岩手県に打合せがあるので、前乗りして東北新幹線を途中下車。
この土塁は本丸を囲むように設けられていて、清明台櫓の脇には枡形の清水門がありました。
とにかく、土塁が高い!
清明台櫓と富士見櫓の間にある橋からのショット。
約10mの土塁を階段から登り清明台櫓を見物。
土塁の至る所にシェルターみたいなのがいっぱいありましたが、これは見なかったことにしましょう。
やはり土塀があるだけでも、全く雰囲気が変わりますよね。
こちらも二層二階。
当時は現在広場になっている場所に本丸御殿があり、日光東照宮に参拝する徳川将軍の宿泊所として利用していたそうです。
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初めて栃木県の城を攻めたいと思います。
岩手に行くのなら盛岡城も行きたいと思ったのですが、盛岡城は間違いなく見て回るのに時間を要すると判断し、駅からの距離、規模、知名度等を考慮して宇都宮城に行くことにしました。
盛岡城は来年のゴールデンウィーク前後で改めて行く予定!
宇都宮城は関東7名城で平安時代からの歴史ある城。
幕末では戊辰戦争の主戦場となりほぼ焼失。
残った建築物も空襲で焼失。
最終的には堀も土塁も壊されてしまいました。
しかし、2007年に土塁を外観復元!宇都宮市の観光スポットそして市民の憩いの場として生まれ変わりました。
宇都宮の駅を降りると、川が流れています。
宇都宮は水に恵まれた街。
川は生活だけでなく水路としての役割も果たします。
水路は近世城郭において街の発展のファクターとなります。
豊臣秀吉や徳川家康も水路を造り、整えたことから、その重要度がわかります。
のどかで、景観も素晴らしい街でした。
駅から歩いて15分ほどで宇都宮城跡が見えてきます。
のどかで、景観も素晴らしい街でした。
駅から歩いて15分ほどで宇都宮城跡が見えてきます。
復元された櫓は清明台櫓と富士見櫓。そして、それを繋ぐ土塀です。
写真で見える櫓は清明台櫓。
写真で見える櫓は清明台櫓。
この土塁は本丸を囲むように設けられていて、清明台櫓の脇には枡形の清水門がありました。
とにかく、土塁が高い!
この迫力に圧倒されます。
手前が清明台櫓。奥に小さく見えるのは富士見櫓。
外観復元とはいえ、この高さの土塁で本丸を囲んでいたと考えると、その姿を一度見てみたかったと思わずにはいられません。
清明台櫓と富士見櫓の間にある橋からのショット。
平成元年の1989年に発掘調査を開始。
堀の場所、深さ、門や櫓の場所を特定し、2007年に復元ですから、実に18年の歳月。
反対側には富士見櫓。
反対側には富士見櫓。
復元した櫓は2基。当時は土塁と土塀、5基の櫓で本丸を囲んで完全防備していました。
土塁は約1/3程の復元です。
しかしながら、完全に失われた宇都宮城は、一部ではあるものの復活を果たしています。
市の努力は素晴らしい。
市の努力は素晴らしい。
何も残っていない城は日本に山ほどありますが、こうして可能な限り復元することで歴史に触れやすくなることは間違いありません。
本丸内側からの土塁。
今では広場になっていて、多くのファミリーがそれぞれの時間を探しています。
約10mの土塁を階段から登り清明台櫓を見物。
この櫓は当時、天守を持たない宇都宮城の天守代用とされていたそうです。
櫓や門、天守などの建築物は、復元であってもこの先の世代に受け継ぐ大切なものだとワタクシは思っています。
2階は見ることができませんが、無料で開放しているあたりも、宇都宮市の素晴らしい取り組み。
一階のみ見学可能。
木造復元というのが素晴らしい。
幅6.89m×5.91m。
高さ10.04mの二層二階。
櫓や門、天守などの建築物は、復元であってもこの先の世代に受け継ぐ大切なものだとワタクシは思っています。
2階は見ることができませんが、無料で開放しているあたりも、宇都宮市の素晴らしい取り組み。
宇都宮城というのが、より市民の皆さんにとって身近な存在になったいるはず。
土塁の至る所にシェルターみたいなのがいっぱいありましたが、これは見なかったことにしましょう。
やはり土塀があるだけでも、全く雰囲気が変わりますよね。
土塀だけでも復元してほしい城は山ほどありますが、これ一つ復元するだけでも根拠のある資料が必要だったりするので大変なのです。
狭間もあり、土塁が非常に良い高いので、縦長の狭間でないと狙う範囲が限定されてしまいます。
考えられた構造ですね。
土塁の上を進むと反対側には富士見櫓があります。
こちらも二層二階。
幅7.88m×5.91m、高さ10.04m。
こちはも一階のみ観覧可能。
本丸の土塁だけで、こんな櫓が5基も上がっていたと考えると、当時はかなり規模の要塞だったと想像します。
櫓内の狭間からは堀がよく見えます。
櫓内の狭間からは堀がよく見えます。
寺、神社など文化的な建築物は多くありますが、狭間は軍事的施設の城郭建築の特徴です。
櫓内には復元時の軸組の模型が展示してあります。
櫓内には復元時の軸組の模型が展示してあります。
当時は現在広場になっている場所に本丸御殿があり、日光東照宮に参拝する徳川将軍の宿泊所として利用していたそうです。
富士見櫓からは当時、富士山が見えたことから富士見櫓とされたようです。
二重の櫓ですが、高い土塁と土塀があるとカッコいいですね。
この近世城郭に改修したのは、徳川家康の重臣であった本田正信の息子、本多正純。
交通の要所でもある宇都宮城は江戸幕府にとっても重要な拠点だったのではないでしょうか。
幕末の戊辰戦争によって、宇都宮城だけでなく多くの民家や寺院も街ごと焼失してしまいました。
悲しい歴史はありますが、こうして現代に蘇ったことで、ワタクシも現に宇都宮の歴史を学びました。
やはり歴史はカタチに残してこそ、生かしてこそ強い意味を持ちます。
そんなことを考えさせられた1日でした。
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