


飛不動尊から、さらに歩みを進め、吉原神社を目指します。
途中、最上稲荷というのでしょうか、小さなお稲荷さんを見かけました。
のぼり幡がたくさん立って、地域の方に信仰されているようですね。
さらに南下し吉原神社を訪れます。
吉原神社は、かつての吉原遊廓にお祀りされていた五つの稲荷神社と遊廓に隣接する吉原弁財天が合祀されたもの。
5つの稲荷神社は、九郎助稲荷、吉徳稲荷、榎本稲荷、明石稲荷、開運稲荷の5つ。
元和3(紀元2277キリスト暦1617)(歴年表示の考え方)年、徳川幕府の命によって、江戸市中各地に散在していた遊女屋は日本橋葦町あたりに廓として統合されました。これが「江戸元吉原」です。そういえば、日本橋七福神に行った際に寄った末廣神社が元吉原総鎮守を名乗っていました。

この地には葦(よし)が生い茂っており、そこから「葦原」、転じて「吉原」と命名されました。しかし次第に吉原が江戸の中心地になってしまったため、明暦3年(紀元2327キリスト暦1667)に当時は竜泉寺村とよばれていた現在地に移転となりました。移転後の吉原を「新吉原」といいます。
浅草名所七福神の弁財天となっています。
以前、吉原観音に行ったことがありましたが、この神社の末社だそうです。
弁財天としては、そちらが本宮なのかしら?
弁才天は、仏教の守護神である天部の一つで、ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーが、仏教に取り込まれた呼び名ですが、神仏習合の中、日本神話に登場する宗像三女神の一柱である市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視され「七福神」の一員として宝船に乗り、縁起物にもなっています。
財宝神としての性格が強調されるようになると、「才」の音が「財」に通じることから「弁財天」と書かれるようになり、弁天様とも呼ばれます。

左の写真は、「お穴さま」地中の神様で神社の土地をお守りしているそうです。心を込めてお参りすると必ず福が得られると伝えられているとのことですが、参拝はしましたけど、特にお願い事はしませんでした。
その次の写真は、逢初桜(あいぞめさくら)。
逢初とは恋焦がれている人に初めて会うという意味があります。江戸時代より遊客の出逢いを叶える桜として新吉原入口の玄徳稲荷社脇に植えられ、同じく稲荷社脇にあった「駒止松」、さらに新吉原入口の「見返り柳」と合わせて「廓(くるわ)の三雅木(さんがぼく)」として知られていたそうで、現在の逢初桜は平成24年に植樹された枝垂れ桜で、春には見事な花を咲かせるそうですが、この時は、すっかり葉桜でした。
狛犬はちゃんと阿吽になっていますね。


公式HPには、なぜか千束稲荷も載っています。
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