松ひとり言

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30年前?PHPに宮本輝さんの「無言の叱責」が!・・・

2014年02月07日 16時49分58秒 | 日記

                  

 《懐かしい写真ですね》       《輝さんの優しさ溢れる顔ですね》

 

~厳しく叱らなければならないときに優しく包み、大きく包容しなければならないときに叱責する。

どうも人間というものは、そんな間違いを犯しやすい。~

このような書き出しで始まるこのエッセイを、たしか・・・

関西文化会館で関西芸術部の部員会がありまして

その席で朗読されたのを聞き、感動したのを覚えています

その時、恥ずかしながら輝さんを知りませんでした、・・・続いて

~私は昭和47年の10月、25歳の時に、日蓮正宗創価学会に入信した。自分が得体の知れない奇妙な病気にかかったことが

一番の動機であるが、これほどまでに世間やマスコミに攻撃されつづける宗教は、あるいは途轍もない哲理を

掲げているのかもしれないと感じたからであった。私が小説家になろうと決意したのは、それから3年後であり

「蛍川」で芥川賞を頂戴したのは、さらに3年後であった。芥川賞を受賞して半年ほどたった頃、私は創価大学で

池田大作先生にお逢いした。池田大作氏は私にとって師であるから、ここでは先生と書かせていただくことにする。

私も何回か八王子にある創大へ行ったことがあるが、

素晴らしい環境の中に、本部棟を中心にキャンパスが並ぶ

私は信心して32年今だ一度も先生にお目にかかった事がないが

この後、宮本輝さんは、先生との素晴らしい出逢いが・・・次を!

         

    《創大の建学の精神・・・3指針です》               《本部棟がキャンパスを見下ろしています》

~よく晴れた日で、大学の構内には、私と同年齢の友人たちが集って日なたぼっこをしたり、とりとめのない話に興じたりしていた。

すると遠くから池田先生の近づいてくる姿が見えた。先生は私たちの前で立ち停まり、ひとりひとりに近況を訊き

激励し握手を交わした。だんだん私の方に近づいてくる。ところが、先生は私には目もくれず、私をとばして、隣の青年と話しをし

これから大学生たちの催すフェスティバルを一緒に見ようと誘った。私だけを外してである。私は先生と一瞬目が合うたびに

何か喋ろうとするのだが、口を開きかけると、先生はじつにあざやかに視線をそらしてしまう。とりつく島もない。

みんなは先生と去ってしまい、私ひとりが残された。私は腹が立った。先生がわざとそうしたのであることは判った。

判っただけに、よけい腹が立ち、「なにが池田大作だ。えらそうにしやがって」とおもったのである。

私は電車に乗ってホテルへ帰る道すがらも、ホテルに帰り着いてからも、腹が立って腹が立って仕方なかった。

しかし、時間がたつにつれ、なぜ池田先生が、私にそうしたのかを考え始めた。私は自分が恥ずかしくなってきた。

「俺は芥川作家なんだぞ」という言葉が、私の中から聞こえてきたのである。自分はなんといやらしい顔をして

先生の前に立っていたことだろう。先生はそんな私のすべてを、瞬時に見抜いたのだ。

ああ、俺はなんというちっぽけな恥ずかしい人間だろう。俺は自分の頭のうしろに「芥川作家でござい」という看板を立て

弟子の分際で師を待ったのだ。それに気づくと、私は転げ廻りたいほど、恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなくなったのである。

あした、たとえ池田先生に「宮本輝なんかしらないよ」と門前払いされようとも、自分は自分の非を遠くからお詫びし、

ご挨拶をして大阪へ帰ろうと思った。

誰しも一度は経験している事で、私も詩吟で全国コンクールで優勝して

「文部大臣賞」を頂いた時、今は亡き母から、叱責でなく、忠告を受けたのが

忘れられず、どうにか、天狗にならずに今日まで詩吟を続けられている・・・・それは

昭男!、こんな大きな賞を頂いたんやから、今までの自分ではあかんよ!

あんたは特に、誰とでも気軽に軽口をたたくけど、今日からは今迄みたいに

通用せえへんよ、・・・なんや!ちょっと大臣賞をもろたと思って生意気な!

と言われるで、へりくだる事ないけど今まで以上に丁寧に話す事やで・・・

この言葉は今でも財産でもあり、松の原点でもあります、”お母ちゃんおおきに

さて・・・いよいよ「無言の叱責」のクライマックスです・・・・・続きをどうぞ!

      

    《桜の季節は特に素晴らしい・・・・・》

翌日、私は再び創価大学へ行った。ちょうど大学祭の日で、先生には来客が多かった。しかし、校舎の廊下で

私は先生とお逢いすることが出来た。先生は私を見るなり、自分の方から歩み寄ってこられ、「きのうは、ごめんね」

と小声で言われたのである。私はまだ何も言っていない。自分の驕りや非礼を反省しお詫びする言葉をひとことも

口にしていないのである。「私ときみとのあいだには、世間の肩書きなんか、何の関係もないんだ」そう言われたのである

私はこの7年前の出来事を生涯忘れないだろう。あのとき、池田先生に叱られていなかったら、私は青二才の分際で

芥川賞の看板を盾に一人前の作家づらをして闊歩し、天下を取った気分で驕りたかぶるつまらない作家のままで

終わったに違いない。あのときの、先生の無言の叱責は、おそらく、私のこれまでの人生で受けた最も大きなやさしさである。

まだ続くのですが、池田先生の”無言の叱責”・・・・・

我々学会員は幸せにも素晴らしい師匠が居て下さいます

世間では、特にマスコミには、悲しいかな理解が出来ない

いや!気持ちでは出来ているのだけど、創価学会という名称が

受け付けないのかもしれない、偏見が大股で通るマスコミ・・・・・

おそらく、最後まで読んでいただけないのでは、

あなたには生涯の師匠がいますか?

因みに、宮本輝の小説の中で「錦繍」が一番好きである

       

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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