国語の教科書で『こころ』の一部を読んだ瞬間から夏目漱石が嫌いになり、一冊まともに読んだことは一切ありません。あのチンケなプライドや嫉妬の話が虫唾が走るほど嫌いで。
(なんだこのしみったれた物語は)というのが感想の全てでした。
他の本はそうではないのかもしれませんが、こういうものはめぐりあわせです、最初に気色悪いものを読まされたらもう一生読まなくてもいいです。他に作家は山ほどいるのだから、別に人生を損しているとも思いません。そんなこと言ったら機会を逸して損してることなんて山ほどあります。
小学生の頃に、N君と言う友人がいました。彼がある日、ぜんまいで動くおもちゃを買ってもらって非常に嬉しそうに持っていました。僕も欲しいなと思っていたところ、ちょうどスーパーに行った時に同じシリーズのものが売っていて、母の機嫌がいいタイミングだったので奇跡的に買ってくれました。
僕らは学校でいつも自分のおもちゃを出して一緒に遊んでいました。
ある日の下校中、N君は歩きながらそのおもちゃを手にして遊んでいました。すると手が滑って水たまりの中にどっぷりと落としてしまい、すぐに取り上げたのですがもう二度と動かなくなっていました。
僕のおもちゃは万が一にも壊れることのないように大切にランドセルの中に入れていたので無事でしたが、彼のおもちゃはもうただのゴミ。気まずい雰囲気のまま二人で無言で歩きました。
しばらくすると彼がポツリと一言。
「QOOTES君のも、水に漬けろよ・・・」
夏目漱石的文学だと、この場合「QOOTESくん」はN君との友情と彼のえげつないお願いやプレッシャーの間でとても悩んで、短編一冊くらい書けるようなドラマが脳内でも実際の世界でも起こりまくるはずですね(笑)。
でも僕は夏目ではないし、あの世界が虫唾が走るほど嫌いな人間なので、
「いやだね」って即座に言えました(笑)。
(お前はお前、僕は僕。一緒くたにするな)という思い。逡巡なんてもの一切しません。結論が出せるかどうかは「覚悟」です。どんなときにもさっと腹くくれ。
ま、彼も自分が厚顔無恥なお願いを僕にしているのは承知していたと思うので、それ以上何も言わなかったのですが。それ以来、彼との関係が少し遠くなった気がしますね。もう40年会っていませんが、10年ほど前に暇つぶしに彼の名前を検索してみたら名古屋のどこかの小学校の教頭先生になっていました。
ということをなぜか思い出した今日。
ホントは昨日行くつもりが、今日になってしまいましたが、本日は外出して済ます用事を全部済ませてきました。メモをきちんと持って、漏れがないように用事が済むたびに一つずつ消して。
スムーズに済んだので、今年もお世話になった神仏にご挨拶してきました。この辺で超有名なあそことあそこに行ったあと、僕が勝手に自分の守り神だと思っている観音裏のガネーシャをまつるお寺に行って、今年町に出て済ます用事は全部終了。
若い人がお寺で柏手うってるのはもう見慣れましたが、年配の日本人でも区別つかない方が多いんですね。
ガネーシャと言っても日本の仏教にきちんと溶け込んでいるので「聖天」と言います。近所に住んでる友人に「見える」人がいるのですが(笑)、有名な〇〇寺とか〇〇神社には何もいないから行かなくていい、このエリアで霊験あらたかなのはその聖天様だと聞いて以来、そこをメインに毎年祈祷をしていただいています。
それを聴いて少し後ですね『Spa!』にそのお寺で黒いお願いをしたら全部かなったって言う娯楽記事が載ったのは。
今年自宅にいるのもあと数日、もう外には出ません。夜遅くに行きつけのバーに年末のご挨拶に行くくらいですね。今日はこれからさっと網戸の掃除をしよと思います。