人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

【十数年、ニートだった】

2015年12月29日 | 闘病記
【十数年、ニートだった】

これは、闘病記だけれど、未完。いつ闘病生活が終わるのか、分からない。恢復はないのかもしれない。そう思うこと自体が病なのかもしれない。これ自体、もしかしたら病ではないのかもしれない。

俺は、十数年、ニートだった。無職無業。今年、2015年、アルバイトではあるけれど職に就いた。ずっと思っていた。やる気になれば社会復帰できると。震えが止まらないほど甘い考えだと気付かされた。現実と直面した。意気揚々と社会復帰するつもりだった俺は、嘔吐とめまいと腹痛を抱え、生まれてから四十年一度足りと持ち得なかった自殺願望を持った。現実は重く分厚く押し寄せてくる。俺はかろうじてニートではなくなった。ニートではなくなり高齢低所得者となった。そしてニート後遺症に悩まされるようになった。

いつの間にかニートになっていた。自覚はなかった。この日から「よしニートになろう」と決断してそうなるニートは、多分少数。
大学を出てビデオレンタル屋でアルバイトをした。辞めてからホテルスタッフをした。ホテル閉館と共に無職となった。気付くと毎週愛読していた求人情報誌を読まなくなった。
実家住まいだったから生活は両親に寄生した。
少々問題のある家庭で、若い頃から事あるごとにすぐに荒れる。父がビール瓶を投げたり弟が暴れたり。それをいさめるのが仕事と、自分を納得させていた。ニート化してからもそれを仕事として、だから食べさせてもらってもいいと納得した。インターネット上では、ニートを揶揄し又は自虐的に自称して「自宅警備員」と称する。全くもってその通りだった。
母に頼まれて地域ボランティアに参加した。事の他楽しくて、夢中になった。実は、20代最後の年、必死に就職活動をした時期があった。結果は全滅。それでもがんばらないととは思いつつ、ボランティア参加を理由に一時就職活動中断をしてしまった。その後に就いた職は二~三年程度のホテルスタッフだけとなる。
弟が家を出た。遠い地で真面目に生活を立て直した。立派だと思いながらそれをわが身に振り替えて考えることはなかった。

父が亡くなった。


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