一週間前に長慶天皇・嵯峨東陵へ行ってから、南朝方4代の天皇御陵を訪ねようと、思いつきまして
第96代・後醍醐天皇が京都から三種の神器を秘かに持って芳野へ脱出(南北朝の始まり)した時の
延元元年(1336)から第99代後亀山天皇が京の後小松天皇に譲位するまでの芳野での56年間が南朝時代
そこで今回、南朝最後の天皇、後亀山天皇 の御陵、後亀山天皇・嵯峨小倉陵(さがおぐらのみささぎ)を訪れた
場所は少し判り難くて、清涼寺(嵯峨釈迦堂)から(1キロの所)鳥居本へ行く道の中程にある(奥嵯峨めぐりの道)
《鳥居本への道の左側に入ると参拝道になる、真っ直ぐに50mほど入ると御陵の入り口・・・誠に静かである、石の鳥居が見えてくる》
《御陵の手前に表示が・・・後亀山天皇・嵯峨小倉陵とある、(さが おぐらの みささぎ)と読む、長慶天皇の御陵の四分の一ぐらいだった》
長慶天皇の御陵の方が新しくて規模も3・4倍大きい気がした、
御陵独特の造りで、正面の気高さと言うか、品格というか
さすが 歴代の天皇陵である、次は・・・・・
後亀山天皇が三種の神器をお返しする、京都・北朝最後の天皇
後小松天皇の御陵、深草北陵(ふかくさ きたの みささぎ)を訪ねます
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