刷りの木版画で表現された、力強くかつ繊細に躍動するフォルムのよう。「子供の領分」の各曲が示す印象的なテーマが、くっきりと雄弁に描かれる様子にグイグイと引き込まれていった。
レーゼルの演奏を聴くと、ドビュッシーの音楽がいかに緻密に書かれ、しなやかな構成美に貫かれているかがわかる。その根底では、ベートーヴェンと繋がっているとさえ感じた。ドビュッシーの音楽は、レーゼルのような演奏によって、また異なる魅力を放つことがわかった。記念すべきアニバーサリーイヤーのドビュッシー再発見。
締めのフランクは、鮮明で堂々とした姿が浮かび上がった。前奏曲やコラールでは、美しいモザイクが施された修道院の柱廊に囲まれた中庭に明るい光が差し込む様子が、そしてフーガでは、以前訪れたイタリアのオルヴィエートという町にある壮麗な大聖堂のファサードが、夕日に照らされて神々しく絢爛に輝いている様子が思い浮かんだ。
モーツァルトでは乏しいと感じた音色が、ここでは極彩色を放ったわけだが、レーゼルのアプローチは常に、緻密、クリア、しなやかな構成美、そして、音楽全体が雄弁に「語って」くるという点で変わりはなく、揺るぎがない。名匠ペーター・レーゼルの神髄を聴いた思いがした。
ペーター・レーゼル リサイタル 2016.5.11 紀尾井ホール
オルヴィエート ~美しすぎるドゥオーモのある中世の町~
ブログ管理人作曲によるCD
さびしいみすゞ、かなしいみすゞ ~金子みすゞの詩による歌曲集~(MS:小泉詠子/Pf:田中梢)
拡散希望記事!やめよう!エスカレーターの片側空け
Impressionen aus Paris<パリのおもむき>
紀尾井ホール
【曲目】
1.モーツァルト/ピアノ・ソナタ第13番変ロ長調 K.333
2.ドビュッシー/版画
3.ドビュッシー/子供の領分
4.フランク/前奏曲、コラールとフーガ ロ短調
【アンコール】
1.モーツァルト/トルコ行進曲
2.ドビュッシー/月の光
ベートーヴェンのソナタの全曲演奏会に魅せられて以来、紀尾井ホールでのペーター・レーゼルの演奏会はできるだけ出かけるようにしているが、今夜は2年振りに聴くリサイタルとなった。プログラムの中心はドビュッシー。レーゼルのイメージとは遠いところにあったが、新たなドビュッシーとの出逢いがあった。
その前にモーツァルト。先月、ピリスの名演で聴いたソナタだが、今夜の演奏はレーゼルの顔の表情同様に平然とした表情で進み、淡白とさえ云える。実直な職人気質とも云える演奏からモーツァルトの神髄のようなものを感じられれば良かったのだが、もっと歌が、もっと色彩があればなあ、という思いが最後まで残った。2年前に聴いたモーツァルトは、歌に溢れ、チャーミングとさえ感じたのだが…。
このスタイルでドビュッシーをやったらどんな風になるかイメージが湧かなかったが、「版画」では最初から惹き付けられた。レーゼルのドビュッシーは明晰で堅牢。「版画」の第1曲「塔」では、何層にも分かれた声部が噛み合う逞しさと、細部の緻密さが、鮮やかに提示された。「グラナダの夕べ」や「雨の庭」でも、薄モヤがかかったりせず、一つ一つの声部が静かに語り合い、くっきりしたシーンとして結実する。それは、「印象派」という呼び方でイメージする曖昧さや「何となくいい感じ」などとは対極にある、ピタリと対象物に焦点が合った目にも鮮やかな情景だ。
後半の「子供の領分」で特に引かれたのは「語り」の雄弁さだ。レーゼルは、どの曲でもリズムのタイミングを微妙にずらして、人間味溢れる語りの息遣いを与える。思い入れたっぷりというのではなく、内面から滲み出てくるような仄かな匂いのようなもの。例えば、黒だけ、或いはせいぜい2色か3色刷りの木版画で表現された、力強くかつ繊細に躍動するフォルムのよう。「子供の領分」の各曲が示す印象的なテーマが、くっきりと雄弁に描かれる様子にグイグイと引き込まれていった。
レーゼルの演奏を聴くと、ドビュッシーの音楽がいかに緻密に書かれ、しなやかな構成美に貫かれているかがわかる。その根底では、ベートーヴェンと繋がっているとさえ感じた。ドビュッシーの音楽は、レーゼルのような演奏によって、また異なる魅力を放つことがわかった。記念すべきアニバーサリーイヤーのドビュッシー再発見。
締めのフランクは、鮮明で堂々とした姿が浮かび上がった。前奏曲やコラールでは、美しいモザイクが施された修道院の柱廊に囲まれた中庭に明るい光が差し込む様子が、そしてフーガでは、以前訪れたイタリアのオルヴィエートという町にある壮麗な大聖堂のファサードが、夕日に照らされて神々しく絢爛に輝いている様子が思い浮かんだ。
モーツァルトでは乏しいと感じた音色が、ここでは極彩色を放ったわけだが、レーゼルのアプローチは常に、緻密、クリア、しなやかな構成美、そして、音楽全体が雄弁に「語って」くるという点で変わりはなく、揺るぎがない。名匠ペーター・レーゼルの神髄を聴いた思いがした。
ペーター・レーゼル リサイタル 2016.5.11 紀尾井ホール
オルヴィエート ~美しすぎるドゥオーモのある中世の町~
ブログ管理人作曲によるCD
さびしいみすゞ、かなしいみすゞ ~金子みすゞの詩による歌曲集~(MS:小泉詠子/Pf:田中梢)
拡散希望記事!やめよう!エスカレーターの片側空け