鍵穴ラビュリントス

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世の中にたえて桜のなかりせば

2016-04-08 16:12:00 | 和歌
世の中にたえて桜のなかりせば
      春の心はのどけからまし

[作者]在原業平(伊勢物語)

【訳】世の中に桜がなかったのならば、春に心のどかにいられるでしょうに。
⇒世の中に桜があって散ってしまうからこそ、春、心穏やかではいられないのです。


「まし」という反実仮想の例文としてよく見かけられる。

  ましかば~まし
  ませば~まし
  せば~まし
  ば~まし   ・・・反実仮想の4つの形


例:そのききつらむところにて、ことこそは、詠まましか[已然]。
[作者]清少納言(枕草子・九九段)
【訳】その(ほととぎすの声を)聞いたと言う場所で、すばやく歌を詠めばよかっただろうに。


●伊勢物語の続き●
上の在原業平の歌を受けて、詠まれた歌↓↓


散ればこそいとど桜はめでたけれ
      うき世になにか久しかるべき

[作者]不明(伊勢物語)
【訳】散るからこそ、とても桜は素晴らしいのだ。~



―――――――
昔の桜はもっと濃い色の桜だったんでしょうね。

今日は、おばあちゃんから「花いかだ」という単語を学びました。
そして、おばあちゃんと、お気に入りの喫茶店にまた行きました。






かくばかり恋ひつつあらずは高山の

2016-02-16 17:40:58 | 和歌
かくばかり恋ひつつあらずは高山の
  磐根(いはね)し枕(ま)きて死なましものを

[作者]磐姫/石之日売(いわのひめ)

磐姫(いわのひめ)は、仁徳天皇の皇后。
また、大豪族の葛城(かずらき)家の愛娘でもある。
『古事記』にも『日本書紀』も『万葉集』にも出てくる。

この歌は、『万葉集』巻二の巻頭を飾る、相聞歌四首のうちの二つ目。


※注意※
ニニギノミコト(邇邇芸命)の妻コノハナサクヤヒメ(木花之佐久夜毘売/木花咲耶姫)の姉イワナガヒメ(石長比売/磐長姫)と混同しないように。ニニギは、天皇の始祖である。


[現代語訳]
ああ、この胸をかきむしられるような苦しさ。こんな思いをするよりも、いっそ、死んだほうがまし。山深い墓の中に葬られ、岩を枕に眠ったほうが、ずっと楽になるでしょうに……。(『乙女の古典』から引用)



また、磐姫は、家出皇后として知られる。
つまり、とても嫉妬深かったのだ。
しかし、仁徳天皇も心の奥では磐姫を一番愛されており、当時珍しい蚕(かいこ)を見に、という理由で磐姫の家出先にやってきた。
『乙女の古典』 作者 清川 妙
――に、椿の長い歌も載っているので、是非読んでみてください。
絵も綺麗ですよ♪


同じ作者の
『枕草子』 作者 清川 妙
――も、私の小学六年生から好きな本で、絵も綺麗です。
是非ご覧あれ♪





玉鬘 金の岬 続き

2015-12-09 16:57:52 | 和歌
さきほど玉鬘(たまかずら)の紹介はしました。

玉鬘とその乳母(亡くなった夕顔のことも知っている乳母)と乳母の娘たちが、筑紫の国(九州)から瀬戸内海を小舟で京に向かいます。乳母は玉鬘のことを夕顔の形見として優しく面倒をみています。

京から遠く隔たっている筑紫でこれ以上(四歳まで)育っていては、源氏の君の息女というのに、田舎育ちというレッテルが貼られると思った乳母は、京に向かうことを決意したのです。

舟の上で、幼い玉鬘は

【原文】
幼き心地に母君を忘れず、をりをりに、「母の御もとへ行くか」と問ひたまふにつけて、涙絶ゆる時なく、むすめどもも思ひこがるるを、舟路ゆゆしとかつは諫めけり。

【現代語訳】
幼い心地に母君を忘れずに、たびたび、「母のおそばに行くのか?」と問いかけなさるにつけても(もう夕顔は亡くなっているので)涙が途絶えるときはなく、(乳母の)娘たちも(京都を)思い焦がれるのを、舟路には縁起が悪い(何故かは分からん)と(乳母は娘らに、自分も哀しいんだけど)一方では忠告する。


そのあと、舟子(水夫)たちが
【原文】
「うら悲しくも遠く来にけるかな」
【現代語訳】
「なんとなく寂しくも遠くに来たのであるなあ」


と聞くので、乳母の娘たち二人はさし向かいで泣きました。そして和歌を互いに詠みました。


 舟人もたれを恋ふとか大島のうらかなしげに声の聞こゆる


【文法】
疑問の係助詞「か」が「聞こゆる」と体言止めにしています。
また、「舟」と「うら」が縁語になっています。
また、「うら」が掛詞になっています。
うら・・・浦、心(うら)


【訳】
舟人のだれを恋い慕って大島の浦を通っている時うら悲しげに声が聞こえてくるというのでしょう。


もう一人。

 来し方も行方もしらぬ沖に出でてあはれいづくに君を恋ふらむ


【文法】
代名詞「いづく」が現在推量の助動詞「らむ」にかかって、「らむ」は体言止めになっています。
あと、私のノートに

こし方←時間(未然形)
きし方←道 (連用形)

と書いてあって、カ行変格動詞の「来」は(「来」カ変、「し」過去の助動詞)は「きし方」らしいです←おぃこら忘れてる……。


【訳】
来た方向も行く方向も分からない沖に出て、ああどこであなたを慕わしく思うのでしょうか。



また、そのあとに「金の岬」の段では、
「鄙(ひな)の別れ」・・・都から遠い田舎に別れて行くこと
「世とともの」・・・つねづねの
という面白い表現もありますが、もうエネルギー切れなので端折ります。



玉鬘 金の岬

2015-12-09 08:20:09 | 和歌
このブログで初めて?!書く源氏物語の一節です。


題名の「玉鬘 金の岬」は「たまかずら かねのみさき」と読んでください。
玉鬘夕顔の娘です。
この鍵穴ラビュリントスの「薄桜鬼」のカテゴリーにも入っている源氏パロディで、匂宮浮舟が出てくると思いますが、夕顔も浮舟も、身分が低いのにそれぞれ源氏の君・薫・匂宮に愛されていた女性です。
「更級日記」(最初、東路(あづまぢ)の道の果てよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人)の作者菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)は、娘のころ、夕顔や浮舟になりたいと思っていました。身分が低くても身分の高い男に愛されたい……、と思ったのです。

さて、玉鬘の段に入りたいのですが、今日はボランティアに行くので、帰ってきたらまた書きます。
書きはじめは、かの若君の四つになる年ぞ、筑紫へは行きける。――です。若君とは玉鬘のことです。


玉鬘(たまかずら)「母の御もとへ行くか」


これが可愛くて可哀相で……。


では夕方にまた。


三笠山(みかさやま)

2015-09-19 13:30:59 | 和歌
天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも

[作者]阿倍仲麻呂

百人一首にも載っている、遣唐使として19歳にして唐に渡った阿倍仲麻呂の歌です。
そのときの皇帝に気に入られ、唐で活躍。
一度日本への帰国を許されたが、船が難破して日本まで渡れなかったので引き返す。
李白や王維とも親交があった。
唐の地で没す。

【現代語訳】
天を仰いではるか遠くを眺めれば、月が昇っている。あの月は奈良の春日にある、三笠山に昇っていたのと同じ月なのだなあ。



ちなみに
文明堂のどら焼きで「三笠山」ってあります。どら焼き、まあるいから、この歌から名付けられたのです。

七重八重花は咲けども山吹の

2013-06-05 13:13:13 | 和歌
七重八重花は咲けども山吹の
  実の(蓑)一つだに無きぞかなしき



検索してみてね(  ..)φメモメモ

太田道灌に関連するお話です。


さて……山吹っていったら、清少納言の枕草子が思い出されます。

山吹は、春の花。
初秋の山吹といえば、返り花。


137段【殿などのおはしまさで後(のち)】

定子がたの権力に影がさし始めたころ、清少納言は道長がたとも親しく接しているので、定子側のほかの女房たちに、清少納言は内通者ではないかと疑われてしまっていました。清少納言のさばさばとした性格がそういう風になっちゃっているだけなのにね。
もう、やになったわ。
清少納言はその視線に耐え切れず、実家にひきこもってしまいました。
ひきこもってもう秋です。
と、こっそり使いの者がやってきました。

「御前より宰相の君して、忍びて賜(たま)はせたりつる」
訳:「定子様が宰相の君を通して賜(たまわ)った秘密のお手紙です」

と届けられた手紙には、紙には字が書いてありませんでした。
そのかわり、ひらり舞い落ちたひとひらの山吹の花。
それに、細い字で「いはで思ふぞ」と書いてありました。

山吹の返り花。「帰っておいで…」とでも聞こえてきそう。
『古今集』の素性法師の歌:
   山吹の花色衣ぬしたれや問へど答えず口なしにして
「私が贈り主ということは秘密よ……」
そんなあたたかい、定子様の優しさが凝縮された贈り物でした。

「いはで思ふぞ」は『古今六帖』の「いはで思ふぞいふにまされる」なんだわ。あれ?上の句なんだったかしら?ド忘れした。と、そばに座っていた女の子が
「『下ゆく水』とこそ申せ」
訳:「『下ゆく水』ですわ」
と教えてくれた。
ああ、そうだった。
『古今六帖』の短歌:
   心には下ゆく水のわきかへりいはで思うぞいふにまされる
だったわ。

そののち、清少納言はお返事を出して、出仕しました。めでたいな。


 
定子と清少納言の心温まる主従関係のお話でした。









空寒み花にまがへて散る雪に

2013-01-11 13:30:30 | 和歌
私は清少納言が好きです!

そこでまず紹介したいのは藤原公任(ふじわらのきんとう)との合作。

白氏文集(はくしもんじゅう)にある白居易(はく・きょい)の律詩「南秦ノ雪(なんしんのゆき)」に出てくる
「三時雲冷ややかに多く雪を飛ばし、二月山寒くして少しく春有り」(書き下し文)
という一節を用いて歌を詠み合います。
では原文にところどころ注釈をつけながらいきます。
 
  二月(きさらぎ)つごもりごろに


二月つごもりごろに、風いたう吹きて、空いみじき黒きに、雪少しうち散りたるほど、黒戸に主殿寮(とのもづかさ)来て、「かうて候ふ(さぶらふ)。」と言へば、寄りたるに、「これ、公任(きんたふ)の宰相殿の。」とてあるを、見れば、懐紙(ふところがみ)に、 
 少し春ある心地こそすれ
とあるは、げに今日の気色にいとよう合ひたる。

(略)

げに遅うさへあらむは、いと取りどころなければ、さはれとて、
 空寒花にまがへて散る雪に
とわななくわななく書きてとらせて、いかに思ふらむとわびし。


訳:二月の下旬ごろに、風がひどく吹いて、空がとても黒いのに加えて雪が少しはらはらと散っているころに、黒戸(清涼殿の北・滝口の西)に主殿寮(宮内省の天皇のお世話をする職員)が来て[主殿寮は黒戸までしか来れない]、「ごめんください。[来訪の挨拶]」と(主殿寮が)言うので、(私が)寄ると、「これ、公任の宰相殿の(文)です。」ともってきているのを、見ると、懐紙に、
 少し春があるような気がする
とあるのは、なるほど今日の空模様にとてもよく似合っている。
(略されているここで、これに上の句をつけてくださいと急かされる)
(上手でもない返しが)そのうえ遅いのであったら、とても取り柄がないので、どうとでもなれと思って
 空が寒いので、桜の花に見まちがうほどに散る雪に
 [形容詞の語幹についた接尾語で原因・理由を表す]
と手がふるえながら(私が)書いて(主殿寮に)もっていかせて、(公任たちが)どのように思っているだろうと思うと心もとない。
(そのあと、褒められていたそうで、ほっとしたわ、となります)

ここでよく問題になるのは、清少納言(ここでいう私)のどういう点が評価されたのか、ということです。

①白居易の漢詩をふまえた上で
②公任同様、今日の空模様に合わせて書いた

の2点入っていればまるがもらえるはずです。



というわけで、解説終わり!