りぞあかぶろぐ2
ココログで2006年から掲載してきたライフログ「りぞあかぶろぐ」の第2弾です。




深川七福神の寿老人 深川神明宮です!

 

 どういうルート取りをしたか覚えていないのですが、森下駅近くの深川神明宮です。

 この両国付近の記事は、既に38回目。他の記事も滞留状況になっています。これまで一番古いこの記事を3回連続、浅草を2回、その他1回と傾斜させて執筆してきました。ちょっと時間がかかりすぎということで、加速化するため、5回、4回、3回、2回、1回の傾斜配分に変えようかなと。

 それはさておき、この神社。徳川氏の関東入国から間もない慶長元年(紀元2256キリスト暦1596)、家康公がこの地を巡視されたおりに、この地に住まう深川八郎右衛門を呼びよせ、地名を尋ねたところ、「まだ住む人も少なく地名もない」とのこと。家康公は八郎右衛門の姓「深川」を地名とするよう命じましたそうで、それが深川の由来だとか。

 かつて深川一帯は葦の生い茂る三角州で、住む人もまだいませんでしたが、深川八郎右衛門(摂津の人と伝えられる)が一族を引き連れてこの地に移り住み、土地の開拓に着手しました。八郎右衛門は神さまを敬う心が篤く、屋敷のうちに小さな祠を建て、日頃から崇敬する伊勢神宮を勧請したとのこと。

 深川氏は開拓の功績により代々深川二十七ヶ町の名主を務めましたの由。

 赤い鳥居は、摂末社の和合稲荷神社。

 そして、左が七福神の寿老神社ですかね。

 扁額の文字がかすれちゃっているのがちょっと痛々しいですけど。

 深川七福神、もはや両国近辺?というには、疑問ではありますが。

 いずれコンプリートしたいものです。

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