【ニート化とニート後遺症が惹き起こした最悪の事件】
こんなことをとりとめもなく思い書き連ねている最中、十七年一緒に暮らした愛描が、急逝した。死因は不明。老衰ではなかった。病院に連れていくことも食べたいものを存分に上げることもできなかった。金がなかった。いや、できなくもなかった。俺が一日程度、喰わなければ良かった。必要だからといって、バ.カみたいにリサイクル屋で千円程度のスーツを買った。そんなもの買わなければもう少し何かしてやれた。
悔恨ばかりで、ついに、めまいが常態化した。医者にいけばメニエルとでも診断されそうだ。気付くと天井がゆれている。常に頭がぐらぐらする。
そんなことはどうでもいい。
ひたすら大事にしてきたのに、大事にしたかったのに、最後に何もしてやらなかった。ノミトリの薬を投与してやればかゆみに苦しまなかったかもしれない。もっと長生きしてくれたかもしれない。体調不良を起こしていたならその薬のせいで悪化させてしまったかもと自分を慰めようとするけれど、何もしてやらなかったことには変わりない。
ずっと俺の愚痴を聞いてくれた。ニート後遺症に苦しんでいる折、泣きながら「ごめんな」と言ったことがある。続けて「がんばるからな、いいご飯食べような」と声をかけてから出社していた日々もある。
本当に、幻覚・幻聴は存在すると知った。
苦しませて、逝かせてしまった。老後の面倒までみるつもりだった。
俺にはもう笑う資格も楽しく暮らす資格もない。
笑うことは罪だ。楽しく暮らすことも罪だ。
笑いたくもない。楽しいとも思わない。
けれども母がいる。この子の娘もいる。大事な家族に、これ以上嫌な思いをさせるわけにはいかない。だから笑う。冗談もいう。楽しそうに暮らす。そのたびに罪を負う。などとかっこいい言い方する必要もない。最初から、ニート化した段階からそれがもう、大罪。ちゃんと働いてさえいれば医者にだって診せられた。もっとおいしいものを食わせてやれた。全力で愛し切ることができた。
そんな俺が、笑うことは許されない。楽しむことも許されない。幸福などもっての他。
それでも家族の為に笑う。筋肉だけで笑いの形を作る。
一生そうやっていく。
ニート化とニート後遺症が惹き起こした、最悪の事件。
なぜこの子は俺を連れていってくれなかったのか。俺に罰を与えたかったからかもしれない。
運命をいじるカミサマ的なものが存在するなら、なぜ俺を仕留めにこないのか。近しい、俺によくしてくれる人から殺しては連れていく。これが俺への罰なのか。
そう思うことも、病なのだとしたら、俺はもう完治することも寛解することもない。
「ニート後遺症」は、死ぬことも許してくれない。母を残して逝くわけにはいかない。これ以上母に嫌な思いをさせるわけにはいかない。
だから、普通の人のふりをして、笑顔を作りながら小銭を稼いで暮らす。
これが「病」なのか「闘病」なのかは、もうわからない。
病院にいけば何かしらの病名がつくかもしれない。ついたところで、何かしらの治療を受けたところで、流れた時間は戻らない。そもそも。
治療を受けられる金が、ない。
頭の中の何かが頽れて、周囲に不快感や危害を加えないよう自身をコントロールする。
そうか、と合点する。それが「ニート後遺症」の「闘病生活」の姿だ。
こんなことをとりとめもなく思い書き連ねている最中、十七年一緒に暮らした愛描が、急逝した。死因は不明。老衰ではなかった。病院に連れていくことも食べたいものを存分に上げることもできなかった。金がなかった。いや、できなくもなかった。俺が一日程度、喰わなければ良かった。必要だからといって、バ.カみたいにリサイクル屋で千円程度のスーツを買った。そんなもの買わなければもう少し何かしてやれた。
悔恨ばかりで、ついに、めまいが常態化した。医者にいけばメニエルとでも診断されそうだ。気付くと天井がゆれている。常に頭がぐらぐらする。
そんなことはどうでもいい。
ひたすら大事にしてきたのに、大事にしたかったのに、最後に何もしてやらなかった。ノミトリの薬を投与してやればかゆみに苦しまなかったかもしれない。もっと長生きしてくれたかもしれない。体調不良を起こしていたならその薬のせいで悪化させてしまったかもと自分を慰めようとするけれど、何もしてやらなかったことには変わりない。
ずっと俺の愚痴を聞いてくれた。ニート後遺症に苦しんでいる折、泣きながら「ごめんな」と言ったことがある。続けて「がんばるからな、いいご飯食べような」と声をかけてから出社していた日々もある。
本当に、幻覚・幻聴は存在すると知った。
苦しませて、逝かせてしまった。老後の面倒までみるつもりだった。
俺にはもう笑う資格も楽しく暮らす資格もない。
笑うことは罪だ。楽しく暮らすことも罪だ。
笑いたくもない。楽しいとも思わない。
けれども母がいる。この子の娘もいる。大事な家族に、これ以上嫌な思いをさせるわけにはいかない。だから笑う。冗談もいう。楽しそうに暮らす。そのたびに罪を負う。などとかっこいい言い方する必要もない。最初から、ニート化した段階からそれがもう、大罪。ちゃんと働いてさえいれば医者にだって診せられた。もっとおいしいものを食わせてやれた。全力で愛し切ることができた。
そんな俺が、笑うことは許されない。楽しむことも許されない。幸福などもっての他。
それでも家族の為に笑う。筋肉だけで笑いの形を作る。
一生そうやっていく。
ニート化とニート後遺症が惹き起こした、最悪の事件。
なぜこの子は俺を連れていってくれなかったのか。俺に罰を与えたかったからかもしれない。
運命をいじるカミサマ的なものが存在するなら、なぜ俺を仕留めにこないのか。近しい、俺によくしてくれる人から殺しては連れていく。これが俺への罰なのか。
そう思うことも、病なのだとしたら、俺はもう完治することも寛解することもない。
「ニート後遺症」は、死ぬことも許してくれない。母を残して逝くわけにはいかない。これ以上母に嫌な思いをさせるわけにはいかない。
だから、普通の人のふりをして、笑顔を作りながら小銭を稼いで暮らす。
これが「病」なのか「闘病」なのかは、もうわからない。
病院にいけば何かしらの病名がつくかもしれない。ついたところで、何かしらの治療を受けたところで、流れた時間は戻らない。そもそも。
治療を受けられる金が、ない。
頭の中の何かが頽れて、周囲に不快感や危害を加えないよう自身をコントロールする。
そうか、と合点する。それが「ニート後遺症」の「闘病生活」の姿だ。
だって、決意して、立ち上がったんでしょ?
だったら、尚更、お腹の底から笑って欲しいと思います。
もし息子が、私のために無理やり笑ったとしたら、私は嬉しくない。
大罪は大罪かもしれないけど、それに気付いて
生き方を変えようとしているのでしょ?
貴方が、本当に笑って、本当に幸せに向かって
頑張ることが、一番の親孝行ではないかな。
人は、自分が幸せでなかったら、自分以外の人を
幸せには出来ないと、私は思っています。
人間なんて、それくらい利己主義で我儘で、
どうしようもない動物でしょ?
先ずは「自分を好きになれる自分」を目指してはどうだろう。
自分以外の人の幸せは、その後ではないかな。
優先順位をつけて、ひとつずつクリアしていくと、いつか点が線となり、
形作っていくような気がします。
拙い私の人生経験の中で学んだことだけど。
役には立たないかもしれないけど、色々ごちゃごちゃ、ごめんなさい。
気を悪くしないでね。