もともとそれでよかった♡

すべては自分の中にある

第3の望み。その前提は、これはこれで完全なんだって腑に落ちていること。宇宙はどんなときも、どんな私であっても、愛してくれている。毎瞬有り余るほどの恩寵を降り注いでくれている(1503)

2017-07-21 | ゆきのさん

幸せって意外にカンタン!さんより

幸せになろうとしなくても、あなたは既に幸せそのものだった。真実を、言葉に乗せた波動を通じて伝播したい。そんな試みやってます。
FM熱海湯河原ciao!で毎週土曜22:00~22:30に「幸せってカンタン!」放送中♪♪

全方位から恩寵を受け取れ!-1

2015-03-01 
テーマ:

(途中から)

今日からは、さらに先に進んでいくためのお話をしていこうと思います。
ワークショップでもこれに関しては、かなり強調してお伝えしているのですが、ブログでも伝わったらいいなあ 

それでは行きます。

A→B

これを私たちは長いことやってきたことにお気づきでしょうか?
AをやったらBになる。だからAを頑張るっていう方式。
これずっとやっていますよね。
Bを手に入れるために、Aをするという考え方のことです。
あなたもこれを体験したことがあるはずです。


ところが、これでは全方位から恩寵を受け取れないんです。
だから、この方式に則ってやってきた人は、あまりうまくいかないという体験をすることが多い。

なぜだかお分かりですか?

そうなる理由は大きくいうと2つある。

ひとつには→
もうひとつにはB
に起因している。

どういう意味でしょう?

いいですか。
私たちはこの方式にあまりに慣らされているがために、ほとんど無意識に自動的にやっているんです。
だからこそ、今日はなぜ




にうまくいかない要因があるのか、
じっくり振り返ってみてください。
今日は熊本でもその話をしますが、ワークショップに参加できない読者の皆さんは、自分でも考えてみてください。



ええええええ?

どうしてなのか理由を説明してくれないんですか ?
という声が聞こえてきそうですが、あなた自身が振り返って、気づくことがとても大事なことなんです。

私がただ単に理由を説明してしまうと、
「ああそうなのか」でスルーしてしまう。
そしてまたA→B方式に無意識に戻って、ぐるぐるぐるぐる同じところを回ることになる。

私たちはこの新しい一年で大きく脱皮するんです。
そのためには、あなたの中でしっかり消化吸収すること必要なんです。


だから今日はあえて、質問するに留めます。


そして明日、あさってと、それについてさらに詳しくお話していこうと思います。


さて、なぜ



に全方位から恩寵を受け取れない要因があるのか……。

胸に手を当てて、その方式を生きてきたこれまでの経験を踏まえて振り返ってみてください。

※ワークショップにご参加の方には、これに関してお話していますので、黙っていてくださいね。

それではまた明日♪

おっと、今晩は「生まれてきただけで祝福されていることを思い出す光」っていうのを送ってみたいと思います。
あはは、これも大きなヒントだな 
2015-03-02 
テーマ:

今朝の熊本は、昨日の雨模様から一転して、ちょっと暑いくらいの晴天 です。

みなさん、すばらしいコメントの数々ありがとうございました 
私なりに感じている「→」や「B」の受け取る恩寵が限定されてしまう要因はあるのですが、読者の方たちのコメントを読んでいて、別な観点や新しい視点もあり、視野が広がりました。
いつも思うことですが、私は本当に素晴らしい読者に恵まれていると思います。


さてさて、昨日の記事の続きです。

今日はまず「→」についてお話しします。

「→」は、何を意味しているのか?
A→B
つまり、Aをやれば、Bが手に入るだろうという「期待」を意味しているわけです。
期待するということは、同時にあるものがセットでついてくるってことなんです。

たとえば、あなたがスーパーで買い物をしたとします。
会計を済ませて帰ろうとしたら、突然クラッカーが鳴り 、
「おめでとうございます!あなたが当店がオープンしてから記念すべき1万人目のお客様でした!お客様には、1万人目を記念して、当店で使える1万円分の商品券を差し上げます」
と言われました。

「えええええ、私が1万人目だったんですか ?
知りませんでした。
いやあ、そんな特典があったんですね 」

そうなんです。この人は1万人目に1万円が当たるだなんていうキャンペーンなんて知らなかった。だから逆に誰かが1万人目になって1万円もらっても、「すごいなあ」くらいにしか思わない。
でももしも、それを知っていて、毎日1万人目を目指して通い続けていたらどうでしょう。
自分以外の人が1万人目になったら、「失望 」するでしょ。

期待をするということは、失望がセットでついてくるということなんです。

「期待」のないところには、AをしてBが手に入ろうが入るまいが、失望はない。

「Aはうまくいかなかった」という落胆も反省も自己卑下もない。


何がもたらされようと、すべては「ラッキー 」になってしまう。

すべては「ラッキー 」状態だと、いつもエネルギーが満タンなので、いろいろなことにどんどんチャレンジできる。

しかもそこに何の期待もないので失望も落胆もなく、ますます人生は面白く展開していく
 


「→」にはもう一つうまくいかない要因があります。
それは、1万円が手に入る道は無数にあるのに、「→」がつくと、入るルートを一方向に限定することになってしまうということ。
そういうコメントも、たくさんありましたね 

Aをすることによって、受け取れる恩寵は全方位から来ていいのに、一方向からしか受け取ろうとしていない状態になってしまうっていうことです。

つまり宇宙があなたに総額1億円あげようとしているのに、「→」をそこにくっつけると、1円しかもらいませんよと言っているようなものなのです。

そしてそれはまた、別な言い方もできる。
あらゆる方向からBを受け取る可能性があるのに、その可能性を1億分の1にしてしまっているようなものなのです。ものすご確率が低くなる。


だからAを頑張ってもなかなかうまくいかない。なかなか手に入らない。しかも期待をしていたわけだから、めちゃくちゃ失望感も味わうことになる 

するとC→Bを頑張ろうとする元気もなくなってくる 
それが疲労と焦燥のスパイラルになっていって、何にもしたくなくなってくる。


よく私が、今の目の前にあるカツ丼と鉄火丼ではどっちが食べたいかだけに集中していればいいっていうのはそういうことです。
今やりたいこと、目の前の小さなこと、そこにだけ集中しそれをやってどうなるっていう「→」は気にしない

そんなちょびっとしかもらえない乞食方式に囚われない。

恩寵がどっから来ようが気にしない。
それは宇宙が決めることで、私がコントロールすることじゃない。
いつどこからどんな恩寵が来たとしても、受け入れられる態勢を整えておくだけでいい。


本当はそれだってどうでもいい。

だって、Aが楽し過ぎるんだもん 
後のことは宇宙が好きにしたらいいじゃない  


こういう後先考えない、期待も何も突き抜けて、今やりたいことに没頭しまくっている人のことを、このブログでは
「素晴らしい馬鹿」と呼びます(笑)

いっぱい知識を詰め込んで、
正しいか間違っているかを気にして、
これをやったら、確実にこれが手に入るんだと、
ガッチガチになっている、
安全だと確認が取れてからじゃないと進まない人は
「悲しいおりこうさん 」です。


このブログの読者さんたちには、おかげさまで「素晴らしい馬鹿」が多いようです。

めでたいですな   

その歓びを踊って表現しちゃいましょう(笑)

ってことで、今晩は「期待を手放す光」をお送りしようと思います。
ガッチガチのハートを緩めてくださいね
 

 

2015-03-03 
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おとといから始まった「全方位から恩寵を受け取れ」シリーズの最終回です。

最初の記事は
こちら
二番目の記事はこちら

A→B
Bを手に入れるためにAをする。この誰もがやってきた方式が、機能不全を起こしている。
宇宙からの恩寵を余すところなく受け取ることを妨げている。それは大きくいえば、「→」と「B」に要因がある。そのうち、「→」については、昨日の記事でお話ししました。

今日は「B」について。

そもそもこのBはどこからやってくるのか?
たくさんの方がコメントされていたように、この発想は、
「Bが手に入ったら、私は幸せになれるのに 」が起点になっている。

そして、B、B、B
どうしてもB!!!!!!
これがなきゃ絶対にイヤ      
になっているわけです。
※WSに参加されたかたはご存知だと思いますが、そうじゃない場合もあります。これがなきゃいやっていうところが起点になっていない場合もありますが、それに関してはまた後日お話しします。

するとどういうことが起こるか?
「Bが私には無い!」ってことに、これでもかと言わんばかりにエネルギーを注いでいることになるわけです。
ということは、それが実現することになり、ますますBが手に入らない状況になってしまう。

「→」で期待して、「B、B、B」 ってこだわることで、ますますBが遠のき、時間と労力ばかりが浪費され、どうしていつまでたっても私の願いは叶わないのだろう ということになっていくというわけです。

仮にAを頑張って頑張って、なんとかBらしきものを手にしたとします。
でもそのBはいつも頑張っていないと保てないBなんです
だからだんだん疲れてくる。そもそもなきゃダメって、なきゃ幸せになれないっていう怖れが起点になっていますからね。いつも脅迫されているようなものなんですよ。
そのうち、Bが苦しみの元になっていく。

つまり、Bがあれば幸せになれるというわけでもなかった。


以前「真っ白なお願いは叶う」って記事で、「もうどうしたらいいか分からない、宇宙にお任せますから、助けてください」って、
何も握らず、
なりふり構わず
お願いするとき、
その願いは通じる。

という話をしました。
この真っ白とは「B」という限定をしないっていうことです。
パートナーが欲しいなら、いろいろ条件を出さないで、宇宙に全託するってことなんです。
でもコメントを読むと、しっかり握ったままでお願いしている人も結構いるんです。

宇宙にお任せするっていうのは、コントロールを手放すことなんです。
望みは望みとしてあっていい。
でもそれがどんな風に、どんな形で叶うのかは、宇宙に任せるっていうことです。


握った手を放せば、宇宙は縦横無尽に働きやすくなる。
あなたが勝手にBだなんて限定していた以上の、もっとすごいものを平気でもたらしてくれる。
その想像を超えたものがBなんかより、とてつもなく面白いんです
 

だから宇宙に任せてしまって全然OKなんです 

でもお願いにはさらに上級のお願いがある。
こっちは、全然違うことが起点になっている。
そしてこっちは、頼んでいないことまで叶う。

さらに進むと、お願い自体がいらなくなる。
それはまだまだ先の話ですね。


でも明日は、さらに上級のお願いの話をしようと思います。
お楽しみに  

ということで、今晩は「コントロールを手放す光」をお送りしますね。
握りしめていることによって、かえって遠のき、苦しんできたあなた。
ぜひ受け取ってくださいね。

2015-03-04  
テーマ:

昨日の記事に、どうしてパートナーに条件をつけちゃいけない の的な反応があったようですね(笑)
条件を付けるのは、その方の自由です。そんなこと、だめだろうとどうだろうと、人の勝手でしょ。
誰かを所有したい、自分だけを愛してほしい、そういうこともやりにこの世界に来ているわけですから、それでどうなろうと、自分のプロセスを進行させればいい。
「お好きにどうぞ」以外に、特に言うことはありません。

さてさて、今日の話です。
ある意味、昨日の続きですね。
昨日はBの話をしました。Bにこだわる必要はないと。
※今日初めてこの記事をご覧の方は、3日前の記事から読み直すと分かりやすいと思います。
宇宙にお任せしてしまえば、最高最善のものをもたらしてくれるという話でしたね。

望みには、実は三種類あるんです。

一つは昨日の記事でも触れた「欠乏」を埋めたいという望み

もう一つは、このブログにもよく登場する魂の望み
魂がこれをやりたいっていう望み。
これはいくらでも望んでいいの。それはどこまでも発展させていい。単なる拡大主義とは違う。これは宇宙の流れに沿っているし、流れを加速させる。だから遠慮は無用。限界を設けなくていい。どこまで行ったっていいんだって間口を広げておいていい。
この話も、何度もしましたね。

さらにもう一種類の望みがある。
それは充足から来る望み
何かが足りなくて、それを埋めたいのではない。

この私というものが、これはこれで完全性の顕れなのだと腑に落ちていてこの世界を体験できていることが奇跡であると分かっている状態
宇宙はどんなときも、どんな私であっても、愛してくれている
毎瞬有り余るほどの恩寵を降り注いでくれている
これ以上何を求めろというのだろうか !

その境地にあるとき、もうどっちでもいいんですよ。
何があってもなくてもいいの
そこから赤い靴を、白い靴に履き替えるがごとく、じゃあこっちにしよっかなあって軽く思うこと
絶対そうならないと困るとは思っていない。
極めて軽いふとそう思うだけの望み
それも望みといえば望みですよね。
そいういうのもあるわけ。

それが叶おうと叶うまいと、そもそも気にしていない
だいたいは忘れている
そのくらい、今生きていること自体が面白くてたまらない。

ふと気付いたら、白い靴を履いているがごとく、実現している。
ところが白い靴どころから、それ以上のものがもたらされている。


ああ、今日も宇宙よ、私に素晴らしい体験をさせてくれてありがとう 
それ以外に言うことがみつからない。

この境地もあるわけです。

その前提は、これはこれで完全なんだって腑に落ちていることなんです。
それをワークショップの冒頭にやったりしているわけです。
そんなこと言われても、エゴは足りない足りないって叫ぶでしょ。
だから認識を変える光を送りつつ、意識を変容させる誘導をしているんです。

毎晩送っている光も、様々ですが、要するにここに帰順するんです。

この境地は、なろうとしてなるものじゃない。

目指すものでもない。

どっちみち誰もがそこに至るようにできているので心配しなくていい。


今は、何かが欲しくて欲しくてたまらないのであれば、むしろそれを徹底的に追求すればいい。私がこういうことを書くと、そうならなきゃいけない的に受け取られる方もいらっしゃるようですが、そうじゃないのよね。
今の自分を徹底的に生きるだけでいいの。

だからこの記事の最初の部分でも書いたように、こういうパートナーじゃなきゃいやだって思うんなら、徹底的に求めればいい。そのプロセスも大事なプロセスなんです。
そこを飛ばさないで、大事な体験としてありがたく体験するまでのことなんです。

ということで、今晩は「あるがままで完全である」に認識を変える光をお送りします。



今晩も22時に時空を超えてつながりましょうニコニコ
いつものようにバナーをクリックしてください。
この時間につながれない方は、「時空を超えてつながる」と意図すれば、別な時間にやってもつながります。
※22:00までにクリックされた方は22:00時に流れます。それ以降にクリックされた方は、その時点から10分間流れるように設定します。
エントリーはこちらのバナーから♪

幸せって意外にカンタン!

バナーをクリックしてくださった方には、愛と感謝を込めて、
22:00~22:10にいつも通り悟りのエネルギーとあるがままで完全であるに認識を変える光」を流します。インドに行ってさらにパワーアップしています。これまでよりも大きな光が流れますので、光を受け取った後は、横になるなどして10分ほど休んでください。そのまま寝てしまってもいいですよ

※私のブログには一連の流れがあります。ですので、今日初めてこの記事を読んでいらっしゃる方は、できれば元旦の記事から遡って読んでいただいた方が分かりやすいと思います。そして認識を変える光も元旦の記事から続けて受け取られた方が流れに乗りやすくなると思います。


双頭作戦の破綻。本気で日本のことを考える人とそうでない人がいることが重要。本当の大詰めは森友の埋設物。ここを本気で追及する人は、双頭作戦の人ではあり得ない(170720MI)

2017-07-21 | 覚書

マドモアゼル愛オフィシャルブログさんより

2017-07-20 

善悪、吉凶、双頭作戦の終了

日本が終戦を迎える前、まだアメリカとソ連が仲良く第二次大戦で協力し合っていたころ、ひふみに次ぎのような内容が筆としておろされました。

総大将は奥に隠れて、一の大将と二の大将が相争うにように見せて、世界をヤワにする仕組みすでにできているぞ。

うろ覚えですが、確か、そんな内容であったと記憶しています。総大将は誰なのかよくわかりませんが、一の大将とはアメリカ、二の大将とはソ連をさすことは間違いありません。

戦後、資本主義と共産主義は確かに相争うように見せて、世界を支配してきたことはご存じの通りです。

仲が悪いように見える二つの勢力ですが、実は常に協力し合っていたわけです。

資本主義がアメリカを中心にしてできると、次に取り掛かったことは、それに敵対する勢力としての共産主義でした。

ソ連ではレーニンが有名ですが、レーニンを財政的に支援したのが資本家であったというのは、知る人は知る有名な話しです。

レーニンの封印列車と呼ばれる列車に武器や金塊を運ばせて援助した話しを、以前、馬野周二博士から伺ったことがあります。

要するに共産主義も資本家によって作られたことになり、相対する二つの勢力を作って、全体を支配するやり方が現代まで続いていたわけです。

911後のアメリカでは、愛国者かテロリストかの、二つの見方で政策が取られ、人々は一定方向に強制的に向かわせられてしまい、イラク進行というおかしな方向に国は進みました。

その後そうした勢力のトップにあったとも思われるクリントン氏は、因縁でしょうか、昨年の911式典で倒れて運ばれました。

資本主義、すなわち自由主義か共産主義か、、、と人類に迫り、数多くの戦争が起こされ、多くの人が死に、殺されました。

人間の人格や個性など関係なく、どの思想を取るかで、人が殺され、拷問に合うような気が狂った時代が、今なを続いていると言ってもよいでしょう。

人間の命よりも考えの方が上に来る矛盾が、これまでの時代運営の流れの中にあったのです。

そうした時代を作ったのは、一部の金儲け勢力でした。金儲けの一番の方法は、人の地に入り込んで勝手に奪う、、こん棒で人を殴ってアフリカ大陸から連れてくる、、、確かにそれは儲かることでしょう。

蛮行を正当化するものは、野蛮人か文明人かであったり、キリスト教徒か異教徒かであったりと、常に分けられた価値観によって自分らは正当化されるシステムでした。

対立する二つの勢力をぶつけ合い、その対立によって、双方から儲けをいただく手法が地球をダメにしました

残念なことにそれは今でも続いています。最終的には、優生学に至る考えがそれですが、生命に優勢も劣勢もへったくれもありません。

中東のあるところでは、昔は修派の異なる民族が仲良くくらしていたところが数多くありました。

その場所がたまたま、軍事的重要ポイントであったり、石油が埋蔵されていたりしたら、その地域を狙う悪者は、戦争を起こすことを考えます。

戦争を起こす方法は研究し尽くされており、例えば、一方の民族を殺して、隣の民族がやったように思わせる、、、逆でも同じことをする、、、マスコミを支配し、一方的に相手が悪いように双方のマスコミで掻き立てる、、、

さらに何度かのやらせ事件をつくれば、双方を憎ませ、戦争に持ち込むことができるわけです。

戦争になればしめたもので、双方に金を貸して武器を買わせる、、、戦争で家が焼け、町が無くなれば、その後の復興で大儲けできる、、、、戦争で疲弊した双方は、弱体化しているので、どちらが勝つにせよ、その土地を奪うことができる。

表だっては目立つので、どちらかが勝った場合でも、勝った方にも金などを貸しているわけで、重要なポジションを奪い、自分らの儲けられるように戦後運営を行う、、、

金融でも同様の方法で儲けることができるでしょう。安定した状況があれば、民は蓄財し、景気を良くし、バブルを作る、、、その後、はしごを外せば、民が作った資産はすべてはしごを外した人のところに行きます。バブルはそのために作られます。

こうした羊狩りを資本主義の中でも数十年に一度起こすことで、富が一方的に流れていき、一般人は常に貧乏ということになります。

働かせ、浮かれさせ、投資させる、、、それに乗る民衆。羊のように太らせた民からすべての羊毛を奪う1パーセントの人、、、という構図。

これも資本主義の中では当たり前の光景です。一方の共産主義の中でのヒエラルキーはさらに完璧で、民はもろに奴隷そのものであり、抵抗すれば迫害と死が訪れる完全なシステムです。

その実験がソ連で数十年、東ドイツで数十年、北朝鮮と中国でも数十年続いたとみることもできるわけです。

最終的には、双頭作戦は終了して全員奴隷システムを考えていたはずですが、ここに来て歴史の逆転が起こり出しています。

双頭作戦の破たんです。インターネットのおかげで人はその気になれば、正しい情報を手にすることができるようになりました。

すると今起きていることが、国と国との関係や、資本主義と共産主義との関係でもない、同じ国の中に、実は違う勢力があり、むしろ、そちらの方の争いを知るようになったのです。

中国が悪い、、アメリカが悪い、、と、簡単に言えない関係性が重要で、本当の民衆の敵は、どこかの国ではなく、自分らの国の中に、本気で日本のことを考える人と、そうでない人がいる、、、そちらの方が重要であることがわかってきたのです。

外に敵をつくれば、戦前の日本がそうでしたが、簡単に日本人全体を支配できます。なので、やすやすと戦争に進めたわけです。日本の将来をおもんばかって戦争に反対した人は、ひどい扱いを受けたことでしょう。

このように、双頭作戦は色々な形がありますが、二つの勢力や価値観でまとめさせられれば、どのような形であっても、利益をそこから引っ張ることができる人に利用されたのです。

なので、本当の問題は、どこかの国や政党でもない、そうした双頭作戦を使って自分らの立場を強化しようとしている人が問題なのだ、、、ということに、日本人もだんだんと気づいてきたのです。

自民党が良いでも悪いでもなく、民進党が良いでも悪いでもなく、大体は悪いと私は思いますが、その中にも、確かに裏切り者もいれば、民を思う人もいる、、、その争いが今後起きてくるわけです。

文部省が悪いのではなく文部省の中に、本気で日本のことを考える人もいれば、出世だけを考える人もいる、、、その争いが起きてくる、、、と思えばわかりやすいかもしれません。

そこらへんを含んだ再編が今後起きてくるでしょう。民進党も割れる、、、自民党も割れる、、、思わぬ大きな再編となり、受け皿として、オリーブ連合のようなものとなるのか、どうなるかはわかりませんが、民は政党ではなく、人間そのものを見て判断するようになっていくことでしょう。

受け皿を割ることが従来勢力の考えですから、インチキ受け皿もかなり出てくるはずです。隠れ自民党にずいぶんやられた日本人でしたから、またやられるかもしれませんが、段々と学んで目が肥えてきてますので、何度かの再編の後には、民意を代表する政治の道がスタートするでしょう。

24日と25日に予算員会を閉会中でも開くことになったそうで、どうなるでしょうか。

加計学園問題が焦点のようですが、本当の大詰めは、森友の埋設物です。本当にゴミがあったのでしょうか。もしなかったことが判明したら、即刑事事件となる案件ですから、本当の天王山はゴミ問題なのです。

200トン程度しかゴミがなかった、、という資料が出ているそうですが、そのことを、野党が本気で追及するかどうかで、誰が本物か、私は判断しようと思っています

ゴミ問題が嘘であったら、すべての論拠がくずれます。ここを本気で追求する人は、双頭作戦の人ではあり得ません。どうなることでしょう。

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