Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
著作権:REN(無断引用転載禁)

2012年12月号 警護官よ、搾取と虐待をやめてくれ!

2013年04月28日 | 人権
警護官は、カクマキャンプにいる難民少女への性的搾取や虐待を今すぐやめるべきだ。

カクマキャンプはこれまで、ダダーブキャンプに比べて爆弾騒ぎなどは少なく落ち着いていると言われてきた。しかし性的な搾取、政権の腐敗、特権を持つ責任者たちの権力乱用となると、話は別だ。

昼間は全く問題などないように見えるが、あたりが夜の帳にすっぽり覆われると、難民の少女たちはしゃれた服を着て、地元のパブに向かう。夜が更けるとNGOの建物から人影が消える。そして人道支援の人たちや警察の車は、夜の安全を守っているのは名目ばかり、コミュニテイーの入り口辺りにいるだけだ。

キャンプ内の規則では、NGOのスタッフや車両は夜6時以降はキャンプ内にいてはならない。例外は、大通りを通る救急車と警察のパトロール車ぐらいだ。キャンプでは性的搾取や虐待がはびこっているが、性的暴行の被害者である女性や少女たちの運命がどうなっているか語られることはない。こうした虐待を阻止するのが難しいのは、彼女たちを保護してくれるはずの権力者に被害を報告した際にどうなるか、彼女たちが怖れているからだ。

キャンプ内の権力者による居住者への虐待や、性的搾取を可能にしている独占的制度の実態を教えてくれる話がある。ズラは、美人で細身の典型的なエチオピア人で、ホルシード小学校の生徒だったが、15歳の時にカクマ3を担当する警備員から性的暴行を受けた。

容疑者の男は、被害者たちの間ではケクスとして知られている。キャンプ3内の国際移住機関を拠点とするケニア警察の一般勤務部隊の警官だった。犯罪や難民の殺害事件が増加したことを受けて、ケニア警察がカクマキャンプに配置されていた。キャンプの有力者の話によると、キャンプで起きた殺人のいくつかは、地元の村人の仕業だと考えられているという。

ズラは1995年にエチオピアで生まれ、幼い頃、両親と共にカクマキャンプにやってきた。小学校6年生のクラスで学んでいた時、キャンプ内で性的暴行を受け強引に道を踏み外させられてしまった。ケクスには、家族を尊敬するという一般的なアフリカ文化が身についていなかった。それで、キャンプ内の家族用居住地区で、家族の目の前で未成年者に対して性的搾取行為に及んだのだ。ケクスは武装していようが、警官の格好をしていようが、ときにはパトカーに乗っている時でさえも、彼女を強制的に求めてきた。彼女との性的な関係は何年も続いていた。それでも、カクマのUNHCRはキャンプ内での性的搾取の防止対策は機能していると主張している。

暴行の事実は、それが起きた地区担当のキャンプ職員に頻繁に報告されているが、加害者を裁判にかける努力は何らされなかった。彼女の家族は報告するのを怖れ、また保護を受けられないことがわかっていたので、2011年にカクマ3地区から引っ越して、カクマ1地区で暮らし始めた。家族が加害者を子どもに近づかせないようにしていたこともあった。

2011年後半には、彼女が加害者と共に難民警備員に逮捕される事件があった。ケクスがズラを取り戻して彼女と関係を持とうと、彼女の住んでいる地域に足を踏み入れたからだ。ズラは事前に彼からの電話を受け、ユニティ小学校の7年生のクラスでの勉強を早めに切り上げ、学校を抜け出していた。

カクマ警察署に駆けつけてみると、少女だけが留置所に入れられており、加害者は自由の身になっていた。そして、なんと加害者ではなく彼女がロドワーの治安判事裁判所に送られた。ズラは、児童法8 CR 315/2011のC/S 119 (1) (d)により、保護が必要な子どもが守らなければならない決まりに反した罪で告発されたのだ。

数日後、この事件は調停扱いとされ、性的搾取についてキャンプで規定されている行動規範に則った手続きには至らなかった。調停には、ジェンダー問題担当官と警察署に命令を出す立場の人々が出席した。この事件では有効な対策が採られなかったばかりか、ケクスはその後も彼女を搾取し続けた。

KANEREはこの性的搾取の件について話を聞こうとカクマ警察署に行ったが、上層部の人間は、この問題についてKANEREの記者に話すことに気が乗らない様子で、「記者に情報を漏らすわけにはいかない」と、威圧的だった。また別の警官はKANEREの人間に「あんたら、本当に記者なのかい」と言ってきた。

ルーテル世界連盟のジェンダー部門の職員と話して分かったのは、未成年者に対する事件の場合、性的搾取や暴行に関する一般的な保護規則に則った対処はされないということだ。しかしながら、そこに勤めている難民職員は匿名を条件にズラの事件が心配だと話し、次のように言った。「あれは、恥ずべき暴力行為です。国際的な保護下に置くべき人の事件なのに対処を誤ったことについて、関係当局は責任を取るべきです」

カクマでは、難民と支援職員の間での犯罪について、裁判の手続きは採らない。公にしにくい事件の場合、加害者に別のキャンプで人道支援の仕事を続けるチャンスを与える場合もある。新しい職場に移れば、こうした悪い習慣が治るだろうというわけだ。

2012年、ケクスはカクマ事務所の駐在任期を終え、ロキチョギオに移動した。しかしこの犯罪者はロキチョギオの治安部隊駐留拠点に密かにズラを連れて行った。親戚がここで最後に彼女の姿を目撃している。

彼女の家族はUNHCRや他の関係機関と共にこの件を追跡したが、保護してもらうことはできなかった。家族はまた、犯人が電話で執拗な嫌がらせと脅しをかけてきて、辛い目にあっていることを告白した。「彼は娘をよこせと言って銃を持ってやってくるんです。治安部隊は私たちを守るためにいるのでしょうか。それとも私たちを食い物にするためでしょうか」と被害者の母親は話している。

KANEREのインタビューで、被害者の家族は自分たちには基本的人権がないと訴えていた。この事件を担当しているUNHCRの弁護士は、被害にあった子どもとその家族の権利を保護する適切な措置を取る代わりに、家族にズラが18歳になるまで待つようにとなだめていたという。私たちはUNHCRの保護問題担当官に3回のコンタクトを試みたが、メールでのインタビューも含めて結局この件についてのはっきりした回答を得ることはできなかった。「このことについて報告を受けても、私には何もできません」。UNHCRの入り口に立っているG4Sの女性衛兵は横柄にこう答えるだけだった。

UNHCRに保護されている被害者家族は、娘の行方を必死になって探している。彼女が生きているのか死んでいるのかも分からないのだ。「妹にはもう2年も会っていません。私たちには彼女の生死を知る権利もないというのでしょうか」。親族の一人はKANEREの記者にそう訴えていた。

ズラをはじめとする少女たちの身に起きたような事件は、キャンプでたくさん起きている。被害を受けた人々に対する保護がないことや、被害を報告することに対する恐怖、そして当局に性的搾取があったことを報告したことの影響などが原因で、報告されない事件もたくさんある。報告することにより被害者とその家族は違った意味で安全を脅かされ、難民コミュニティー内でも手ひどい扱いを受けることになるのだ。

難民コミュニティーの指導者と話してみると、いくつかの特定のNGOもひどい性的搾取や虐待で有名なのだという。私たちは、このような人権侵害について深く分析するのを仕事としている。KANEREはコミュニティーの指導者やキャンプ内の住人に協力を依頼し、ケニアにおける唯一、難民側に立つ独立系メディアとして、情報を提供していきたい




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