こんにちは、cathyです。
入院前の記憶。正直、曖昧です。
デイケアに週何回行っていたのか、どのくらい休んでいたのか、覚えていない。
訪問看護さんが週1回来てくださっていたのは覚えているけど、どんな話をしたのか、覚えていない。
家事はほとんどできていなかった。ほとんど、夫や長女に任せきりだった。横になってばかりで、なんとか気持ちを上げようと音楽を聞いて。でもそれは端からみたら、単にゴロゴロして音楽を楽しんでいる母であり、妻であり。見たくない姿だったと思う。そしてそんな自分に、夫や長女は愛想を尽かした。夫とは口論ばかりが増え、雑談が消えた。長女とはもう何ヵ月も、会話が成り立たなくなった。
ちょうど1年前の今日、そんな長女と話をしようとした。
なんとか仲直りしたい、その一心だった。
でもうまくいかなかった。
曖昧な記憶の中で覚えている断片的な言葉。
長女からは、この人、と呼ばれた。
会話が噛み合わない中で浴びせられた言葉。
「この人、本当に空気が読めない。」
同席していた夫も賛同していた。
「うん、この人は空気を読む人じゃないよ。」
まさか家族から聞くとは思っていなかった言葉。
ものすごい疎外感、孤独感。口がカラカラになる。
そして長女が泣きながら言い放った言葉。
「もう、私には母親なんていない。そう思って生きる。」
そして話は終わった。
夫に何度も聞いていたこと。たぶん、あの日も聞いた。
いなくなってもいい?
その度に夫はこう言った。
「どうぞ、ご勝手に。」
今から考えても、今これを読んでも、病んでいたと思う。
生活は荒れていたし、家族の中で浮きまくっていたし、家族としての務めを何一つ果たせていなかった。
ただ、そこから脱け出すためにどうしていいかわからなかった。
わからないまま、ただ時間だけが過ぎて、どんどん追いつめられていった。
もう逃げることしか思いつかなくなっていた。
そんな中で次女だけが、いつでも、寄り添ってくれた。
手を握ってくれた。大好きだよと、言ってくれた。
1年前の今日も、ぎゅっとしながら寝た。それが最後になった。
最後まで信じてくれた優しい小さな手を、私は離してしまった。
後悔していることはたくさんあるけれど、このことが一番、悔やんでも悔やみきれない。
そして1年前の明日が来る。
今年も、明日がやって来る。
私は何をしているのだろう。
ネガティブな思考に引きずり込まれる。
明日、誰かに、会えるかな。
読みにくい文章で、ごめんなさい。
思い出すまま書きました。
では、また。