Lupinus-ルピナス-

絵本のルピナスさんのように自分なりの「世の中を美しくすること」を見つけたいと思っています。

ポネット

2006年08月17日 | 日々のこと
お盆に初めて娘が私の実家に一人でお泊りに行きました。
一人になった時間をどう過ごそう?と気持ちははやりましたが、その日は首から肩にかけて重い感じがして、体が何か気持ち悪く、何もする気が起きず。結局、夕方までうだうだしていました。
でも映画がみたいな~と急に思い立って、『ハチミツとクローバー』が近くの映画館でレイトショーをやっているのを思い出し、まだ仕事中のだんなさんに映画をみようよ~と誘いました。

けれど、話し合いの結果、どこかでごはんを食べてから家でDVDでも見よう、ということになりました。
借りたのは『ハウルの動く城』と『ポネット』。

ポネットは上映していたときからずーっと見たいと思いつつ、見ていなかった映画でした。以前テレビで紹介されているのをたまたまみたとき、泣けてきてしょうがなかったのです。
お話は、交通事故でお母さんを突然亡くしてしまった女の子がお母さんの死を理解できず、お母さんが戻ってくるよういろいろ試みます。でも、周りの大人からはそんなポネットにそれぞれの認識で死について教えますが、ポネットの願いはお母さんが戻ってくることただひとつ。それをずっと貫き通しますが、なかなかお母さんは帰ってきてくれません。そして最後に奇跡が起こります。

たぶん、ポネットは4,5歳くらいの設定だと思いますが、この頃の子どもが死に直面したら、たしかにこういう行動をとるだろうなあ。まだファンタジーの世界の住人であるから、想像力を駆使して、「お母さんと会った」と本当に会えなくても思ってしまうだろうし、会えるためのありとあらゆる方法を考え出すでしょう。
映画はお涙ちょうだいものではなく、淡々と描いていて、最初は自分に置き換えてしまって、設定だけで泣いていた私も、途中から冷静に見ることができました。

でも、こどもは本当に優しくて残酷。ポネットの周りの子どもたちは、母が戻ってくると信じているポネットに、ときにはそれを助け、そして「死んだら帰ってくるわけない」と言い放つときも。
一番つらかったのが、「おまえがいい子じゃないから、ママが死んだんだ」と友達に言われたとき。
これはポネットの気持ちになってもつらいけれど、私は母親としての立場で聞いてもつらかった。絶対そんなことないのよ―と思っても、画面のポネットに言葉が届くはずもなく、私はまるで死んだ母親と同じ存在。

最後に幽霊なのか、幻なのかお母さんが出てきて、ポネットに「人生を楽しみなさい」と言って消えてしまいました。
これでポネットは心の中で一区切りができたようです。

もし私が同じ状況になったとしたら、娘になんと言うのだろう?
そんなことを考えてしまいました。
でも生きているときに、自分が伝えたい何かを娘にきちんと話せるのかな。
毎日に流されて、そして命が有限であるのはわかっているのに、無限な気がしてかえってそういうことを先延ばしにする気がします。
でも、改めて話さなくても、毎日の生活で伝わるものはある気がします。
それは子どもが大人になって自分で感じるものなのでしょうか。
娘はどう感じるのかな。


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