自分の生まれた場所がなんか自分としっくりこないと気づいたのは高校生くらいでした。
その土地柄というものが、自分と合ってないんだなあ…と。
私の実家がある地域は、なんとなく田舎で、ヤンキーの人たちも多いところなんですけどね(笑)。
ずっとぼーっとしていた子どもだったので、自我が出たのは小5のとき。
いろいろ目標をもったり、美意識がでてきたのもこのころから。
でも、その自分がやりたいことと周りの雰囲気が違っていたので、自分のそのままは出せずにいたので窮屈でした(そのころは深く意識はしていなかったけど)。
例えば、今、私はクラシック音楽が好きだけれど、そのころクラシックが好きだったとしたら、周りから浮いたと思います。
ヤンキー的なものが流行っていて、特に公立の中学時代は人と違うことをしているのが許されない雰囲気があったり、そういうものは「暗い」といわれて却下されていただろうなあ…。
でも、まだ子どもで自分が与えられた場所を変えるということもできなかったから、なんとなく違和感をもちながらも、なんとか表面的には大きな問題にはならず生きていましたね。
高校に受験して入学して、自分の価値観とあう友達ができたことから、なんとなく今までは自分と価値観の違う世界にいたんだな、という自覚が強くでてきたようです。
そして、だんなさんから聞いた中・高時代の話―彼は私立の男子校にいたのですが、管弦楽部に入って、先輩達とクラシック音楽について熱く語り合ったり、自分が興味のあることに対して、誰にも否定されず過ごしてきたそうです。
住む場所や環境により、体験することは様々なんだなあと思いました。
だから、やはり私は自分が生まれた土地に愛着はもてなくて、大学入学以降は、その地域にすむことはありませんでした。
でも、子どもを持って行き来するようになってから、少しずつ見方が変わるようになりました。
今、私が住んでいるところは、公園に木はあるけれど、そのままの手付かずの自然というのがほとんどなくて、私が小さいころ土筆をとったり、シロツメクサで冠を編んだりした経験をさせてあげることができません。
でも、実家に帰ると、自分が子どものときのころのままに、環境がそのまま残されていて、これって実は貴重なことだったのかなと思うようになりました。
母が入院して、背中の痛みに耐えているときも、病室の窓から山が見えて、4月の終わりだったので、山の中腹に様々な色のつつじが咲いていたり、山の緑もまだ若い色合いで、ススキや畑の風景もとてもきれいで、思わずみとれてしまいました。
なんでもない、風景だったんですけれど。
病室から見える風景が少しは母の気持ちを和らげてくれないかなと思いました。それとも母は外をみるどころではなかったのかな…?今となってはわかりませんが。
そして、娘が小学校に入学しましたが、学校では幼稚園のお友達は1人もいなかったので不安だったろうなと思います。
考えてみたら、私は近所の姉妹と仲良しだったので、いつも行きも帰りも一緒に帰っていました。私も幼稚園が同じお友達は男の子だけだったので不安だったのですが、いつもその子たちがいてくれたので安心していました。
そのことに気づいたときに、小さいときは、彼女達の存在があったからやってこれたんだなあと感謝の思いがあふれてきました。
もう、高校になってからは、なかなかつきあいがありませんでしたが、母のお葬式のときにその幼馴染の子も来てくれて、とてもうれしかったです(会えなかったけれど…)
父とも母の死の直後に2人で少しだけ話をしました。
小さいころにあったことは忘れてしまうけれど、無意識の中にストックされている…という話でした。
父も母も私達をとてもかわいがって、そのことはちゃんと私達の中に残っていると。
そして、あまり好きではなかった故郷だけれども、やっぱり楽しい思い出はたくさんあって、普段は気づかないだけで「無意識」の中に大事にしまわれているんだなあと。
なにかの拍子にそれがあふれてきて、こんなに自分にいろんな思いがストックされていたかと時々気づくみたいですね。
なんとなくいつも心地悪さがある場所だったけれど、自分の居場所はあったのかもしれません。
普段淡々と暮らしていると出てこないような自分の中にためていた思いも、身近な人の死がきっかけでいろいろ出てきましたね。やっぱり死というのは、人にとって一大事件であるのだなあ…と思いました。
でも、こんなこと書いてるからといって泣き暮らしていると言うわけではありませんよ♪
ご安心ください。
その土地柄というものが、自分と合ってないんだなあ…と。
私の実家がある地域は、なんとなく田舎で、ヤンキーの人たちも多いところなんですけどね(笑)。
ずっとぼーっとしていた子どもだったので、自我が出たのは小5のとき。
いろいろ目標をもったり、美意識がでてきたのもこのころから。
でも、その自分がやりたいことと周りの雰囲気が違っていたので、自分のそのままは出せずにいたので窮屈でした(そのころは深く意識はしていなかったけど)。
例えば、今、私はクラシック音楽が好きだけれど、そのころクラシックが好きだったとしたら、周りから浮いたと思います。
ヤンキー的なものが流行っていて、特に公立の中学時代は人と違うことをしているのが許されない雰囲気があったり、そういうものは「暗い」といわれて却下されていただろうなあ…。
でも、まだ子どもで自分が与えられた場所を変えるということもできなかったから、なんとなく違和感をもちながらも、なんとか表面的には大きな問題にはならず生きていましたね。
高校に受験して入学して、自分の価値観とあう友達ができたことから、なんとなく今までは自分と価値観の違う世界にいたんだな、という自覚が強くでてきたようです。
そして、だんなさんから聞いた中・高時代の話―彼は私立の男子校にいたのですが、管弦楽部に入って、先輩達とクラシック音楽について熱く語り合ったり、自分が興味のあることに対して、誰にも否定されず過ごしてきたそうです。
住む場所や環境により、体験することは様々なんだなあと思いました。
だから、やはり私は自分が生まれた土地に愛着はもてなくて、大学入学以降は、その地域にすむことはありませんでした。
でも、子どもを持って行き来するようになってから、少しずつ見方が変わるようになりました。
今、私が住んでいるところは、公園に木はあるけれど、そのままの手付かずの自然というのがほとんどなくて、私が小さいころ土筆をとったり、シロツメクサで冠を編んだりした経験をさせてあげることができません。
でも、実家に帰ると、自分が子どものときのころのままに、環境がそのまま残されていて、これって実は貴重なことだったのかなと思うようになりました。
母が入院して、背中の痛みに耐えているときも、病室の窓から山が見えて、4月の終わりだったので、山の中腹に様々な色のつつじが咲いていたり、山の緑もまだ若い色合いで、ススキや畑の風景もとてもきれいで、思わずみとれてしまいました。
なんでもない、風景だったんですけれど。
病室から見える風景が少しは母の気持ちを和らげてくれないかなと思いました。それとも母は外をみるどころではなかったのかな…?今となってはわかりませんが。
そして、娘が小学校に入学しましたが、学校では幼稚園のお友達は1人もいなかったので不安だったろうなと思います。
考えてみたら、私は近所の姉妹と仲良しだったので、いつも行きも帰りも一緒に帰っていました。私も幼稚園が同じお友達は男の子だけだったので不安だったのですが、いつもその子たちがいてくれたので安心していました。
そのことに気づいたときに、小さいときは、彼女達の存在があったからやってこれたんだなあと感謝の思いがあふれてきました。
もう、高校になってからは、なかなかつきあいがありませんでしたが、母のお葬式のときにその幼馴染の子も来てくれて、とてもうれしかったです(会えなかったけれど…)
父とも母の死の直後に2人で少しだけ話をしました。
小さいころにあったことは忘れてしまうけれど、無意識の中にストックされている…という話でした。
父も母も私達をとてもかわいがって、そのことはちゃんと私達の中に残っていると。
そして、あまり好きではなかった故郷だけれども、やっぱり楽しい思い出はたくさんあって、普段は気づかないだけで「無意識」の中に大事にしまわれているんだなあと。
なにかの拍子にそれがあふれてきて、こんなに自分にいろんな思いがストックされていたかと時々気づくみたいですね。
なんとなくいつも心地悪さがある場所だったけれど、自分の居場所はあったのかもしれません。
普段淡々と暮らしていると出てこないような自分の中にためていた思いも、身近な人の死がきっかけでいろいろ出てきましたね。やっぱり死というのは、人にとって一大事件であるのだなあ…と思いました。
でも、こんなこと書いてるからといって泣き暮らしていると言うわけではありませんよ♪
ご安心ください。
Ayakoちゃんのところからきました。
今日のpolinさんの記事を読んで、わたしととても似たような思いをお持ちなんだな~と思いました。
わたしは東京生まれですが、父の仕事の都合で5歳から茨城県に移り、そこで少女時代のすべてを過ごしました。
同じ方言が喋れないから・・父の職業から・・。
理由は、今思えば何でもよかったのかもしれませんが、いつも「私はここには馴染めない。此処は嫌い」と思いながらの少女時代だったと、振り返っていつも思っています。
でも、やはり山に囲まれ、田んぼの緑の移り変わりを見ながら、鳥や虫と仲良く育ったことは、今の私のタカラモノなんです。
だから、polinさんのおっしゃることが、我が事のようにわかる気がします。
・・・大好きなお母様を亡くされて、本当にお寂しいでしょうね。
神様の特別な慰めがありますよう、お祈りしています。
ふみさんも、小さいころ住んでいた場所に私と同じような思いがあったのですね…
それでも、今ではその場所のいいところが見えるようになったこと、
私達はそれに気づくことができて、本当によかったと思います。
大人になってからも、ずっと私の居場所を探していましたが、
この歳になって(笑)ようやく、見えてきたものがあります。
小さいころのそのような違和感がなければ、自分の核となるものに気づけなかったのかも…
母のこともありがとうございます!
ふみさんの温かいお気持ちが、きっと母の元へ届いていると思います♪