2023年12月2日
JR岩切駅方面から岩切城に向かいます。
本丸跡は現在、公園となっているので道中はアスファルトで整備されています。
ちょうど紅葉の時期とハマり、紅葉が綺麗に色付いています。
てっぺんに登ると見晴らしが良いです。
さらに整備された道を進むと、本丸跡到着です。
やはりこちらも段になっていて、広い敷地になっています。
岩切城址は現在、有名な花見スポットになっています。
紅葉の季節も素晴らしいですが、きっと春も魅力的だと思います。
こちらからは多賀城や利府城の景色を楽しむことができます。
にほんブログ村
午前中に利府城に登城し、自転車で岩切城に移動。
本日はローカルな城を攻めてきました。
岩切城は仙台市宮城野区にある城ですが、仙台市と利府町の境にある城で、現在は県民の森として整備されています。
城址は国史跡に指定されています。
歴史としては、利府城を居城とした伊達政宗の叔父の留守政景が、利府城の前に居城としていた城であり、城替えした際に廃城となりました。
JR岩切駅方面から岩切城に向かいます。
完全な峠道で意外と車も多く走っています。
山を切り裂いたような道を進みます。
山を切り裂いたような道を進みます。
登城口までの道が既に迫力あります。
利府城からはゆっくり自転車で走って40分程
だったような気がします。
利府城からはゆっくり自転車で走って40分程
だったような気がします。
本丸跡は現在、公園となっているので道中はアスファルトで整備されています。
ちょうど紅葉の時期とハマり、紅葉が綺麗に色付いています。
左手には曲輪群があります。
第一の見どころポイントは大きな堀切。
堀切とは山の尾根を切り落とすことで、防御機能を高める中世の山城では定番で、堀切を発見するとテンションが上がります。
岩切城の堀切は凄くわかりやすい。
右手が登ってきた道。反対側には段々になっていて、自然の地形ではなく人工的に作り上げたような形状。
第一の見どころポイントは大きな堀切。
堀切とは山の尾根を切り落とすことで、防御機能を高める中世の山城では定番で、堀切を発見するとテンションが上がります。
岩切城の堀切は凄くわかりやすい。
右手が登ってきた道。反対側には段々になっていて、自然の地形ではなく人工的に作り上げたような形状。
これは堅堀になるのかな。かなり規模が大きいです。
本丸跡下にある曲輪群。
小高くなっている箇所には大きな曲輪があり、その周りを細長い曲輪で囲んでいます。
小高くなっている箇所には大きな曲輪があり、その周りを細長い曲輪で囲んでいます。
てっぺんに登ると見晴らしが良いです。
辿ってきた道を見渡せるので、先端は櫓の役割があったようにも思えます。
こちらが腰曲輪のように細長い曲輪が囲んでいるのが分かりやすいショット。
さらに整備された道を進むと、本丸跡到着です。
曲輪が右手と左手に分かれていています。
まずは右手の曲輪を見ていきます。
やはりこちらも段になっていて、広い敷地になっています。
岩切城址は現在、有名な花見スポットになっています。
紅葉の季節も素晴らしいですが、きっと春も魅力的だと思います。
こちらからは多賀城や利府城の景色を楽しむことができます。
留守政景が岩切城を居城としている時には、利府城には村上氏が居城としていました。
伊達派の留守政景と、生粋の留守家を支えてきた村上氏は対立して戦になりました。
勝利した留守政景は利府城に移るのですが、この岩切城から見える利府城を見ると、距離感や広がる平野や地形を見て当時の状況を妄想せずにはいられません。
左手はこの山の山頂部で、標高は106mです。山頂ということは本丸跡かなと勝手に思って見ていました。
こちらもかなり広めの曲輪で、ひょうたんように真ん中が少しキュッと絞って先端はまた広がっています。
先端には少し張り出したスペースがあります。
左手はこの山の山頂部で、標高は106mです。山頂ということは本丸跡かなと勝手に思って見ていました。
こちらもかなり広めの曲輪で、ひょうたんように真ん中が少しキュッと絞って先端はまた広がっています。
先端には少し張り出したスペースがあります。
やはりこちらも下の道を見渡せるので、櫓の役割を果たしていた可能性があります。
山頂から見る景色は絶景。
山頂から見る景色は絶景。
太平洋もしっかり見えます。
仙台もハッキリ見えます。
一番高いビルは仙台駅近くのトラストタワー。
その後ろに見える山々は仙台城がある青葉山になります。
山頂にトイレや休憩できるベンチも備わっています。
景色を存分に楽しみながら、持参したおにぎりを食べて降城です。
一国一城令や廃城令、極めつけは世界大戦の空襲によって、日本の城は多くを失ってしまいました。
建築物だけでなく、堀なども徹底的に破壊された城もあります。
しかし、廃城によって歴史の表舞台から姿を消したことによって、遺構がそのまま多く残っているケースもあるのかもしれない。
あとはこれからどうやって大切な遺構を残し続けていくのか。歴史をどう伝えていくのかが重要だと思う。
にほんブログ村
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます