人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

父が亡くなった。

2015年12月29日 | 闘病記
父が亡くなった。


母と二人と猫二匹、家で暮らした。母の稼ぎと自分の貯金でそれなりに自由な暮らしをした。当然、貯金は簡単に消し飛ぶ。母が退職した後は年金生活に入る。それにも寄生した。母は、この子はいつか何かをするだろうと見守ってくれた。それに甘えた。
弟が結婚し子どもを二人作る。孫たちへの想いから母の財布が大きく緩み、後に気付けば貯蓄が二桁になっていたと聞かされた。2013年から遠い土地に住む縁者、また身近な縁者が立て続けに亡くなり大きな出費が連続した。ガス給湯器が壊れ洗濯機が壊れ自動車が壊れプリンタが壊れ電子レンジが壊れ、ついに母のカードが使用停止となった。その月から税金と光熱費・通信費に追われることになる。新聞代の請求がくる。ガス代が引き落とされないのでガスを止めるという電話がくる。水道管も破裂した。応急処置はしてもらったけれど支払うことができないまま工事は中断。放置してしまっている。電子レンジも買わずに、買えずに、冷たいご飯を喰うようになった。

2015年、繰り返すが、母のカードが臨界を越えることを知りようやく職を探し始めた。それ以前も探してはいたのだけど危機感がなかった。
危機感がなかったのではなく、現実感がなかった。

とりとめもなく、現状への道筋をメモした。
更に少し、続く。

二社ほどの面接に落ち、いよいよの困窮を目前にして、母と話し合っていた方向とは違う形で、とにかく収入を!との思いで四時間の品出しアルバイトに応募し、雇用してもらう。母と話し合っていた方向とは、「収入が少ない・何年働いても技術的に得るものがなく、経歴的にも次に繋がらないアルバイトはやめよう。もし何かの都合で離職し、再び職を探すことになった時、履歴書に書いて多少でもプラスになる職場を探そう」というもの。例えば、スーパーに品出しがそれに該当するよねと話し合っていた。けれども、困窮と目の前で求人の張り紙をみた勢いで、応募し採用された。
ここでとりあえず、ニート生活が終了することになる。

この時点ではまだ現実感がなく、頭が悪いことに「新しいデジカメ買えるかも」と冗談をいいながら電気屋をぶらぶらしたりもした。ところが。

働き始めた初日。帰り路。足が震えた。翌日。職場に向かう道。泣いてしまった。
ニートではなくなった。けれどもそこから、ニートの後遺症に悩まされることになった。

整理もつかない、長い前置きはこれでお終い。

【ニート後遺症とは何か】


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