総武線のガードをくぐり京葉道路の手前にある榛(はんのき)稲荷神社。
かつてこのあたりには、榛馬場と呼ばれた馬場があり、その土手に榛が植えられていたようです。(このハンノキが変換で出るときと出ないときがあるのはナンデダロウ?)榛というのは、水辺を好む樹種のようですね。榛名山の榛の字でもあります。
この榛の傍らにあったのが、この稲荷神社。
関東大震災では、社殿と榛は焼失したとのこと。
まあ、最大の被害地の傍で無事には済まないでしょうけれども。
その後、発掘された古碑には、和銅2年との表示があったとか。
和銅は、日本で最初につくられた流通貨幣である和同開珎が有名ですね。
和銅2年というと(神武)紀元1370になりますか。
そして、この近辺には葛飾北斎が住んでいたことがあるとのこと。
葛飾北斎は生涯で90回以上転居を繰り返したとのことですが、この場所は、露木為一という人が「北斎仮宅写生」という絵を残しているそうです。
ある程度、場所の特定が出来、絵画資料も残されているという意味では貴重な例とのことで、葛飾北斎住居跡の看板が掲示されています。
京葉道路を右に曲がります。
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