一番重要なのは中身だろう。
しかしキリスト教徒もそれを燃やして楽しいかねえ?聖書を燃やす奴がいたらどう思うのだろうか?仏教徒はどうか、って?百円ショップで売っているような般若心経だったら’買ってきて燃やしたところでどうという事は無い。大量生産の印刷物であれば重要なのは中身であって、書かれている内容を理解し何を学び、それをどう自分の人生に生かすのか?それが宗教の価値であって、それを理解できていないスウェーデンが世界的にレベルの高い教育水準というのは到底信用できない。本の価値は中身であってその価値も理解できずに焼き捨てる人間が賢いとは到底思えない(コーランの内容を理解できているのなら説明してみればいい)。コーランにせよ聖書にせよ、仏教の経典や論語などの古典的な思想書宗教書は現代という時代には合わない多くの問題を含みながらも時代を超えて共感できる価値観も少なくない。どの宗教の信者にも狭量な人間がいる。スウェーデンのキリスト教徒の中にも他の宗教の教えは受け付けない人間もいるという事だが、それは恐らく聖書を焼き捨てても狭量な価値観は変わらないだろう。勿論それはイスラム原理主義の人間にも言えるわけで、そこを考えないと意味が無いと思うのだが。