コメント欄をのぞくと・・・・・
おったまげるほどの数のコメントになっていて、言葉を失いました。
改めて、こんなにたくさんの温かい方達がれれボンを見守って下さってたのだと、薄い胸が熱くなりました。
1件1件、うなずきながら、涙と鼻水をたらしながら読ませて頂きました。
皆さんの思いやりと優しさに包まれて、れれボンは今、虹の橋とウチを楽しそうに行ったり来たりしています。・・・・ついさっきも窓辺に居るよと七色が教えてくれました。
何度でも申し上げます。本当に本当に、どうもありがとうございます。
れれボンも隊長もこんな優しい皆さんに支えられて、本当に幸せです。
本来なら皆さんお一人お一人にお返事を差し上げなければいけないところですが、
私の想いや感情を正確にお伝えするのは今はまだ難しいので、
ここに、れれボンの最後の1週間の様子をご報告し、お返事の代わりとさせて頂くこと、何卒 お許し下さい。
長い話になりますので、お風呂やトイレは先に済ませて下さい。・・・・おい
以前のボログでもお話しましたが、
協会の獣医さんがいらした時、れれボンは何とかおしっことウンPは、介助して出させてました。
れれボンはずっと以前から、いつもおもらししてる状態で、圧迫排尿でも出し切ることもできませんでした。
膀胱炎は仕方がないとして、尿毒症が恐かったので、立って歩かせて自然な排尿をさせてあげたい一心で介助をしてました。
でも獣医さんに、もうこの状態では寝たきりにさせた方がいいよ。無理に立たせて歩かせようとして転んで大腿骨を骨折したら、大変なことになるから。と言われ、私もれれの脚に限界を感じていたので、その日から、寝たきりの生活になりました。
あんなに大変だったおしっこ介助が、時々、おむつを確認し圧迫排尿し、体位を変えてあげるだけになりました。
その時に気が付きました。寝たきりになると、介護がこんなに楽になるのだと。
1時間以上かかっていた食事の世話も、点滴をしてあげるだけとなり、口内炎がひどく、歯磨きもする必要もなくなりました。
夜中にワンと吠えて私を呼んだのは、寒かったからだということがわかり、夜中は湯たんぽと暖房をつけっぱなしにしたら吠えることもなくなりました。
私にできることは、寄り添って声をかけ、なでてあげることだけになりました。
亡くなる4日前、最後のウンPが出ました。色の濃い脂っぽい便でした。鼻がつまり、イビキをかき、目を開けたまま寝るようになりました。
その後、耳が上がったまま、戻らなくなりました。
代謝が悪くなり点滴が体に回らなくなったので、点滴もやめました。
時々、おう吐するようになりました。でも、食べていないので出てくるのは胃液と水だけ。
亡くなる前日から当日にかけて、30回もおう吐しました。おう吐する姿は、かわいそうで見てるのが辛かったです。
れれボンは、体内のいらない物を全て出し切っているかのようでした。
それでも苦しんでいる様子はなく、最後の最期まで、触るとビクっとするし、呼びかけにも反応していました。
体は全ての肉をそぎ落としたように骨ばり、その姿は即身仏のようでした。
亡くなる直前、おう吐が一段落しスヤスヤ寝ていたので、今のうちにと、七色を公園に連れて行こうとした時、
娘が大きな声を上げました。 「 ええ! 今、れれが 首をぐっと上げたよ! 」
全く動けなくなっていた れれボンが急に首を上げたというのです。
急いで様子を見に行くと、音もなくおう吐をし、既に呼吸が浅くなっていました。
・・・・・ 遂にお別れの時がきました。
みんなでれれボンを触りながら、名前を呼びました。
「 れれちゃん!れれちゃん!みんなここにいるからね。疲れたでしょう。もう楽になっていいんだよ。頑張ったね。ほんとによく頑張った。・・・・もう頑張らなくていいんだよ・・・・・」
そう言ってる間に、苦しむことなくス~っと、ともしびが消えるように静かに逝きました。目と口は開いたまま、体はまだ温かいままでした。
それから
娘が蒸しタオルで体を清拭し、パピーの時のアルバムと七色との写真を選びボードにまとめ、遺影を作りました。
私は口や穴に綿をつめ、目と口を閉じ、骨と皮になってしまった体に(カレンママさんに頂いた)レースの洋服をかけ、1対のお花を生けました。
夫は死後、出てきた体液を拭き、保冷剤で体を冷やし、脚を曲げ ← (結局、戻ったけど) れれボンの布団回りをキレイにしました。
七色は、虹の橋に持って行くお土産を用意しました。
そして供養だからと食べました。
5月に発作で倒れてから死は常に身近にあり、覚悟はできていたとはいえ、看取りはやはり戸惑い、分からないこともたくさんありました。
ボログの更新がままならず、れれボンの介護の様子をなかなか皆さんにお伝えすることができませんでしたので、最期は詳しくありのままをお伝えしたいと思いました。
また、少しでも今、介護中のワンコさんや、看取りを控えているワンコさん達の参考になればと思い、書きました。
長くなりましたが、ご清聴、ありがとうございました。どうぞご着席ください。・・・・ずっと立たせてたんかいっ
にほんブログ
おったまげるほどの数のコメントになっていて、言葉を失いました。
改めて、こんなにたくさんの温かい方達がれれボンを見守って下さってたのだと、薄い胸が熱くなりました。
1件1件、うなずきながら、涙と鼻水をたらしながら読ませて頂きました。
皆さんの思いやりと優しさに包まれて、れれボンは今、虹の橋とウチを楽しそうに行ったり来たりしています。・・・・ついさっきも窓辺に居るよと七色が教えてくれました。
何度でも申し上げます。本当に本当に、どうもありがとうございます。
れれボンも隊長もこんな優しい皆さんに支えられて、本当に幸せです。
本来なら皆さんお一人お一人にお返事を差し上げなければいけないところですが、
私の想いや感情を正確にお伝えするのは今はまだ難しいので、
ここに、れれボンの最後の1週間の様子をご報告し、お返事の代わりとさせて頂くこと、何卒 お許し下さい。
長い話になりますので、お風呂やトイレは先に済ませて下さい。・・・・おい
以前のボログでもお話しましたが、
協会の獣医さんがいらした時、れれボンは何とかおしっことウンPは、介助して出させてました。
れれボンはずっと以前から、いつもおもらししてる状態で、圧迫排尿でも出し切ることもできませんでした。
膀胱炎は仕方がないとして、尿毒症が恐かったので、立って歩かせて自然な排尿をさせてあげたい一心で介助をしてました。
でも獣医さんに、もうこの状態では寝たきりにさせた方がいいよ。無理に立たせて歩かせようとして転んで大腿骨を骨折したら、大変なことになるから。と言われ、私もれれの脚に限界を感じていたので、その日から、寝たきりの生活になりました。
あんなに大変だったおしっこ介助が、時々、おむつを確認し圧迫排尿し、体位を変えてあげるだけになりました。
その時に気が付きました。寝たきりになると、介護がこんなに楽になるのだと。
1時間以上かかっていた食事の世話も、点滴をしてあげるだけとなり、口内炎がひどく、歯磨きもする必要もなくなりました。
夜中にワンと吠えて私を呼んだのは、寒かったからだということがわかり、夜中は湯たんぽと暖房をつけっぱなしにしたら吠えることもなくなりました。
私にできることは、寄り添って声をかけ、なでてあげることだけになりました。
亡くなる4日前、最後のウンPが出ました。色の濃い脂っぽい便でした。鼻がつまり、イビキをかき、目を開けたまま寝るようになりました。
その後、耳が上がったまま、戻らなくなりました。
代謝が悪くなり点滴が体に回らなくなったので、点滴もやめました。
時々、おう吐するようになりました。でも、食べていないので出てくるのは胃液と水だけ。
亡くなる前日から当日にかけて、30回もおう吐しました。おう吐する姿は、かわいそうで見てるのが辛かったです。
れれボンは、体内のいらない物を全て出し切っているかのようでした。
それでも苦しんでいる様子はなく、最後の最期まで、触るとビクっとするし、呼びかけにも反応していました。
体は全ての肉をそぎ落としたように骨ばり、その姿は即身仏のようでした。
亡くなる直前、おう吐が一段落しスヤスヤ寝ていたので、今のうちにと、七色を公園に連れて行こうとした時、
娘が大きな声を上げました。 「 ええ! 今、れれが 首をぐっと上げたよ! 」
全く動けなくなっていた れれボンが急に首を上げたというのです。
急いで様子を見に行くと、音もなくおう吐をし、既に呼吸が浅くなっていました。
・・・・・ 遂にお別れの時がきました。
みんなでれれボンを触りながら、名前を呼びました。
「 れれちゃん!れれちゃん!みんなここにいるからね。疲れたでしょう。もう楽になっていいんだよ。頑張ったね。ほんとによく頑張った。・・・・もう頑張らなくていいんだよ・・・・・」
そう言ってる間に、苦しむことなくス~っと、ともしびが消えるように静かに逝きました。目と口は開いたまま、体はまだ温かいままでした。
それから
娘が蒸しタオルで体を清拭し、パピーの時のアルバムと七色との写真を選びボードにまとめ、遺影を作りました。
私は口や穴に綿をつめ、目と口を閉じ、骨と皮になってしまった体に(カレンママさんに頂いた)レースの洋服をかけ、1対のお花を生けました。
夫は死後、出てきた体液を拭き、保冷剤で体を冷やし、脚を曲げ ← (結局、戻ったけど) れれボンの布団回りをキレイにしました。
七色は、虹の橋に持って行くお土産を用意しました。
そして供養だからと食べました。
5月に発作で倒れてから死は常に身近にあり、覚悟はできていたとはいえ、看取りはやはり戸惑い、分からないこともたくさんありました。
ボログの更新がままならず、れれボンの介護の様子をなかなか皆さんにお伝えすることができませんでしたので、最期は詳しくありのままをお伝えしたいと思いました。
また、少しでも今、介護中のワンコさんや、看取りを控えているワンコさん達の参考になればと思い、書きました。
長くなりましたが、ご清聴、ありがとうございました。どうぞご着席ください。・・・・ずっと立たせてたんかいっ
にほんブログ
それから、隊長、半年間の看護生活 お疲れ様でした。
ラブは大きいので、本当に大変だったと思います。
隊長の献身的な看護は素晴らしかった!
心の身体もしっかり休めて、ゆっくりされてくださいね。
ななタンの精神状態は大丈夫ですか?
ただ、ただお祈りするばかりです
隊長さん,長らくの介護生活,本当にお疲れ様でした。隊長さんが渾身のチカラでやってあげられたことは,全部れれちゃんが受け止めてくれてますよ。
次は隊長さんとななちゃんが,ちょっと一服する番ですね。どうぞ少しずつでも隊長さんとそのご家族の淋しさや悲しさが薄れていきますように。
元気いっぱいのななちゃんが隊長さんに寄り添っているときには,笑顔のれれちゃんも寄り添ってくれていますように。
何も言えません。
娘とブログ見て泣きました。
早く隊長が元気になることをぬっくと願ってます。
訂正
誤字脱字のぐちゃぐちゃに
なっちゃいました。
順は、点滴で、体が1日1キロちかく増え
ご遺体から大量の水がでた経緯があって
身体を起こす事できなかった。のでたち尻尾
挨拶
また、多数で記載できないワンコ達。
ラッキー隊長の名前の由来になった
ラッキー隊長と言う名前だったダックスも
仲の良かった結愛(ゆめ)と、きっちり一週間
後に2匹連れだって時間差別れのような
旅立ち
自分ちの事ばかりですみません。
レレボン翁の介護記録を改めて
何度も何度も見直しております。
生きとし生ける者、皆辿る道です。
うちの仔達も、色んな旅立ちの仕方で
思い出だけを置いて逝きました。
その全部に立ち会えなかった事が
今だに痛恨の思いで、何年たっても、
残っています。
立ち会えた仔たちは、首をあげることさえ
出来なかった杏、でも、立ち上がって私の
顔を遮り冷蔵庫をみて一息尽き果てました。順々(シュンシュン)は、点滴を受け入れないほど体が向きにあがって首さえあげれ
なかったので、思いっきり尻尾を天にあげ
挨拶してくれた事。
思い思いの最後の感謝だったのでしょう
勿論、レレボン翁も
隊長、ありがとう、ずぶん不器用なワンコ
なので、後の事は全部ナナタンに託して
昇っていきます。
そのために、心配かけたけど、嘔吐は
なるべく身軽にする為だから、隊長は心配
しないで、ください。
あと、最後の犬生は、パピーで過ごした楽園のような隊長のうちで、良かったよ。
って、言ってますよ。
今、隊長から送って頂いた2年分のカレンダーで、在りし日のレレボン翁の雄姿を
偲んでます。
合掌
バトンはナナタンに託しましたぞ。
ただただ祈ります。
そして、れれたんに乾杯。
本当にお疲れ様。
安らかに、安らかに。
れれたんは幸せだったと思う。
ご家族の皆様にはお疲れ様と感謝と。
レオンくんの壮絶な戦い、隊長さんの懐の大きさ、ななちゃんの優しさが伝わってきて本当に涙が出てきます。。。
こちらのブログに出会ったとき、ななちゃんはパピーでした。
胡桃を迎えて、ただただかわいい。それだけでした。大型犬は初めてでしたのでわからないことだらけで、言葉としてしか大型犬の大変さを知りませんでした。
そんな中、レオンくん参上。
いろいろと知ることができたのも隊長さんのこのブログです。
かわいいだけじゃない。そう教えてくれたのは隊長さんとレオンくんです。
胡桃もななちゃんと同い年です。
お互い犬生の半分を越してます。
これから迎えるであろう胡桃の介護、いろいろ考えることができました。
レオンくんのおかげです。
隊長さんのおかげです。
今いろいろ思うこともあるでしょう。
でも今はゆっくりのんびりレオンくんのことを思って、過ごしてください。
本当にお疲れさまでした。
11月2日の一枚目の写真が、とても温かくてゆっくりと時間が流れているように思えて。。。れれちゃん幸せでしたね。私もいつも楽しみにしていました。ありがとうございました。うまく文章が書けなくて、すみません。
協会で2度ほどお会いしましたが、駐車場の真ん中でいきなりツーをしたれれちゃん... 忘れません!
隊長ご一家とレレボンとのお別れを・・自分の体験と想いに重ねて逝ってしまった者たちに想いを馳せ、いまここに居てくれる愛しき者を抱きしめたのは・・・私だけじゃないですよね。
まだしばらく虹の橋を渡ってしまわないで・・重くなった体を抜けて、若いころの軽い活き活きした魂で駆け回っていて・・それをナナちゃんが知らせてくれるなんて。
素敵な時間ですね・・・そう・・素敵な魂です。
寂しい&悲しい&最期まで大事にされたれれ君が幸せだったね&見守る隊長の辛さを想像するだけで、胸が締め付けられる思いです&一緒に見守ってれれ君と隊長ご家族を支えたななちゃんも、頑張ったね。
色んな感情が溢れて、とても文章にはまとまりませんでした……。
れれ君が、今は苦しまずに笑って自由に走り回って居る姿を想います。美味しい物もたくさんお腹いっぱい食べてる事でしょう♪
隊長、ご飯ものどを通らないかもしれませんが。倒れない様に、少しでも栄養補給して下さいね!
辛い中でのブログの更新有難うございました。
私は、ず~っとれれ君ファンでいます☆
寂しい&悲しい&最期まで大事にされたれれ君が幸せだったね&見守る隊長の辛さを想像するだけで、胸が締め付けられる思いです&一緒に見守ってれれ君と隊長ご家族を支えたななちゃんも、頑張ったね。
色んな感情が溢れて、とても文章にはまとまりませんでした……。
れれ君が、今は苦しまずに笑って自由に走り回って居る姿を想います。美味しい物もたくさんお腹いっぱい食べてる事でしょう♪
隊長、ご飯ものどを通らないかもしれませんが。倒れない様に、少しでも栄養補給して下さいね!
辛い中でのブログの更新有難うございました。
私は、ず~っとれれ君ファンでいます☆
私もちょうど1年前にうさぎが虹の橋へ旅立ちました
その時の気持ちが戻ってきました…
とても寂しいですよね
私はしばらくとても辛かったです
今は笑顔で話し掛けれるようになりました!
また会えたらいいなーって思いながら!
レレボンがレオン君という超かっこいい名前だったこと
つい最近知りました。
そんでもって、また泣いてしまいました。
神様は平等にお迎えにくるけれど、やっぱり悲しいものです。
レレボン、虹の橋の向こうに引っ越しても、時々77-00ボログにやってきてね。
また待ってるよ。
悔いの残らない、最良の看取りだったことと思います。
れれちゃんも、本当によく頑張って偉かったですねー
今はただただ、れれちゃんのご冥福をおいのりします。
合掌
実は2年程前からブログ読ませていただいてたので今は寂しい気持ちでいっぱいです。
隊長様もお疲れ様でした。我が家も大型犬介護をしたことがあるので、自分と重ねて見ていました。
見ず知らずの私ですが、いつもブログが楽しみで愛犬を見送って悲しい気持ちも隊長、れれぼん、ななたんにどれだけ救われたかと、ブログとの出会いに本当に感謝です。
れれぼん、マイペースで優しくてかわいくて大好きだったよ。本当にありがとう。
れれちゃんの最期の様子を知らせていただいて
またまた涙、涙、涙があふれます。
ななたんの寄り添っている写真をみて、
ななたんなでなでしてあげたいです。
ななたんと同い年で同じくぶっとぶ(経歴を
持つ、最近は歳のせいかぶっとばなくなりました)
りこもそろそろ自分と同じく老年の兆し、介護の
ときも近いと思います。そのときは隊長の
れれちゃんへの手厚い介護を参考にのりきりたい
と思います。その前に自分がくたばらないように
がんばらなくちゃね。
隊長、悲しみは日に日につのると思いますが
お身体ご自愛ください。
そしてありがとうございました。
れれボン、幸せな最期を迎えられて良かったね。
ステキな家族に支えられて幸せだったね。
次の犬生も、きっと幸せになれるよ。
いまはゆっくり体を休めてね。
隊長と同じく、涙と鼻水で溢れています。
テレビやペットショップで感じるペットの可愛らしさだけで、熟考しないでペットを飼おうとする方がもし居たら、これだけ大変な介護の覚悟があるのか自問して貰えれば・・・
最近、ワンコが亡くなって生まれ変わって飼い主の元に戻ってくるという映画を見ました。れれぼんもきっと戻ってきます。
この更新をするのは、非常に辛い作業になったこととお察しします。
私も人間ですが、看取る最期1カ月間の闘病ノートは7年たった今も辛くて開けません。
そんな深い傷を背負っていた頃に、れれボンが隊長家にやってきてブログを見るのが
一つの癒やしになったのです。
れれボンには「ありがとう」の言葉しかでません。
沢山癒やして貰いました。
沢山笑わせて貰いました。
ありがとう、れれボン。
虹の橋よりもやっぱり隊長とななタンの側がいいのね。
れれボンらしいよ。
肉体は滅びても魂は生き続けると思ってます。
隊長‥ご飯は食べれてますか?
今は気持ちのままに過ごしてもいいと思います。
ななタンのお世話で難しいとは思いますが、無理はなさらないで下さいね。
ななタンもずっと側で看ていたので心のバランスも心配ですが
スローペースで過ごして下さいね。
ガリガリに痩せてしまって、もうそんな体力もないだろうに、何度も何度も吐くんです・・・。ほんとにかわいそうで、泣きながら背中をさすることしかできなかったです。ほんっとに辛かった・・・。
同じような思いを隊長さんもされたんですね・・・どんなに辛かったことでしょう。
私は1年半の介護で、睡眠負債をたんまりかかえ、体調は最悪でしたが、少しずつ返済していければと思っています。
隊長さんもこれからは、ご自分のメンテナンスもなさってくださいね。
本当に頑張りましたよね。
そして ありがとうね!
いろんな事があったなって、
9年ぶりに、言うなれば実家に帰ってきた
れれボンの細くなった足を涙ながしながらさすっていた隊長を思い出しました。
いっぱい奇跡がありましたよね。
ご家族揃って看取れた事も、少しでも悔いを残さないようにと、れれボンの優しい気持ちでしょう。
最後まで頑張る姿に心うたれました。
どんなに覚悟していても、寂しくて悲しいです。
みんなでいっぱい泣きましょう。
とても切ないですね(ToT)
大福も最後の頃はやせ細ってしまいました。
辛い悲しみの後から襲って来たのは想像もしてなかった程の寂しさでした。
大福と永遠のお別れをして2年、いまだその寂しさから抜け出せずにいます。
それでも、ななれれカフェと隊長に励まされ、癒やされ、笑わされ、
今も毎日乗り切っております。
れれボン、ななれれカフェを“わろてんか”と言わんばかりに
マッタリとゆる~く楽しませてくれ本当にありがとうございました。
れれボンが虹の橋へ持って行った美味しいお土産、大福も頂き
みんなで楽しく遊んでいるよ。
隊長、お疲れの中ご報告本当にありがとうございます。
ひとまずななちゃんとゆっくり過ごしご自愛下さい。
一緒にれれちゃんを見送れたような気持ちになりました。
れれちゃん、隊長とななちゃんに挨拶したくて、引きとめてくれたのかな。
きっとまだ虹の橋を行ったり来たりして、隊長とななちゃんの様子を見たりお昼寝したり、ゆっくり穏やかな時間のなかにいるのかな。
ちょくちょく帰っておいでねれれちゃん。
ほんとうにありがとう。
そしてれれさんもれれさんらしく最後までがんばったんですね。生きてるときもお空に帰ったあともかわらず「天使さん」ですね。
隊長のお気持ちを思うと涙ばかり出てなんとお声掛けしていいかわかりませんが、どうぞご自愛くださいね。
れれさんから幸せの意味を、隊長からは献身と愛情と覚悟を教えてもらいました。ありがとうございます。
れれさん、お空とおうちを行ったり来たり、うまうまもいっぱい食べてきっとエンジョイしてますね。
れれポン ありがとう。
れれポン 本当にありがとう。
いずれ迎えるであろう、我が仔との別れを重ねながら、
胸が苦しくなります。
隊長さんと家族がゆっくりとした時間がおとずれますように。
お疲れ様でした
隊長さんも、ななちゃんもお疲れ様でした
胸がいっぱいで言葉が出てこない😢
みんなにちゃんとお別れができてよかったね。
きっといつものほんわか顔で、お空から見守っているね。
見知らぬおばさんも、ななちゃんれれボンブログに癒されてきたよ。ありがとうね。
隊長さん家族とななちゃんをこれからも守ってね。
大変な 看護だったんですね、私共より、ずっと 大変だったと思います。
うちは 今でも 定位置だった居間の縁に アユムが居る気がしてならないです!!! 介護に悔いはありませんが、幾日経っても 思い出すし、悲しいです。
隊長を始め、お嬢さん、パパさん、ななちゃんも 暫らくは、現状を 受けとめられないでしょうが、れれちゃんは、幸せだったし、十分な看護をしてもらい、感謝、感謝していますよ。
お体を休めてくださいね!!
合掌
隊長さんはまだツライ中、お別れまでの様子をお伝えいただき、ありがとうございました。
ななたんの、れれさんへの寄り添いかたが、一生懸命で、心打たれました。
ただならぬ気配にななたん、緊張や不安、でも寄り添ってあげたいという強い想いを(私の感覚にすぎませんが)感じました。まなざしが、れれさんを想い、隊長さんを想い。。
ななたんもすごいね、、人間の心以上だね、、とつぶやきながら、思わず我がコ達を抱きしめました。
ななたんとゆっくり、お元気になってくださいね。
3月に虹の橋をわたった我が家のどうも犬のことを思い出しました。春らしく暖かな澄み渡る青空の中、橋をわたって行きました。やはり、家族が奇跡的にそろっている日でした。
れれ&ななに刺激をうけ、どうも犬多頭飼いを始めました。2頭が繰り広げる日常をブログで見ることは、わたしの『犬と暮らす10箇条』となり、いつも心の栄養剤でした。わが家には最近、3代目の、若いピチピチJKどうも犬がやってきました。
れれボン、お疲れさま。本当にありがとう。
ななタン、寂しくなるけど元気で長生きして、隊長さんを支えてね。
読んでいて涙が溢れました。
れれちゃん、自分で逝く時を決めていたんですね。
れれちゃんは本当にラブラドールの鏡です。
2年前にアニーが逝った時を思い出しました。
アニーは介護もさせてくれず一人で病院で逝ってしまいました。
その事が辛くずーと引きずってました。
れれちゃんの介護ボログを読みながられれちゃんをアニーに重ねて一緒に介護をさせてもらっているような感じでした。
れれちゃん隊長ありがとうございました。
今頃、アニーと初対面しているんじゃないかな…と、思ってしまいます。
「じいさん、一緒に走ろうよ!」と、お空で先輩風吹かせているかも。
それでみんなで看取ってあげれて、れれぽんの犬生、ホントに良かった16年だったと思います!
介護の大変さも教えてもらいました。
隊長、力抜けて体調崩さないでくださいね!
れれぽん、今頃盲導犬としてのプライドを持ち、そして普通のワンコとしての気持ちも持ち走り回ってますね♪
ただ、ただ、本当にお疲れ様でした。
そして、レレボン、幸せでしたね。
大丈夫ですか?
生きていたら彼女は16歳なのでレオン君と同じ年。レオン君は長生きでしたね。
我が家の暴れん坊の風太は男の子なのでレオン君の生き様を勉強させて頂きます。
今後ともどうぞよろしくお願いします。