日日是好日

「アナザー・カントリー」について、実に主観的に書き散らしてます。
たまに身辺の雑記も。

意外と……?

2013-09-09 20:06:15 | おしん
おしんはガチガチのエゴイストだ。
そう思っていた私です。

たとえば、お加代の息子の希望に、
自分たちとは血のつながりがないことを話すタイミング。

長男の雄が、中学入試を突破した直後なんです。

昔は私は、
「はは~~ん。おしんの奴、
大店の娘と、帝国学士様の間のサラブレッド(=希望)に頼らなくても、
自分の実の息子の出来の良さが証明されたもんだから、
お前とは赤の他人だよって、希望に話す気になったんだな」
と解釈していました。
(ずいぶんひねくれた見方だと言われると、
存外でしたわ)

でも、この年になってみると、
「雄が自分の道を歩み始めたので、
希望の自主性も尊重しようとしたに違いない」
と、考えが変わりました。

……後者の方が普通なのかしら??

ある一冊

2013-09-09 19:51:43 | ほんをよんであふれたもの




星のふる夜に

****

絵だけで構成された絵本です。

あらすじは、ホントに一行で要約できるので、
あえて書きません。


小鹿が訪れた街。
あれは、タケルにとっての地球だったのか、ギシン星だったのか。
前者と思って「トワイライト」と書いた私ですが、
あるいはギシン星なのかも。

客観なきマンガ

2013-09-09 19:26:20 | ぼくの地球を守って
まんまです。

たとえばシュウカイドウがモクレンに、
「シオンには気を付けた方がいい」と警告します。

モクレンは、
「シュウカイドウとシオンはお友達なのに。
あんな風に言うなんて、シュウカイドウはおかしいわ」
と解釈します。

でも、そうなのか?

シオンは本当に要注意人物なのかもしれない。
あるいはシュウカイドウはモクレンを想っているので、
嫉妬から二人の仲を裂こうとしたのかもしれない。

いったい、本当のところどうなのか?
作者は決定的な方向を教えてくれないのです。

「ぼくの……」にあるのは、キャラの主観だけです。
誰が何を言った。何を考えた。
それらは緻密に、読者の前にさらけ出されます。
でも真実は何なのか。
作者はわざとのように、答えを見せません。

こういうのって、純文学ではよくあるんですよ。
でもマンガでは珍しい。
私は初めて読んだ気がします。
マンガ家は必ず読む者をリードして「あるべき方向に」導こうとします。
自分がすでに出している答えを、読者に、いわば強制する。

「ぼくの……」には、安定したキャラがいない。
あ、この人の感性に乗って読み進めれば大丈夫といっとき思っても、
どこかで裏切られる。
誰にも自分を託せない。

「ぼくの地球を守って」を読むためには、
読者自らが物語の世界に参入するほかない。

だからこそ、人気を博したんでしょうね。