りぞあかぶろぐ2
ココログで2006年から掲載してきたライフログ「りぞあかぶろぐ」の第2弾です。




 長野に行った際の帰りの昼食は、茅野の駅ビルにあるモン蓼科のソースカツ丼。

 荷物の宅急便で送り、レンタカーを返してと、あわただしい中、手早くお昼をいただけました。

 ソースカツ丼というと、駒ケ根という印象がありますが。

 ここ茅野駅は、八ヶ岳の登山口。若い頃は、よく冬場に訪れたものです。当時は、夜行の鈍行や急行アルプスなどがあり、よく利用しました。

 登山の場合、山の中の行程によって早めにに下山することもあります。電車賃を節約するため、帰りは、鈍行で5時間近く酒盛りをしながら?かえっていったのも懐かしい思い出です。

関連記事(諏訪美術館

(参考)グルメカテゴリのインデックス記事



 



コメント ( 0 )




 宿の魅力を伝えるというのは、難しいですね。

 特にお風呂が特徴だったりする温泉旅館だったりすると写真を撮るわけにもいかないですし。

 なので、公式ホームページをご覧いただくのが、一番ですかね。

 左は、直リンクした公式ホームページのお風呂の紹介ページへのリンクですけど、色々工夫されておられます。

 私自身の訪れた印象だと、結構山深いなと。

 さすがは歴史のある旅館という印象でした。

 先日紹介した片倉館と同様、深いお風呂 白猿の湯が特徴的です。こちらは1.25mの深さがあります。なんでもこの場所から温泉が出ているとのことです。1.25mだと十分な深さですかね。妻は、つま先立ちだったと話していました。

 一枚目の写真のとおり、海街diaryのロケ地だったようですね。山の中ですけど。

 次の日は、遠野まで足を伸ばします。

前の記事へ岩手に行きました!記事一覧次の記事へ

 

 



コメント ( 0 )




 片倉館と同じ敷地内にある諏訪美術館。

 片倉館が建築された当時、「懐古館」という名で付属施設として、美術品や養蚕関連の展示が行われていたとのこと。

 昭和25年(キリスト暦1950紀元2610)、片倉家より諏訪市に寄贈され、昭和31年(キリスト暦1956紀元2616)に諏訪市美術館として開館。県内では最も古く、国内でも5番目に古い公立美術館だそうです。昭和31年というと他にもありそうですが、なんだか意外です。「公立」の定義もあるのかもしれませんが。

 平成23年(キリスト暦2011紀元2671)に洋風建築の片倉館と和風の美術館があいまって諏訪湖の景観に貢献していると評価され、国の登録有形文化財となったとのことです。

 観覧はしなかったのですが、旅は一期一会。果たしてまた訪れることはあるでしょうか。

関連記事(モン蓼科のソース丼



 



コメント ( 0 )




 時間的にもう一ケ所くらいよれそうだなと選んだが、野村胡堂・あらえびす記念館。

 野村胡堂さんは、銭形平次捕物帳の原作者。音楽評論家として、「あらえびす」のペンネームをつかっていらしゃいました。

 銭形平次は、テレビではそんなに見ていなかったのですが、青空文庫で読ませていただきました。

 捕物帳は、人情劇、推理小説的な謎解き、活劇の要素も含んだ魅力がありますよね。また、江戸時代の風俗などの描写もあるところも魅力です。

 青空文庫では、岡本綺堂さんの半七捕物帳に続いて、読ませていただきました。

 岡本綺堂さんのお墓は、青山にあり、以前、お参りさせていただきました。

 野村胡堂さんは、故郷に出来た記念館を訪れることができました。

 野村胡堂さんは、明治15年(キリスト暦1882紀元2542)生まれ。盛岡中学校(のちの盛岡第一高等学校)では、金田一京介さんと同窓となったそうです。

 また、下級生には石川啄木がいたそうです。

 その後、東京帝国大学に入学するも父親の死亡により、退学。報知新聞を発行する報知社に入社。キャリアを重ねます。

 デビュー間もない江戸川乱歩に多数の短編を執筆させるなどしたとのこと。

 あわせて、自らも文芸春秋に銭形平次を執筆。昭和24年(キリスト暦1949紀元2609)に捕物作家クラブを結成、会長に就任。後に「日本作家クラブ」となります。

 また、レコード収集家としても著名であり、あらえびすの名で、音楽評論等を書いていたとのこと。

 記念館では、様々な書簡、原稿、レコードや愛用されていたオーディオなどが展示されており、故人の生涯とその時代の空気感を偲ばせるものとなっていました。

 昭和感を満喫したあと、この日の宿泊は「日本一深い天然自噴岩風呂を有す秘湯宿 藤三旅館」です。

前の記事へ岩手に行きました!記事一覧次の記事へ

 



コメント ( 0 )




  長野に行った帰りですが、諏訪の片倉館に行ってきました。

 片倉館とは、国指定重要文化財である浴場です。

 戦前にシルクエンペラーと称された片倉財閥により、昭和3年(キリスト暦1928紀元2588)に竣工となりました。

 深さ1.1mの浴槽に玉砂利がしいてある千人風呂が特徴的。

 立って入るというのは、現在では、ちょっとなという印象ですけど。当時の日本人は小さかったので、そんな感じだったのかもしれません。

 この片倉財閥ですが、富岡製糸場を保存したことでも知られます。

 こちらの浴場は、地域住民向けの温浴施設として作られ、財団法人を設立して運営してきたということですが、文化財になるような建物で、現役というのがすごいですね。

 見学コースもあるようなのですが、立ち寄りませんでした。

 次の関連記事(諏訪市美術館



コメント ( 0 )


« 前ページ 記事一覧画像一覧フォロワー一覧フォトチャンネル一覧 次ページ »