2025年1月25日
金山城は標高235mの金山の尾根上に曲輪を配した山城。
駐車場から左側に進むと見附出丸跡に到着します。
西櫓台
通路の左手には岩盤を切り崩して造られた物見台下堀切。
物見台には現在展望台となっています。
展望台からは周囲を一望できます。
馬場通路を進むと、馬場曲輪に繋がります。
馬場曲輪を取り囲む2段の石垣。
馬場曲輪の前にあるのは月ノ池。
下段は状態が良く、戦国期の石垣をそのまま整備。
関東には石垣の城はないとされていましたが、金山城はその常識を覆したと言われています。
大手虎口の石垣。
大手虎口を真っ直ぐ進むと、石塁にぶつかりT字路になります。
南曲輪を囲む石垣は、剥き出しの岩盤の上に石垣を積んでいます。
いよいよ本丸です。
右側は本丸、左側は二の丸。
帰りは登城したルートを改めて見ながら帰りました。
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鉢形城に訪城の跡は、またしても日本100名城の金田城へ移動。
群馬県の太田市に位置する山城で、下道で1時間程で到着。
車の場合は山の麓にあるガイダンス施設に車を停めて歩いて登るか、山頂付近に駐車場があります。
ワタクシは山頂付近まで車で行きました。
しかし、上にはどこにも金山城のパンフレットがない為、いずれにしてもガイダンス施設に寄ってから訪城するのがお勧めです。
ちなみに、御城印もこちらで購入できます。
金山城は標高235mの金山の尾根上に曲輪を配した山城。
駐車場の前には展望デッキがあり、絶景を望むことができます。
この日は快晴だったので、最高の景色を見ることができました。
金山城の1469年、新田一族の岩松家純によって築かれ、その後は由良氏→北条氏と変わり小田原合戦で滅亡した北条氏と共に金山城も廃城となりました。
駐車場のあたりは金山城の西城となり、土塁や堅堀を見ることができます。
金山城は西城、北城、本城、八王子砦に分かれています。
頂上の駐車場を起点にして、西側と東側で城郭エリアがあり、その間600m程の尾根に曲輪を配置して防御機能を備えています。
主郭となる本丸は東側になります。
駐車場から左側に進むと見附出丸跡に到着します。
見附出丸は金山城西側の守りの要。
割と広い曲輪になっていて、土塁が発見されています。
また、柵の跡も発掘調査で明らかになっています。
後の復元の可能性があるので、今は埋め戻されているようです。
見附出丸を囲む南土塁。
見附出丸の南土塁には土橋がかけられていて、土塁を切り通しています。
土塁の上から見ると、土橋になっているのが何となく分かります。
再び駐車場方面へ戻り、東側の本丸方面へ向かいます。
主郭への入口には休憩所があります。
金山城は関東にも関わらず石垣を使用している城として有名です。
道中、岩盤が剥き出しになっており、この山自体が石材に恵まれていることを確認できます。
旧道と新道の2ルートに分岐します。
当然旧道を選択して進みます。
旧道に入ってすぐに木橋が架けられています。
西櫓台 西堀切。
この堀切に木橋が架けられています。
やはり山城に来たら、堀切は絶対に見ておきたいポイント。
当時はさらに1.5m程深く掘られていたそうです。
左側の一段高い曲輪が西櫓台となります。
西櫓台
西櫓台は旧道と西堀切を上から見下ろすことのできる高めの曲輪のため、敵が攻めてきても守りやすい構造になっています。
西櫓台から馬場下通りまでの登城ルートは石畳みになっており、発掘調査によって発見されました。
西櫓台から馬場下通りまでの登城ルートは石畳みになっており、発掘調査によって発見されました。
物見台下虎口。
入口には立派な石垣があります。
山城の中に突如現れた石垣に感動します。
通路の左手には岩盤を切り崩して造られた物見台下堀切。
右側が物見台となります。
中世城郭では土造りの堀切が多い中で、岩盤を切り通した堀切は珍しく、剥き出しの岩盤と積み上げた石垣が同化しているのは、さらにレアなショットです。
通路の右手は堅堀。斜面に沿った縦方向の堀の両脇を石垣で守りを固めています。
通路の右手は堅堀。斜面に沿った縦方向の堀の両脇を石垣で守りを固めています。
中世の築城技術と近世の石垣技術が融合した素晴らしい遺構。
石垣は段々になっていて、当時は守りの為の防御機能でしたが、現代では間違いなくアートです。
石垣は段々になっていて、当時は守りの為の防御機能でしたが、現代では間違いなくアートです。
堀切の上にあるのは物見櫓。
こちらも土台は石垣で形成されています。
物見台には現在展望台となっています。
発掘調査では4本の柱穴が発見されたので、物見矢倉があったと考えられています。
物見台には石垣が使われていて、火縄銃の弾丸なども出土しています。
展望台からは周囲を一望できます。
金山城は武田氏や上杉氏との戦場になっていますので、当時はここから見張っていたと考えると痺れます。
金山城は北に渡瀬川、南に利根川が流れており、さらに現在の埼玉・栃木・群馬を結ぶ交通の要所だったことから重要な場所でした。
馬場通路を進むと、馬場曲輪に繋がります。
この曲輪には岩盤をくり抜いた240個もの柱穴が発見されています。
建物は少なくとも5階の建替え、3回の造成がなされたことが分かっています。
土を掘ってそこまで分かるのは凄い調査力と発見。
馬場曲輪を取り囲む2段の石垣。
馬場曲輪は大手虎口を守る兵が待機していたと考えられているようです。
馬場曲輪の前にあるのは月ノ池。
調査前は上に汚泥が堆積した、ただの池だと思われていましたが、調査で2段の石垣が発掘され、戦国時代の池だったと判明。
下段は状態が良く、戦国期の石垣をそのまま整備。
馬場曲輪と主郭に繋がる曲輪には、完全に分断する大堀切。
馬場曲輪との高低差は高くはありませんが、右側は約15mの高さがあります。
さらに、長さは46mもある巨大な堀切です。
大手虎口は金山城最大の防御施設。
関東には石垣の城はないとされていましたが、金山城はその常識を覆したと言われています。
大手虎口の石垣。
割と大きな石材が使用されていています。
整備前の写真を見ましたが、見違えるほど変わっています。
上から見た大手虎口。
虎口には新旧の礎石が見つかっているので、門があったと思われます。
よくここまで綺麗に整備したと思います。
現存石垣と転用・新補石垣の間には鉛板を仕込んで区別されています。
大手路の右側は南曲輪。
ちなみに、南曲輪の休憩所にて日本100名城のスタンプを押すことができます。
大手路左側は三の丸。
どこまでが残存石垣で、どこからが整備して積み上げた石かは分からないのですが、間違いなく今この景色は、迫力があって美しいアートの世界です。
大手虎口を真っ直ぐ進むと、石塁にぶつかりT字路になります。
その石塁は段になっており、細めの大手路から敵が攻めてきた際にとても攻撃がしやすい構造になっています。
こちらが大手正面の石塁。
こちらが大手正面の石塁。
上から見ると、守りの構造がより分かりやすい。
金山城は日本のマチュピチュと呼ばれているようです。
南曲輪を囲む石垣は、剥き出しの岩盤の上に石垣を積んでいます。
南曲輪の一段下の曲輪には復元された建築物があります。
この小屋みたいな建物は武器庫や詰所として使用されていました。
建築物の脇にはカマドがあり、井戸も近くにあるので生活感を感じることができます。
南曲輪からのショット。
向かい合う曲輪は三の丸。
南曲輪からも絶景を見ることができます。
遠くが曇ってしまっているのですが、富士山を望むことができます。
この場所は関東富士見100景にも選ばれています。
金山城の遺構の一つとして有名なのが日ノ池。
直径15m×16.5mは山の上にある池としては珍しく貴重な大池です。
石積みの井戸跡もあるので、生活用水として使用されていました。
石垣は発掘調査で発見されたものを可能な限り生かして復元。
案内板を見ていて面白いと思ったのが、水の信仰が強かった平安時代の遺物もここで発見されたこと。
この場所は築城する以前から神聖な場所であったとされています。
戦国時代では戦勝祈願の儀式などで使われました。
武田勝頼、上杉謙信から何度も狙われた金山城でしたが、一度も落城することなく城の役目を終えた金山城。
金山城は強力なパワースポットかもしれないですね。
いよいよ本丸です。
本丸の前には太田市指定天然記念物、金山の大ケヤキがあります。
最低樹齢800年。
戦国の世の中もこのケヤキは全てを見てきたことになります。
大ケヤキの前には階段があり、一段と高い曲輪に現在は新田神社があります。
大ケヤキの前には階段があり、一段と高い曲輪に現在は新田神社があります。
参拝をしたら、本丸の下を一周します。
右側は本丸、左側は二の丸。
見事は空堀になっていて、本丸を完全に分断して孤立した曲輪にしています。
振り返っての一枚。
振り返っての一枚。
右側が二の丸、左側が本丸。
本丸の上には神社が見えます。
先ほどの石垣でガッチリと固めた近世の曲輪から一転して、中世山城らしい遺構を再び見ることができます。
本丸の裏手には天守曲輪下馬場があり、広いスペースには馬屋がありました。
本丸の裏手には天守曲輪下馬場があり、広いスペースには馬屋がありました。
左手には本丸唯一の残存の石垣が残ります。
奥には二の丸。
本丸の神社でお参りして、そのまま引き返さずに、是非このスポットも見て頂きたい。
帰りは登城したルートを改めて見ながら帰りました。
中世と近世がミックスしたような面白い遺構、徹底的に守りを固めた縄張り、山城の中でも異次元のテイストを持ち合わせています。
鉢形城→金山城を攻略して、時間は14時30分。
ここまでは全て予定通り。
そして、3城目に向かいます!
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