人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

精神を病むか死ぬか、生活保護を受けるか死ぬか、事件を起こすか死ぬか、元ニートの【提言】2

2016年01月22日 | 闘病記
【提言】2

けれども、重要な要因が抜けている。
死ぬ気になる前に、死のうと思う人間がいたり。
どんな仕事でも大丈夫ではないメンタルの人間がいたり。
どんな仕事でも死ぬ気でと頑張った結果、体を壊したり精神を壊したりしたらその後はどうなるのかという現実があったり。
する。
特に三つ目は重要。四十六を過ぎた男が二年働いて腰を悪くして退職を余儀なくされたとする。「どんな仕事でもやらせてもらえるのなら」と入ったので労災が下りなかったとする。次の仕事はもう、肉体労働はできない。立ち仕事も厳しい。年齢は四十八。さあどんな仕事がある。やり直しはきかない。それでも「どんな仕事でも」といえるのだろうか。
これも「甘え」といえば「甘え」。「理由」といえば「理由」。
若い時分から連綿と継続してきた四十半ばと、四十半ばからその若い時分の労苦を始めるのとでは、雲泥の違いがある。年下に使われることが云々というレベルの話ではない。如実に体力・身体能力の話だ。
精神面でも、ある。人生に後がない人間は、耐えるしかない。もう逃げることはできない。実際に逃げなくても可能性として「別の仕事に変わろうか」と考えられる余裕があればいい。どれほど職場になじめなくても、職種になじめなくても。

「甘え」なのか「必要」なのか分からない。けれども「救い」が必要だと思う。
「甘え」だとしても自業自得だとしても、精神を病むか死ぬか、生活保護を受けるか死ぬか、事件を起こすか死ぬか、そこまで追い詰められていることに間違いはない。


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