松ひとり言

谷藤松で御座います。
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≪地球一周鉄道の旅≫を読み、ふと!「まぼろしと真実」が

2016年03月20日 18時53分54秒 | 日記

この本例によって下京図書館で見つけたもの

著者・尾賀久夫は日本の鉄道(特急)の中でこの様に云っている

  ~1825年にイギリスで世界最初の鉄道が開通した。

   遅れること半世紀、日本では1872年に東京ー横浜に鉄道が敷かれた。

   現在では、JRの総営業キロは2万1300キロ(約地球半周分)

   他の私鉄合計では5600営業キロとなっている。~

著者の尾賀さん1985年に13日間一人で車を運転して、日本の海岸沿いを一周している

もちろん本州だけと違って、北海道から四国、九州、沖縄まで7350キロを走破している

海岸線の美しさと、日本人の優しさに触れ、達成感を抱いた時『次は地球だ』と思ったのだ

そして、先ず最初に実行したのが ”シベリア鉄道” の旅・9297km(142時間)であった。

ナント富山空港からの旅立ちなのである、ウラジオストック航空のYK40という小型ジェット機で

空軍輸送機のお古を民間機用に改造したものらしくって、飛行機の真後ろからタラップによる搭乗

中に入るとカビ臭さと暑さで大変、その上28人乗りで中が凄く狭い

レストランの子供椅子サイズのシートが横に4列並んでいる、室内気温は35度ぐらい

それに、びっくりポンなのは、団扇で自分自身を扇ぐ、団扇備え付けの飛行機は初めてと

機内にもびっくりしたが、スピードにも・・・・80分ぐらいで飛ぶのが、3時間弱かかった

ホテルも各国のホテルはすべて三ツ星以上を予約していたのにここにはエアコンも浴槽も無し

ロシアを含む旧ソ連内の鉄道の総延長距離は14万キロ、ナント地球を三周半の距離とか

こんな調子での一週間の列車旅、今回はココまでにして・・・思い出を一つ

私の叔父が(母の弟)が『昭男!”まぼろしと真実” という本読んで見てみ』と云ったのが

調べてみたら1962年とあるので、54年前・・・私19歳のときであります

調べてびっくりしたのが、著者なんか忘れていたら、タント 竹山道雄とありました

あの≪ビルマの竪琴≫の作者じゃあ~りませんか・・・何が言いたいのか

まずこの本、竹山道雄著、まぼろしと真実:私のソビエト見聞記と言うタイトルが付いている

本の写真が無いかと調べてみました・・・ありました、いや~懐かしい

感激です、この本に写真だけでもめぐり会えるとはネットって本当に凄いですね~

肝心な事がまだでした・・・・一つだけ記憶しているのが、著者がモスクワでの出来事なんです

モスクワ市内中心部から一筋裏に入ったところで、ホテルの場所を聞くんです・・・

地図を広げて、・・・・・ 誰一人として分らないのです、ナント地図の見かたが分らない

結局少し行った所に遭ったんですが・・・・ソビエトに着いた早々に遭遇した驚きでした

≪まぼろしと真実≫とタイトルはこの様な出来事から付けたのでしょう

次回にシベリア鉄道の旅の続きを・・・・と思っています

 

 

 

 

 


カラーインクの魔術師≪永田萌≫さんの妖精村へ行って来た!

2016年03月19日 08時25分23秒 | 日記

《3月11日金曜日・この日は大変忙しい一日だった、京都水族館へ初めて行き、次に辿り着いたのが妖精村でした・・・異次元の世界》

もっと早くブログしたかったのですが、例の陽光桜に現を抜かしていたので一週間遅れ

この妖精村の一筋西の通り(真裏になる)に京都文化博物館があるんです

そんな事で、ここの次に博物館のフイルムシアター【天国と地獄】に行くのです

すんまへんまた寄り道して、ここ妖精村を知ったのは先月でした・・・ひょんな事から

八月で73歳になるおっさんが(爺さんやろ~)入るのに勇気がいりました

思い切ってと言っても・・・そォ~と恥ずかしそうに、戸惑うおじさんを演じながら

 

《優しいお姉さんが ”いらっしゃいませ” と写真を撮らせて頂きました、この写真の向こうが入り口で右側が受付のお姉さん》

《ぐるっと・・・見て周りながら見つけた本がありました・・・・・ ”夢見るチカラ” と言う小冊子型なんですが、140ページもあるんです》

いや~素晴らしい本ですよ・・・まさにモエ・ワールドの玉手箱です

この本の中に ”わくわくする時” と言う・・・

永田萌さんとやなせたかしさんの出会いが書かれていますので

 

《なんと素敵な出会いでしょう、やなせたかしさんと言えば ”アンパンマン” でしょう2013年に94歳で亡くなられている》

では・・・・萌さんの作品から

  

  

   この人が永田萌さんです        ”夢みるチカラ” 展二年前です       可愛いでしょう、このファイル買いました

また妖精村へ行きたいと思っています・・・楽しい気分になれます

京都にお住まいで、文化博物館によく行かれる方・・・一度寄ってみてわ

                             

 

 

 

 

 

 

 

 


四条有栖川の≪陽光桜≫本日が超満開でございます

2016年03月18日 19時40分49秒 | 日記

チャクラさんにお尻を突かれた気持ちで・・・しとしと雨の中行って来ました

行って良かったです・・・・陽光桜が咲ききっていました

明日からは、花びらがひらひらと・・・・そうなんです下り坂なんですね

アーモンドの花見てきて写真を撮ってまいりましたこれです、まずは陽光桜から

      

どうですか開ききったばかりの ”陽光桜” です、残念なのが、バックが青空でない事です

そしてアーモンドの花・・なんですけど、よく見てきました・・でも、木の感じが ”桜” なんですよね

ほとんど散っていましたけど・・・写真を見て下さい

                             《手前は≪陽光桜≫ですよ~ 右端に淋しそうにしているのがアーモンドの木》

僅かに、数えるほど咲き残っておりました、 桜と違うと言えば、花弁が凄く長い事かな・・・・でも分りません

チャクラさんが云っている様に・・・・・アーモンドの実を見ないと納得できませんね~

 

 

上三枚の木をよく見て下さい、桜の木でしょう、そのように見えませんか

アーモンドの木に、うるさい人 教えて下さい


≪直木賞物語≫の返却期限があと三日なんです!

2016年03月18日 08時57分09秒 | 日記

例によって、京都は下京図書館で見つけたまでは良かったけど

この10日間陽光桜に現を抜かし(何と言う事を・・・陽光ちゃんに謝れ)

いや~すんまへん 取材を続けて下さっている ”チャクラさん” かんにんどっせ

陽光桜からアーモンドの花へホンマに忙しい事でございました(びっくりポンや~)

チャクラさん、なんか有栖川までアーモンドの花の取材に・・

おまけに写真を撮りに来ていた女性まで巻き込んでの奮闘振り凄い~

私もこの後カメラ片手に行ってきますが・・・その前に、この直木賞物語を少々

 

  

        

《興味のある方は、クリックして見てくださいませ第一回(1935)から第149回(2013)までの受賞作品がズラ~リと並んでいます》

まず最初に書かれているのが、”菊池寛の号令で、対象もよくわからないまま走り出す” である

1934年(昭和9年)12月、文藝春秋が直木賞の制定を発表、合わせて芥川龍之介賞も

芥川賞の対象とされたのは純文学であるが、直木賞の対象が大衆文芸

さて直木賞の名称の謂れであるが、作家・直木三十五の名を冠した物

直木三十五・・・この名前どない読むのと今日まで・・・なんやそのまま(さんじゅうご》なんやて

最初は直木三十三(さんじゅうさん)やったらしい・・・・いや~ホンマでっせ

ここに、その制定の意味が書かれてあるので・・・・

 ~直木三十五はその(大衆文芸)の実作と批評を積極的に行い、普及に尽力した人だが、

  34年2月24日43歳の若さで亡くなる。彼の才能と人柄を愛していた菊池寛は、

  直木の名を記念して文学賞をつくることを思いつき、自ら運営する文藝春秋社の

  佐々木茂索専務や社員たちに、運営に際しての詳細な検討を指示した~

そして、1934年12月に、制定の発表までこぎつけ、「文藝春秋」1935年1月号で発表

直木賞の規定には、「無名若しくは新進作家の大衆文芸中最も優秀なるものに呈す」とある

ここに第一回目の予選通過者の中に京塚承三の名があるが、この人こそ後の井上靖である

また、興味深いのが、落選した田岡典夫(後に直木賞受賞)の文である

  『私は「土佐国漁師百次漂流文書」という五十枚ほどのものを書いて投稿した。

  むろん、それは屑籠直行で、受賞作は、すでに作家として幾つかの作品を発表していた

  川口松太郎さんの「鶴八鶴次郎」であった。それで私は『なあんだ、一般募集というのは

  ほんのたてまえだけで、自分などの出る幕ではなかったのだ』と思ったものである』と

また他には、私が生まれた昭和18年の第17回の受賞者であった山本周五郎が辞退している

その辞退の弁である

  ~こんど直木賞に擬せられたそうで甚だ光栄でありますが、時分としては

   頂戴する気持ちになれませんので勝手ながら辞退させて貰いました

   局外者がこんなことを云うのはおせっかいに類するけれども、

   新人と新風とを紹介する点にこの種の賞の意味があるので、

   もちろん在来もそうであったとは思いますが、今後もなお

   そういうものが選ばれてゆくことを希望したいと思います~

芥川賞もそうであるが、最近はちょっと選考対象から少しづつ重みがなくなっているような気が

時代は変われども、人の心は変わらないのと同じで、直木賞らしさを貫いて欲しい

  

 

 


≪陽光桜≫から大転回・・・桜がアーモンドとは!

2016年03月17日 23時17分35秒 | 日記

半信半疑でチャクラさんの取材を見ていたのですがナント

アーモンドの花・・・・チャクラさんの取材で桜がアーモンドに

アーモンドの花を知らない私は・・・どう見ても桜やで~と疑ってました

ネットで調べました・・・・・ナント・・・ナント・・・見てください

 

 

《御覧頂けました・・・びっくりポン でしょう、何処から見ても ”桜” なんですよ~陽光桜 から思わぬ展開でした、チャクラさん有難う》

では梅津のアーモンドの花をもう一度

どうですか何処から見ても・・・桜 でしょう、そしたらこの木・・・アーモンドの実が出来るんでしょうか・・・マタマタ楽しみが