QOOTESの脳ミソ

日記や旅の記録(現在進行中および過去の旅)がほとんどですが、たまに「腹黒日記風」になっているのでお気を付けください。

豚肉が食べられないのに沖縄に行く。

2024-12-17 15:19:19 | 日記
那覇からバスに乗って数年前にできた海辺のショッピングセンターに行ってみる。

車窓から58号線沿線の街並みを眺めつつ、自分はどこからきて、これからどこに行くのだろうかと考えたり。

バス停に着いてからも建物には入らず海を眺める。


生まれて消える白い波頭を眺めつつ、自分の人生のようだと思う。

いつかあの波頭のように、僕もそもそもこの世にいなかったかのように去っていくのだろう。

なんて、思うわけもなく(笑)。

ずっと前から一度足を運ぼうと思っていた浦添のサンエーパルコショッピングセンターに行ってみた。一度行ってみたので、もう満足した(笑)。主だった店がそろっているので、買いたいものある時にはちょうどいいと思う。便利。

前の晩は夕飯にイオンのフードコートに入っているピザハウスJr.で、ラザニアを。


このお店、好きなんだよね。浦添にあるピザハウスというステーキハウスというかピザハウスの簡易版として沖縄本島各地のフードコートに入っているお店。ここのラザニアが美味い。熱々で出てくるし。

本店には何年も前に一度行ったことがあった。元々は米軍の将校クラブの建物で営業されていて、内装は「ザ・アメリカ」。僕が大好きなやつだ。

入り口を入ったところにあるウェイティングバーは「ザ・アメリカ」または「ザ・欧米」のレストランの象徴。レストランに行って満席だと店のスタッフに「ウェイティングバーでお待ちになりますか?」と聞かれるあのウェイティングバーだ。

利用するかしないかに関わらずこれがあるとないとでは店の格が変わってくる(と僕は思っている)。

本州の店でもOutbackとかTony Roma'sはウェイティングバーを備えている店が多々ありますね。

が、そのピザハウスの本店は何年も前におそらく建物の老朽化に伴って閉めてしまわれて、近所に新しい「本店」ができたが、小ぎれいになってしまったので興味がわかず行っていない。

で、翌日の朝。ちょっと買い物をしようと思っていたので、その前に軽くご飯を食べようと、那覇ハイアットのちょうど向かいにある蕎麦屋に。沖縄そばではなく日本蕎麦。タイミングがいいと沖縄本島北部の大宜味村の蕎麦がいただける。

そこで、十割のせいろを注文して待っている間に「なみなみスパークリング(ワイン)」をいただいた。


例によって蕎麦が来たら食べたい思いが前面に出てしまい、写真を撮るのを忘れた。でも美味しい蕎麦です。

僕は豚肉が食べられないので(単に嫌い)沖縄に行っても沖縄料理は一切食べない。子供の頃から牛豚鳥、肉類は全部食べられなかった。大学生になって牛肉と鶏肉はなぜか食べられるようにはなったが豚は今でも無理。ソーキも三枚肉も無理なので沖縄そばも食べない。同じ豚でもミンチとハム・ソーセージは可。しかし、SPAMは食べられないのでポーたまおむすびも食べない。豚のいやな臭いがすごい。

ミンチも機械で挽いたミンチのみ。特にタイ人に多いが、包丁で豚肉を細かくたたけば=ミンチという「自称・合理的」な考え方は受け入れられない。

ということで沖縄に行くと日本蕎麦のお店とかスペインバルとかで飯を食うことが多いところ、最近は沖縄でも日本蕎麦のお店が多くなってきて嬉しいところだ。以前はのうれん市場のビルに松尾庵という日本蕎麦のお店が入っていてそこがチョー美味かったのだが、数年営業しただけで閉めてしまわれた。本州の蕎麦屋を含めても、上位に入るくらい美味かった。

蕎麦を食った後の買い物と言うのはこれだ。


数日前、那覇の免税店DFSで見ていいなと一目ぼれ。最近はモノを増やしたくなくてコト消費や食い物にしかお金を使っていなかったのでたまにはいいかな、ダメかなと数日逡巡。結果的に、

クリスマスなんで、惨めな30~40代の行き遅れ女orサレ妻のように「自分へのご褒美☆」にって自分を鼓舞しながら買ってみました(笑)。



みんな幸せになれたらよかったのにね。

ボクハ、トテモシアワセ♪

着けて歩くので持って歩きはしないのですが、頑丈なキャリングケースも付属していました。



こういう腕時計って数年ごとの「オーバーホール」が必要で、購入よりもメンテナンスの方が大変だろうなと思っていたのですが、免税店の方に聞いてみたらこのモデルは「機械式」ではなくクオーツなので電池交換の際についでに軽く掃除してもらえるのでオーバーホールは必要ないということで安心。知っているつもりで知らないことっていくつになってもたくさんありますね。

ところで、僕は機械式腕時計のことを「自動巻き」って呼ぶんですが、今はもう使わない単語なんでしょうかね(笑)。

冬になると思い出す「長距離走者の孤独」な話。

2024-12-17 11:26:44 | 日記
小学生の頃はそれほどなかったけれども、中学生になると持久走なるものを定期的にやらされる機会が多くなりました。

僕、極度の運動音痴なんで、あの頃は持久走も非常に苦手に思っていて嫌だったなと寒くなると毎年少し思い出します。

大人になって見ると、実は持久走が嫌いなわけだったではなく、集団でそれをやることが嫌いだったんだなと気づきましたが(笑)。独りでウォーキングをするのは好きですし、歩いていて調子がいいと、自然と(走ってみようか)という気になりジョギングにかわっていくこともあります。

高校生になると年に数回、校庭の400mトラックを7~8周走らされることがありました。2年生になる頃には、運動音痴ながら、どのくらいのペースで走ったら何週目にどんなコンディションになるかというのは大体想定できるようになりました。というか当然なりますよね。それで、最初から無理に集団について走るのをやめたんです。

走り始めから集団とは一人だけ離れて走って、一週目の半分(200m)に到達する頃には、すでに先頭ランナーに追いつかれるくらいのペース。

そうすると何が起こるかと言いますと、2~3週目に差し掛かると、自分と同じくらいの体力なのに初めから無理に先頭集団について走っていた生徒がばてて後退してきて、彼らを抜かすことになるんです。

ただ、人と競うことに全く興味がないので、彼らを抜いていくときに特に高揚感はありません。おそらく彼らのことは視界には入っていてもほとんど見てもいませんでした。「持久走嫌だな、さっさと走って終わらせたいな」と思っているだけです。

さてゴール。運動音痴なんでそこそこ苦しいですが、最初からペースを考えて走ったので、まあまあ苦しいくらい。立っていられる程度。

そして、ほどなくして「僕と同じ運動能力レベルの彼ら」が息も絶え絶えにゴール。全部使い切ってゴール付近で倒れてなかなか起き上がれないくらい。

そうすると、複数いる先生たち、同級生たちが駆け寄って「よくやった」「よくやった」の大合唱。

それに引き換え、同じくらいのタイミングでゴールした僕の扱いは(最初から手を抜いて楽々ゴールしやがって。そんなんで最下位にならなくたって価値はねえからな。)みたいな対応だったことを覚えています(笑)。

世の中って言うのは、自分のレベルも考えずに無駄に汗水たらして頑張るだけの人間の方がかわいいって思うもんなのだろうなと、その時思いました。結果より気持ちなんでしょうね。最近のニュースに関して当初の反応から一転、判官贔屓で有権者の意見が変わってきているのも似た文脈で起こっている現象でしょうね。

全部引き受けて誠実にこなせる人は全く問題ないのですが、僕はそこまでできる男ではないので、そのレベル同士の対比で言うと、自分にできないことを「できます」「できます」って言い張って、結局「できませんでした」って言ってくる人間よりは、できることできないことを見極めて計画的に成し遂げる自分の方が正しいとあの頃も今も思っています。それでも世の中は同じダメ人間だと、結果を問わず汗水垂らす人の方に優しいよな(笑)、と思っていますね。

ということを思い出した、毎年冬に一度は来る朝。

別にトラウマみたいな大層なものではないですね(笑)。