久々に政治でも経済でも国際情勢でもない話。
結局は中国で禅宗が廃れたから抹茶の文化も無くなってしまったわけで仏教弾圧をやったから禅寺で生まれた抹茶の文化が無くなっただけ。そもそも中国人は三国時代には既にお茶を飲んでいて、この頃から「煎茶」はあった。その後に保存しやすい団茶というのが出てきて、それが抹茶になったという話があるが、それ以上に禅宗の影響が大きいんじゃなかろうか。「草木国土悉皆成仏」という言葉があって、この世のありとあらゆるものが仏になれるという考え方が仏教にはあった。精進料理だって茄子のヘタまでどうにかして調理して食べるとか、極力食材を捨てない文化は今や「モッタイナイ」という日本の文化であるかのように言われるが実はルーツを探ると中国の禅宗に行き着くはずである。それと真逆の儒教の文化は料理を残す。今はそういう時代ではないが昔は中国と韓国では料理をいっぱい出してくれた相手に敬意の意味を込めて敢えて全部食べない文化というのがあった。料理が残らないのは料理を提供してくれた相手が少ししか料理を出さなかったからだと思わせないための工夫だったらしいがその文化が勝った。儒教は中国の官僚機構と一体化して仏教を弾圧した結果が抹茶の衰退であり中国から消えたのはそのためだ。日本でも明治に廃仏毀釈があった。だが抹茶の文化は村田珠光の時代から禅宗から離れて一つの文化として茶道として独立していたわけで、それでも明治初期にはその茶道も廃れかけたわけで武士階級の茶道なんかは断絶したものも多い。逆に町人階級の茶道は裏千家なんかが通信教育を始めたりして大きく発展したのだが。上記のリンク先を見て思わずどうでもいい事を書いてしまった。まあ記事なりそうなネタが少ない日はこういうのを弾に書くのもいいかなあ、と。