万葉集っていいよね。
心がほっこりします。
―万葉集の基礎知識―
万葉がなという、漢字の音訓を組み合わせた言葉を用いていますから、原文は漢字です。
万葉集の歌は大きく分けて三つに分かれます。一つは相聞歌、これは一般に男女が恋の歌のやりとりをした対になっているものです。二つ目は雑歌、これは主に季節をめでる歌や旅先で詠んだ歌です。最後に、挽歌、これは哀悼を表す歌です。
月讀之 光二来益 足疾乃 山寸隔而 不遠國
月読の光に来ませあしひきの山きへなりて遠からなくに
[作者]湯原王(ゆはらのおほきみ) などなど……
湯原王は天智天皇の子の志貴皇子の子(つまり天智天皇の孫)です。
訳:月の光が照らすなかわたしのもとに来てくださいな、山を隔てているほど遠くはないのですから
湯原王は男ですが、高位の男を待つ女の立場を装って詠んでいる歌です。
高位のというのは、「来ませ」の部分で分かりますね。
これも相聞歌の一つです。
月読とはつくよみ、もしくは、つきよみと読みます。
もともと月読は日本神話では三貴子の一人です。
三貴子とは、黄泉の国から帰ってきたイザナギが禊(ミソギ)をした際、生まれた三人の神々のことです。イザナギの片目から生まれたのが太陽を司る天照大御神(アマテラスオオミカミ)であり、イザナギのもう片方の目から生まれたのが夜を司る月読命(ツクヨミノミコト)、イザナギの鼻から生まれたのが海を司る須佐之男命(スサノオノミコト)でした。三貴子は三柱の貴子とも呼ばれます。
太陽と月の神をこのように双子らしく考える考え方は他の神話でもうかがえます。
ギリシャ神話では太陽の神アポロンと月の女神アルテミスは双子(とされています。
と、難しくはそうなっていたのですが、この歌の場合「月読」は単に月として捉えてよいでしょう。