QOOTESの脳ミソ

日記や旅の記録(現在進行中および過去の旅)がほとんどですが、たまに「腹黒日記風」になっているのでお気を付けください。

夕飯はたきたてご飯と仙台の牛たん、そしてネットスーパー第二弾。

2024-10-20 20:02:55 | 日記
イオンのネットスーパーGrenn beans、初回50%オフクーポンを使ったらやってきた30%オフクーポン、割引額上限5000円、二回分の期限が月末と近づいているので、一回目の注文をしたものが届きました。割引上限5000円まで買いました。同じ30%オフクーポンはもう一回あるので、保存食品を中心にもう一回割引額満額まで購入するつもりである。

30%オフは大きいです(笑)。でも必要無いもの買わないようにしないと。

前回の配達の時に、とことん洗濯しまくった後で近くにすぐ履けるズボンがなかったため、トランクスのままで出たら配達の方が女性でバツが悪かったということはその時の日記に書きました。それが原因だったのかはわかりませんが、今日は男性の配達で非常によかったです。

宅配の女性に欲情なんか一切しないので僕はどうでもいいんですが、このご時世、たとえズボンをはいていても、貞操帯を付けていても(笑)、どこでどう勘違いされて疑われるとも限らないから、この先もずっと男性に来ていただきたいですね。

そんなことよりもっとやりたいこと、食べたいもの、行きたいところがこの世界には山ほどあるので。危険は冒せません。

同様に、どこでどう勘違いされて小児性愛者に間違われるとも限らないので、子供とも一切接触したくないですね。うちのマンションには子供のいる世帯が数世帯ありますが、エレベーターでそこの子供と一緒になったときは先に乗らせて、僕は後から一人でのんびり乗ることにしています。

いつも書くように、よその家の子供は生理的に無理なのに加えて、あんな生き物のせいで変な疑いかけられて人生狂わされるのはごめんなので。彼らが困ってても声はかけないし、物理的にも心理的にも距離を詰めるのさえ嫌なので、エレベーターで先に行かせるよう促す時などどうしても言葉を交わす必要があるときは、3歳だろうが6歳だろうが対大人と同じ完璧な敬語で接することにしています。

でも甥っ子姪っ子(とさらにその子供たち)は猫かわいがりですけど。どうしても甘やかしちゃうんですよね(笑)。来年のお年玉もすでに全員に送りました、現金書留で。結構人数が多いんです(笑)。

因みにお年玉袋は京都の鳩居堂で1~2年に一回まとめ買いしてきます。東京の鳩居堂ショップでもいいんですが、品ぞろえがやはり少なくて。

以前ネット記事で、職場の後輩社員と近づきたくないから常に敬語で接することにしているという人が紹介されていて、その記事に「敬語にそんな使い方(人との距離を空ける)があるとは考えたこともなかった。」というちょっとアイロニックな温度のコメントがたくさんついていましたが、僕は同じ理由で会社で新入社員や後輩社員にも完全な敬語で接していましたので、その記事の人の気持ちが手に取るようにわかりました。

初め数回のクーポンを最大限活用するために今日届いたものの多くは常温保存のストックですが、直近で使う生鮮食品も買ったので冷蔵庫が満タン気味。ということで、本日はスペースをあけるため、冷凍しておいた仙台の牛たんと、同じく冷凍しておいた稚内直輸入の海藻「銀杏草」の味噌汁に白飯で夕飯にした。

この銀杏草ってのが、美味いんですよ。いつも冷凍のモノを稚内から空輸してもらいます。青森の友人に北東北でも違う名前で食されていると聞きましたが、その名前は忘れてしまいました(笑)。

海のものの名前って地方によって結構違いますね。秋田でギバサって呼ばれる海藻(僕はかなり好きです)は青森とか他県に行くとアカモクとか言うんだったと思います。アカモクは全国的一般的な名前でまだほかの名前もあるかも。

タラの白子も青森の呼び名は「タツ」だったと思いますが、北海道では「タチ」、真鱈の白子は「真ダチ」スケトウダラの白子は「助ダチ」です。青森、北海道はなんとなく似ていますね。

それが秋田に行くと「ダダミ」・・・なんで?

ダダミって、ジャイ子の友達にいそうな名前ですよね。

秋田って東北でも特にオリジナルなところがあるじゃないですか。文化的に別系統の何かでもあるんですかね。太古の昔に海の向こうから何かが渡ってきたとか。

たしか秋田だったと思いますが、正真正銘日本人で瞳がグレーの方が一定数いるって20代の頃に何かの本で読んだことがあったんです。日本人のマジョリティは茶色ですよね(実は黒よりも茶の方が多いんです。若い頃にアメリカで何かの公的な書類に書くときに、自分は当然黒だと思っていたら係員に日本人の多くはBrownだって言われて気が付きました。)。

それを聞いて、興味深い話だなと思っていたんですが、震災直後に東北に行くようになって好んで行くようになった仙台の牛たんの有名店の一つで、いつも牛たんを焼いているおじいちゃんの瞳がまさにきれいなグレーで、彼はたぶん秋田の方のルーツの人なんじゃないかなと勝手に思っています。違ってたらごめんなさい(笑)。

で、話が牛たんにつながったんで、これが今日食べた牛たんです。


これは8月末の日記にも書いた伊達の牛たん本舗の「牛たん切り落とし 通定食」。たっぷり300g入って900円。美味かったし安い。一個冷凍してあったのです。また買いに行かないと。これ買うためだけに仙台駅で途中下車してもいいほど美味しいと思います。

本当は形のそろったのが買いたいのですが、安くたくさん食べたい食いしん坊なので、これが御用達です。

10年ほど前にすごくはまったことがあって、仙台に行く度に買ってきていました。

さて、30%オフクーポンもう一回で何を買うか、もう少し考えてから寝ようと思います。26日に注文する予定で動いています。

東南アジアの紀伊国屋書店で村上春樹を立ち読み、がお気に入り。

2024-10-20 15:33:12 | 日記
以前、ミニマリストの話を書いた時に、20年以上前ミニマリズムという概念が主婦向けの雑誌のテーマには全く上がっていない建築学の領域の話だった時代に、東南アジアの紀伊国屋書店でミニマリズムに関する書籍をずっと立ち読み、いや、座り読みするのが大好きだったということを書きました。

一番好きなのはマレーシア・クアラルンプールのツインタワーKLCC下に入っている紀伊国屋書店。二番目はバンコクParagonショッピングセンターに入っているお店。シンガポールでは高島屋ニーアンシティとブギスの2店が好きですがクアラルンプール、バンコクほどのお気に入りではありません。あ、でもバンコクのパラゴンってまだあるんだっけ。バンコクの中心部はScrap&Buildが特に激しいから・・・。

あの頃にミニマリズムの本と同様に立ち読みしていたのが、村上春樹さんの英訳本。彼の著書は古いものは大体読んでいたので、同じものを英文で立ち読みしていたのですが、一番驚いたのが英語で読んでも村上春樹は村上春樹だったことです。

でも、それはもしかして、僕が一度読んだ物を英文で読んでいるため、実は英語のテキストを読んでいるようで無意識に日本語のテキストが頭に浮かんでいたのではなかろうかという疑念がありました。

それで、一度全く読んでいない彼の小説を英文で最初に読んでみようと思っていたのです。

幸い、村上春樹ファンとしは(ファンであってハルキストではない)、出版されている小説を全部読み終わるのがもったいなくて、ねじ巻鳥クロニクル読了以降の新刊はすぐには読まずに置いてあるので、そのテストに使える小説はかなりあります。1Q84もまだ読んでいません、初読感を無駄遣いするのが嫌なのです。

それである時に乗り継ぎで香港国際空港にいたときに、NewReleaseとして『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 』の英訳本が搭乗ゲート近くの書店に平積みにしてあったのを見て、これを読んでみようと思い立ちました。それで一冊購入して自宅に持ち帰ったのです。

しかし、購入したのは初版本で、↓の表紙と全く同じだったのですが(表示されている物とは違うので、興味があればアマゾンの画面右側のメニューで「ハードカバー」を選択してください。)、表紙にデザインされているカラーバーなどが立体的になっているもので、読み込んでぼろくなるのが耐えられなくなってしまい、結局保管用になりました(笑)。まだフィルムを被っています。

 

その数か月後装丁が立体的にはなっていないペーパーバックを購入しました。

不思議な感覚だったんですが、読み始めたら英文で読んでいるのに日本語で読んでいるような感触で、日本語のテキストは読んだことが無いのに頭には日本語だとこういう風に書いてあるんだろうなというテキストが次々と浮かんできました。

文体ってこういうことを言うんですかね。

初読を英訳本で終えた後日本語で読んでみましたが、英文で読んでいた時に(日本語原文ではこうやって書いてあるんだろうな)と想像していた村上春樹的描写が一言一句当たっていたところがたくさんあってビビりました。(最近はテレビドラマや映画を観ていて、登場人物が次に言うだろうセリフを想像で言ってみると、大正解することが多いです(笑)。)

英文の書籍はやはり日本語の書籍とは違って読むのに少し時間がかかるのですが、これに関してはすぐに読んでしまいました。興味の強さが影響しているんでしょうか。

高校生の頃に、もう亡くなった保守論客の渡部昇一さん(元上智大学教授)の知的生活の方法だかいう勉強法とか生活法のハウツー本を読んだことがあるのですが、その中で彼の英語学習に飛躍的にエンジンがかかったはポルノ小説がきっかけだったという記述がありました。それと同じような話だと思います。

その当時は理性的な生活法の伝道師だと思っていたのですが、大学生になってかなり強力な保守論客として日曜朝の時事放談などに細川隆一郎さんとかと出て話しているのを見て、ハウツー本は好きだけど思想的には相容れないなと思いました(笑)。

村上春樹本に戻って、
英語でノンネイティブの初読でもあの文体を維持できるというのが世界中の読者に受け入れられる理由なんだろうなと思いました。翻訳者の力量も大きいのでしょうね。

もちろんアメリカ人の学者にもMurakamiの本はそんなに好きじゃないという友人もいます。

アンチの皆さんは「村上の文体は翻訳しやすいだけだろ」とかなぜか皮肉ぽく言うのですが、なんであんな言い方をあえてするんだろうと不思議ですね、やはり(笑)。

「翻訳業も長くやってきた人だし、翻訳ものを好んで読んで来た人だからその素養の影響は大きいですよね」って言えばいいのに。腐すのが第一目的なのかしら。

あと、
あれ?これ前に書いたっけ。示し合わせたわけでもないのにアンチの皆さんが「村上がノーベル賞取るんだったら、その前に安倍公房がとっていなくてはオカシイ。」って全く同じことを口をそろえていうんですが、あれってどういう現象なのでしょうか(笑)。なんで安倍公房ばかり出すんだろう。

文学カルトの世界が狭いのかしら。

どんなに偉大な作家でも受賞しない人もいますし、〇〇賞は一つの主観的な評価だと思うんだけどな。

そりゃもらったら本人は多かれ少なかれ嬉しいだろうでしょうけど。でも見てると、たまに自分の好きなジャズのナンバー紹介するラジオ番組をのんびりやったりして、誰かみたいに賞がのどから手が出るほど欲しいって感じでもないですしね。

どうなんでしょうね。

自分からは見えない人の思いを想像するときって、勝手に自分に憑依させるものだから「村上はニヒルに構えてるけど心の中ではノーベル賞が欲しくてほしくてジタバタしてるはずだ」って言う人は、ご自身がそういうガツガツした方なんだろうなと思ったり。ま、真実はご本人かごく近い人にしかわかりませんが(笑)。

有名人の不倫のニュースにしても、髪を振り乱して全力で批判する女性がいるじゃないですか、なんで他人のことであんなに気が違ったようにオカシクなれるんだろうといつも不思議なのですが、きっと(もし自分の旦那や彼氏にそいうことが起こったら、自分は騙されて捨てられる方だ)っていう自覚がどこかにあってそっちが憑依しちゃうんでしょうね(裏切られたご本人は物理的にか精神的にすでに別居状態だったりで、そこまで思っていないかもしれないのに)。

逆に、自分はそんな時略奪する方だろうなって人はあまり騒がないような。

そういうことができる外見的魅力や能力の問題は置いておいて(笑)、僕はきっと完全にバレないように不倫浮気やらかす方の人間だろうから、ああいうニュース見ても特に腹は立たなかったりするんですよね。発覚したらさっさと有責者から慰謝料取って自分の人生生きればいいのにって思う。弁護士料って僕らが想像するよりは高くないんですよ。

ただ弁護士は医者よりもはるかにピンキリの差が激しすぎるので、選定には友人知人の評判・紹介とか使って慎重に。打ち合わせの段階でこいつアホだと思ったらさっさと替えるのが肝要です。数年前にやりました。

弁護士=先生って認識でひたすら崇め奉ってるとひどい目に合いますからね(笑)。

僕は生まれ変わったら、男だったらジャニーズ(のお笑い枠じゃないタレント)、女だったらビヨンセかVictoria's Secretのエンジェルに生まれ変わって、ジジババを転がして生きていきたいと思っています。

Like a rolling stone.

意味が違うか。

また話が別のところに行っちゃった。でも村上春樹さんの英訳本、お勧めですよ。彼の本が嫌いな方じゃなくて暇があったら、英文で読んでるのに日本語で読んでるような不思議な感覚を味わってみるのもお勧めです。