なにぶん、なりゆき なもんで
、・ 改め らくごしゃ の なりゆき(也がついたり、つかなかったり)
なぜだか盗人猛々しい田舎坊主にも三分の理
お墓を掃除し、花を手向ける。
おふくろは嫁いだときから延々と墓守をして来た。
ふたり姉弟のばか息子のオレの姉は既に鬼籍に入り、
ばか息子ひとりとなっている。
そのばか息子には子どもはいない。
おやじは、もう真っ先に鬼の籍に入っていた。
おふくろは長年の苦労を過ごした故郷地元を全て棄て、
都内の亡くなる前の姉を頼りに上京して来た。
その為におやじとふたりで続けた稼業の金物屋を廃業し
大量の在庫の雑貨をひとりでコツコツ処分した。
並大抵の作業ではなかったと思う。
オレは映像制作会社にいて、忙しぶってた。
いつでも手伝いに帰ると伝えはいたが、
おふくろは遠慮してか、
稼業のことを知らないオレを呼び、
逐一訊ねられる煩わしらより
自分の手でひとつひとつ片付ける苦労を選んだ。
稼業を畳むのも一大事だ。
そして、頼りないオレは
おふくろの思いやりで店じまいの蚊帳の外にされた。
稼業の事情はここまでで良しとしよう。
この難題は永年のしがらみと言って良いだろう、
そう、先祖代々のお墓の処理の問題である。
おふくろにお墓の処分を当時、
以前から何度も相談されていた。
オレには子どもがいなかったので、
先祖代々の家を締めくくる、そうThe Endの役目だ。
相談される都度、複雑な気持ちに
思わされることはあったが、
子どもがいないことには変わりはなかったし、
いたところで遠く離れた故郷のお墓のことは
思案のしどころである。
オレにははじめから決まっていた。
故郷のお墓は処分する、処分せざるを得ないと。
歴史の重みは閉じることは、
随分とこころを痛めたところである。
なにせ打ち止めにとどめを刺すのはこのオレだ。
江戸から永く長く続く墓跡を失くすのだ。
おふくろの墓のことは考えた。
歴代の墓には入りたくないとおふくろは言った。
それでオレの中では話は決まった。
オレの骨はとは言えば、
そもそも、オレは「・」塵である。
綿々と繋がる歴史を「・」塵でとじる。
あとはないので、墓は要らない。
残したところで風が吹けばいつかは失くなるだろう。
それまでだれが面倒をみるんだ。
墓はなくし永代供養をして貰おうと言うのが
オレ「・」塵からの望みであり主張だった。
先祖という歴代の性根(しょう)というものを抜く。
世代交代した檀家の若い田舎坊主が
拙いながらお経をあげてそれなりの手続きに
それ相応のお布施がかかったそうだ。
田舎坊主は、そこで仕事を終いにすれば良かったのだ。
しかし、田舎坊主の欲の皮が張った。
奴は、専業坊主では食べていけず副業も抱えていた。
残念ながら、田舎坊主は破廉恥、助平にも、
いや、自分の実生活に正直にも重きを置いた。
「これは貰って行きます」と、仏壇の観音様、
おふくろが言うには純金の観音様を
手掴みで一方的に袈裟の胸元に入れて帰ったそうだ。
田舎坊主は、俗な「・・・〜」塵の繋がりだった。
つまり「ぽくぽくぽく、チーン」だ。
奴は自分の生活を思い、塵が積もり塊となり、
埃となり澱みとなった。
我が家との永年の付き合いの伝統や歴史性は、
お互い檀家制度から離れると同時に、
金の切れ目が縁の切れ目と、
奴自らから世俗生活のゴミ箱に
両足を突っ込んで入って行った。
まだ若い田舎坊主には、墓じまいという
檀家の哀しみと複雑な感情事情より、
自ら自身の生活を優先して、
人の家の仏壇の観音様を、自分の取り分として、
勝手にむしり取り懐に入れたのだ。
坊主にも三分の理として、
観音様とともに、自ら深く墓穴を掘ったのだ。
盗人田舎坊主の最後の所業は、
墓穴くらい業の深いことだった。
南妙法蓮華経、南妙法蓮華経、南妙法蓮華経。
それでも坊主は俗に生きて行かねばならないのだろう。
往生するのだろうか、田舎坊主は。
「善人なをもて往生をとぐ,いはんや悪人をや」
南無阿弥陀と、宗旨替えでもするだろうか。
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