眺める空に描くもの

高齢者女子のおひとりさま暮らしノート

あの日の記憶で助けられた日

2025-03-12 07:31:27 | 日々の雑記帳
3月11日(火)のあさ空。
昨夜はやはり雨になり、降り続けていました。雨は上がった気配ですが、雲が多く、桜島も見えず。日の出は見えそうにありません。

少しだけ青空が透けています。

「3・11」のことは14年が過ぎた今でも、心の中に重くのしかかっていて、忘れることはできません。列島の最南端に暮らし、母の在宅介護に追われていた身としては、寄付など以外は何もできなかったことは確かなのですが、あんな未曾有の災害が起きるなんて、想像したこともなかったし、被災したみなさまのことを考えると、胸が潰れるような思いで、ふつうに暮らせることが、申し訳なくて何だかいたたまれなかった。当時はブログでの交流も盛んにしていたので、ブロ友さんたちが被災して、本当に心配したし、鹿児島での被災者の方の受け入れ状況など、鹿児島からできることの情報発信を続けたことも昨日のことのように覚えています。

ひる空も雲多く。

私たちの暮らしに何も影響がなかったかということでもなく、流通が滞って、商品が届かなくなり、母用のおむつがなくなって来て、改めて日本はつながっているんだなと感じたことも思い出します。ドラッグストアやホームセンターを回って、おむつの流通が全くなくなったら、どうしようかと当惑した日。布おむつなどを考えなければならないかもなど思案して、売り場を巡りました。私が最近、お米不足で流通しないことに興味を持つのは、3・11後を思い出すからかもしれません。

母が亡くなったあと、おむつ等のたくさんの介護用品は入浴介助でお世話になったデイサービスや訪問看護の事業所にさしあげたのですが、3・11後に商品不足になったことを思い出して、何かのときのためにと思って、おむつパッドを少しだけ残していました。それが、昨年、急にがんが皮膚から飛び出してしまい、出血とともに外に流れ出して止まらず、それを抑えるのに、ありがたいことに、残しておいたおむつパッドが役に立ちました。

パッドは1パック分を残しておいたのですが、45日間も出血が続いたので、すべて使い終えて、最後は足りなくなってしまったのですが、血が止まらずに困っていたときに、母のパッドがすぐに役立ったのは、3・11で得た知恵と母に守られた気がしました。私にとっての修羅場となったがん出血事件から、来月で1年。なんとか生きています。


今日はコインランドリーに行って待ち時間に空を見上げたら、少し雲が切れて来た気がして、そのままじっと眺めていると…。
太陽がそこにありました。

すぐにまた、雲が厚く覆って来ましたが、その向こうにはあんなにまぶしい陽光があるんだなと。明日を信じてかんばって行かなければと。
空はいつも思いを描いてくれます。


小学生たちの通学路にサクラソウが咲いていました。
私もあたらしい一年を踏み出したいと思います。




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2 コメント

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 (シャイン)
2025-03-12 12:21:49
ガンが皮膚から…って
壮絶です
reicobaさんはそんなにも大変な経験をされているのですね
パッドがあって良かったです
お母さんのおかげ…(ノд-。)クスン

私にはその大変さが実際に経験していないので 残念ながらわからないけど
でも、もしreicobaさんが困ったことがあったら、ちょっとは役に立ちたいって思います!頑張るぞ~~
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こんにちは。 (reicoba)
2025-03-12 14:33:54
>シャイン さんへ
>え... への返信
いつもあたたかいコメント、ありがとうございます~(^O^) ほんとにシャインさんはやさしい方ですね♪♪
少しは想像はしていたのですけれど、あんな風に皮膚に穴が開いて、腫瘍が飛び出して来るということは想定外でした。そんな状態なのに、一切、入院させてくれず、自分で手当てをしてくださいと病院側から言われたことが一番、びっくりしたかも(笑) ただ、その穴がいきなり大きく破れて大量出血したら「確実に死にます」と言われたんですけど。もうそのくらい冷たくされると、私は何だか笑えて来ちゃう性格で、「ま、死んだときは死んだときで仕方ないかー」なんて思っちゃう。でも、大量出血死はしなかったし、よほどの強運に恵まれているようです(^_-)
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