松ひとり言

谷藤松で御座います。
末永くお付き合いの程よろしくお願い致します。

四条有栖川の≪陽光桜≫本日が超満開でございます

2016年03月18日 19時40分49秒 | 日記

チャクラさんにお尻を突かれた気持ちで・・・しとしと雨の中行って来ました

行って良かったです・・・・陽光桜が咲ききっていました

明日からは、花びらがひらひらと・・・・そうなんです下り坂なんですね

アーモンドの花見てきて写真を撮ってまいりましたこれです、まずは陽光桜から

      

どうですか開ききったばかりの ”陽光桜” です、残念なのが、バックが青空でない事です

そしてアーモンドの花・・なんですけど、よく見てきました・・でも、木の感じが ”桜” なんですよね

ほとんど散っていましたけど・・・写真を見て下さい

                             《手前は≪陽光桜≫ですよ~ 右端に淋しそうにしているのがアーモンドの木》

僅かに、数えるほど咲き残っておりました、 桜と違うと言えば、花弁が凄く長い事かな・・・・でも分りません

チャクラさんが云っている様に・・・・・アーモンドの実を見ないと納得できませんね~

 

 

上三枚の木をよく見て下さい、桜の木でしょう、そのように見えませんか

アーモンドの木に、うるさい人 教えて下さい


≪直木賞物語≫の返却期限があと三日なんです!

2016年03月18日 08時57分09秒 | 日記

例によって、京都は下京図書館で見つけたまでは良かったけど

この10日間陽光桜に現を抜かし(何と言う事を・・・陽光ちゃんに謝れ)

いや~すんまへん 取材を続けて下さっている ”チャクラさん” かんにんどっせ

陽光桜からアーモンドの花へホンマに忙しい事でございました(びっくりポンや~)

チャクラさん、なんか有栖川までアーモンドの花の取材に・・

おまけに写真を撮りに来ていた女性まで巻き込んでの奮闘振り凄い~

私もこの後カメラ片手に行ってきますが・・・その前に、この直木賞物語を少々

 

  

        

《興味のある方は、クリックして見てくださいませ第一回(1935)から第149回(2013)までの受賞作品がズラ~リと並んでいます》

まず最初に書かれているのが、”菊池寛の号令で、対象もよくわからないまま走り出す” である

1934年(昭和9年)12月、文藝春秋が直木賞の制定を発表、合わせて芥川龍之介賞も

芥川賞の対象とされたのは純文学であるが、直木賞の対象が大衆文芸

さて直木賞の名称の謂れであるが、作家・直木三十五の名を冠した物

直木三十五・・・この名前どない読むのと今日まで・・・なんやそのまま(さんじゅうご》なんやて

最初は直木三十三(さんじゅうさん)やったらしい・・・・いや~ホンマでっせ

ここに、その制定の意味が書かれてあるので・・・・

 ~直木三十五はその(大衆文芸)の実作と批評を積極的に行い、普及に尽力した人だが、

  34年2月24日43歳の若さで亡くなる。彼の才能と人柄を愛していた菊池寛は、

  直木の名を記念して文学賞をつくることを思いつき、自ら運営する文藝春秋社の

  佐々木茂索専務や社員たちに、運営に際しての詳細な検討を指示した~

そして、1934年12月に、制定の発表までこぎつけ、「文藝春秋」1935年1月号で発表

直木賞の規定には、「無名若しくは新進作家の大衆文芸中最も優秀なるものに呈す」とある

ここに第一回目の予選通過者の中に京塚承三の名があるが、この人こそ後の井上靖である

また、興味深いのが、落選した田岡典夫(後に直木賞受賞)の文である

  『私は「土佐国漁師百次漂流文書」という五十枚ほどのものを書いて投稿した。

  むろん、それは屑籠直行で、受賞作は、すでに作家として幾つかの作品を発表していた

  川口松太郎さんの「鶴八鶴次郎」であった。それで私は『なあんだ、一般募集というのは

  ほんのたてまえだけで、自分などの出る幕ではなかったのだ』と思ったものである』と

また他には、私が生まれた昭和18年の第17回の受賞者であった山本周五郎が辞退している

その辞退の弁である

  ~こんど直木賞に擬せられたそうで甚だ光栄でありますが、時分としては

   頂戴する気持ちになれませんので勝手ながら辞退させて貰いました

   局外者がこんなことを云うのはおせっかいに類するけれども、

   新人と新風とを紹介する点にこの種の賞の意味があるので、

   もちろん在来もそうであったとは思いますが、今後もなお

   そういうものが選ばれてゆくことを希望したいと思います~

芥川賞もそうであるが、最近はちょっと選考対象から少しづつ重みがなくなっているような気が

時代は変われども、人の心は変わらないのと同じで、直木賞らしさを貫いて欲しい