以前にも一度ぼやきましたが・・・・・私の考えが古いのでしょうか
京都の四条通りの地下を歩くと何時も不思議でならないのと
腹が立って成らないのですが何故皆が左側通行するのでしょう
大阪梅田の地下を歩くと、工事中の関係もあったのかも知れないが
歩行者は左側通行でお願いします・・・と書かれていました・・・でも
我が京都はそのような表示もなく・・・ただひたすら・・・堂々と左側を・・・
アホちゃうかと思うのですが・・・全員対私一人では勝ち目ありません
それでも、白い目で見られながらでも・・・ただ一人右側を歩いています
何年か前から人は左側通行になったがなと仰る方・・・教えてね~
このような、理不尽と思える事が・・・堂々とまかり通っています
乗り物に乗るときは・・・降りる人が先ですよね・・・何時から乗るのが先に
電車を並んで待っているのに、”サッ”と横から、目にも止まらぬ早業で乗るヤツ
言い出したら、切りがない程です、マナーと信号は守る為にある・・チャイますか
大好きな”宮本輝”の【人間の幸福】の最後から12ページ手前にこんな文があります
主人公の松野敏幸と娘を亡くしたばかりの、喫茶店のマスター沖田との会話です
少し長いですが、人間のすべての原点がこの中にあるような気がするので・・・・
沖田は床に視線をやったまま、何か物思いにふけったあと、
「人間にとって、何が一番大切なんだろうって、娘の死んだあと考えたんだ、
大切なものは、たくさんあるよ」と言った。
「そうだよな。 一番大切なものは、たくさんあるよな」と敏幸も言った
「誇り、正義、平和、家族、愛情、思いやり、礼儀、祖国、故郷・・・・
命のつぎに大切なものは、たくさんあるよ」 沖田が最初に<誇りと正義>
という言葉を置いたことを、敏幸は自分なりに理解できそうな気がした。
「俺の娘は知能は、せいぜい二歳程度のままだったんだ。
二歳の女の子に羞恥心なんてないよね。 たしかに俺の娘は生まれてから
二十数年間、ずっと二歳の知能や感情のままだったんだ。
だけど、死ぬ少し前、医者が胸をはだけて聴診器をあてようとしたとき、
すごく恥ずかしそうに、両手で自分の胸を隠そうとしたんだ。
そんなことは、生まれて初めてのことさ、俺、その瞬間、
ああ、この子は死ぬんだって、わかったよ」
沖田は敏幸から目をそらせ、スポーツ新聞をひらいた。
涙を見られたくないのだと思い、敏幸も体の向きを窓のほうに廻した。
「人間から誇りってものを奪っちゃいけない。どんな人間にも誇りってものがあるんだ。
それを奪うのは、命を奪うのとおんなじだ。でも、誇りってのは
少しでも正義をおこなわない人間には無縁のものなんだ。
娘の新造が停まったとき、俺、娘に、ありがとう、ありがとうって言ったよ。
俺たちの娘として生まれてくれて、ありがとうって・・・・・」
敏幸はいかなる言葉もなく、喫茶店の窓の向うに目をやった。
何度読んでも、気持がスキットするほど、名文だと思います
前にも言いましたが、輝さんは”正義”や”誇り”そして”心根”をよく使う
人は右側通行でっせ・・・・・
江戸時代から今に到るまで‥え~~?と知らなかった程の変遷がありそうです‥
そら迷うよねぇと言う感じ!昔歩道などなかった時代や車との対面交通での考えや駅構内や歩道での人の行きかいなど‥色々な場面でのルールは意識もなくその
人に任されているかのような今‥ 警視庁では日本で
は「車は左側通行・人は右側通行」になったのは昭和
25年頃からです それまでは人も車も左側通行でした
が交通安全のために車は従来からの左側通行とし人
は右側通行とする「対面交通」を取り入れたからですと