Re:Start ~それでもまた歩き出す~

鬱持ちのアラフォーが、日々の生活を綴ります。
いつかまた家族と暮らせる日を夢見て…

ICUの記憶

2024-07-12 17:14:35 | 日記

こんにちは、cathyです。

 

一昨日ピークだった不安定な気持ちも、少しずつ少しずつ落ち着いてきたようです。

今日もデイケアに行ってこられました。

休み休みだったけど、プログラムにも参加できたのでよしとします。

仲良しの看護師さんにも、遠目だけど少し会えて、チラチラっと手を振ってもらえて、嬉しかったです。

 

さて。

今日は、1年前に入院した時、最初に入った救急外来(→ICU)の記憶を書きます。

普段、受診していた精神科はA病院で、9ヶ月にわたる入院生活もそのA病院で過ごしたのですが、救急車で最初に運ばれて数日過ごしたのがB病院でした。

正直、このB病院にはあまり良い思い出がありません^_^;

 

運ばれて、どのくらい意識を失っていたのか、何時間だったのか、あるいは1日以上だったのか、まったく覚えていませんが、とにかく

「はっ・・!!」

という感じで、急に周りの音と白い天井が飛び込んできました。

ゆっくりではなく、急に。

白い天井、そしてピッピッという機械音で、どうやら自分が病院にいるらしきことはわかりました。

なんの感情もありませんでした。嬉しさも、悲しさも、焦りもなにもなくて、ただ無でした。その意味では、意識が戻っても、自分の感情がまだ追いついていなくて、現実を認識できていなかったのだと思います。

忘れているだけかもしれませんが、痛みも苦しみもなかったように思います。

 

目を覚ましたことを確認した看護師さんが矢継ぎ早に質問してきます。

見当識障害の確認だったのだと思いますが、これが今思い出しても結構苦痛でした。

「今日が何月何日かわかりますか!?」

「・・わかりません」

「わからない(嘲笑)」「じゃあ、ここがどこだかわかりますか!?」

「(それならわかるぞ!と自信満々に)A病院です!」

「(嘲笑)A病院だって(嘲笑)cathyさん違いますよー、ここB病院ですよー」

まるで圧迫面接のように、冷たく次々と繰り出される質問。

そして、しどろもどろ答えるcathyの回答を聞いては、看護師さん同士で嘲笑している。

本当に、みじめな時間でした。

 

みじめといえば。

そのやり取りがやっと終わって、看護師さんに

「しっかり尿を出しておいてくださいね」

と言われたcathy、なにを思ったか、一生懸命下着を外そうとしていました。

でもまだ身体に力が入らないし、意識そのものがまだフワフワしているし、我ながら危なっかしく。

そしたら看護師さんに叱られて、あたふたしながら説明したら

「(他の看護師さんに)みて(笑)cathyさん、下着を脱ごうとしたんだって(笑)あのねcathyさん、尿管つけてるからそのままで大丈夫ですよ」

ああ、そうなのか。そりゃそうだよな。

でも、また看護師さん同士の笑い者にされてしまった。屈辱。

とにかく、ひとつひとつが否定されて、笑われて。

B病院にいた数日間は、本当に、何度もそんな思いをして、プライドとかそんなものを捨てないとやっていられませんでした。

 

病院には夫のほか、兄や両親も駆けつけてくれていたようでした。

目を覚ましてしばらくして、夫が面会を許されて、会いに来てくれたとき、顔を見てとてもホッとしたのを覚えています。

夫、疲れていました。

でも「よかった」と言ってくれました。

すごく嬉しかった。

これは早く元気になって家に帰らなければ。

そう、呑気に、甘く甘く考えていました。

今思えば、あれが夫が私に対して見せてくれた最後の優しさだったのに。

この期に及んでなお、自分の置かれた状況がわかっていなかったんですね。

 

そんな数日間でした。

おそらく人生で、もう経験することはない・・ような気がする数日間。

たぶん。だといいな。

続きは、また機会があれば、そして気力があれば、書きたいと思います。

 

では、また。