人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

求人情報を今、確認した【ニート後遺症との闘病】

2016年02月09日 | 今、思う。
鼓舞と猛省、発奮と後悔。その途中に稚拙な妄想。
毎日のメンタルの動き。実働が結果に伴わない、等というととても立派な日々を送っているように聞こえる。要はバイト探しても見つからないだけ。就活などというととても大学四年生に失礼な物言いとなってしまう。

もういっそ本格的な肉体労働に身を投じようかとさえ思う。どこかに相談にいけば、それ以外ないでしょと一笑されるかもしれない。ただ、何度もここで言い連ねているように、今、体が壊れるということはそのまま人生が壊れるということになる。病院にいけない、薬も買えないという状況なんだ。現在、軽い腰痛なのだけど、湿布など高価過ぎて手が届かない。できるのは、よい体勢を取って静かに寝ることくらい。各種保険に入れるとかそういうことではなく、体を壊して今以上に働けなくなったら次がないという話。

若い脱ニート者なら、まだ、希望がある。
俺のように体力がひたすら低下していく高齢脱ニート者は、そういう方向でも働き切れない。というような現実を直視すると、とめどない嘔吐感と眩暈、耳鳴りに襲われる。これを打ち連ねている今も、まさに、その症状が出ている。
座して死を待つなと、過去、父が言っていたのを思い出し、求人募集のフリーペーパーやサイトを覗く。意志はまだあると確認するも、時折、ズドンと途切れる。全てをやめたいと思ってしまう。思ってしまった後の恐怖。精神くらいは踏みとどまらなくてはいけない。

と、今、求人情報を確認して何もなかったので、こんなことを考えた、という話。

そして気付いた。求人情報に、なんとか応募できそうなものがなかったことに、どこかほっとしている自分がいる。何もなくて落胆しはぐきがギリギリ痛かったのに、安堵もしていた。俺はどこかで働きたくないと思っているんだ。その俺を叱咤して、進む。
進めば、好転する。
好転する。

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