QOOTESの脳ミソ

日記や旅の記録(現在進行中および過去の旅)がほとんどですが、たまに「腹黒日記風」になっているのでお気を付けください。

本日多い話題だと思いますが。

2024-12-07 19:27:10 | 日記
今日もホテルのトレーニングルームで日課のウォーキング終わり。

本日はiPodに入れてある中山美穂さんのベスト盤(2枚組)を聴きながら一時間ウォーキング。

最初の曲は「C」。これがデビュー曲でしたっけ。50代男子(笑)は歌詞を見なくても歌えますよね。僕もです。

ベスト盤は曲が発表順に並んでいるので、懐かしい曲が次々と。「WAKUWAKUさせて」、とかウォーキングにちょうどいいテンポだということに気づきました(笑)。

40分を過ぎる頃でしょうか、曲がみんな大好き「You're my only shining star.」になると、脳内では「ママはアイドル」の最終回が自動再生。

それを聴きながら、中山さん、まだいろいろやりたいことあっただろうな、って。近いところだと、直近のライブが終わったら好きなワイン飲みにあのお店に行きたいな、とか、5年後10年後はあそこにいてああいう仕事をやっていたいなとか仕事はもうそんなにやっていなくてもいいかな。とか、そういうこと。

そんなことを考えていたらもらい泣きしそうに(笑)。

母はだいぶ前、彼女が44歳の時に自宅に一人でいるときに急病で亡くなったんですが、母が死んだ後もおなじようなことを考えましたね。彼女はこれからもっとやりたいことがあったんじゃないか、そもそももっとほかの人生があったんじゃないかってね。

と考えていたら、そう言えばいつもブログを拝見している熊猫さんが、もしかしたら息子さんは今パリから東京に戻る機上なのかも、と書かれていたなと思い出して。

母が死んだ時、僕は21歳、千葉市に住んでいて、母を見つけた父から連絡を受けた姉が僕と妹に電話で連絡をくれました。でももう最終の新幹線には間に合わない時間でした。翌日朝一で帰ろうと荷物をまとめたあとで、同じゼミを受講していた親友に教授にしばらく休むって言ってもらおうと思って23時ごろに電話をしたんです。そうしたらすぐに折り返し電話をくれて、もう一人の友人と二人で深夜の東名高速を車で名古屋まで送ってくれました。

気がまぎれるように面白い話をたくさんしてくれて。友人たちのその気持ちが痛いほどよくわかったので、あの時は僕も頑張って笑いました。

さっき時速6kmでウォーキングをしながら(笑)、その時のことを思いだしていました。

母親を亡くした息子が同じ気持ちになるわけではないけれど、やはり自分の時のことを思い出しますよね。僕の場合は、実際に母の顔を見るまでは足の下の地面がふわふわしていて、現実の世界で起こっていることだとは思えなかったです。

そうこうしているうちに、日課の1時間ウォーキングのうち55分が経過、残りあと5分。12月なので「遠い街のどこかで」に曲をチェンジして、1時間の日課を終えました。

あと2週間ちょっとで楽しいクリスマスだったのに。

神様か仏様か知らないけど、酷なことするなよ。