幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

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名車ソアラと、知って得する「心の法則」

2017-04-14 02:01:08 | 自動車から見える日本と世界

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日本周辺において、アメリカと北朝鮮の緊張が高まってきました。

何が起こっても不思議でない状況ですので、大好きな自動車記事は、書けるときに書いておきたくなりました。

今日の主役は、1981年に発売された、トヨタソアラです。

このソアラは、当時の日本人にとって、何から何までもが仰天そのものでございました。

スタイルは、現代的視点からすれば、「普通」の感覚かも知れませんけれども、当時としては、超先進的でした。

また性能も超一級品で、2800㏄でDOHC6気筒エンジンを搭載したもので、170馬力は、当時の日本車で最高の数値でした。

そしてスタイルや動力性能だけでなく、贅を尽くした内装や、優れた乗り心地と高い静粛性、当時の日本車としては、コーナーリング性能も優秀でした。

ベンツやBMWを目標に、当時のトヨタの最先端技術を全部入れこんだ作品で、トヨタが発表した作品の中でも、最も力の入っていたものの一つであることは確かです。

車両価格は300万円ほどだったと記憶しているのですが、当時としては破格の高級車で、クラウンとどっこいどっこいのお値段ではありましたが、しかし、破格過ぎないというか、一般的な国民目線で言えば、「頑張れば、手に入れられそう」なポジションではなかったかと思います。

過去のトヨタ2000GTのお値段が、現在の物価基準で言えば、2000万円クラスであったらしいですし、最近でも、レクサスLFAだと、3500万円ほどですから、ソアラは高嶺の花で、憧れの存在ではあっても、「縁のない存在」ではなかったはずで、ソアラは爆発的なヒット作となります。

 

日本に「ソアラ現象」が起こり、その後の日本車は高級化&高性能化していくのだけれど、ソアラが偉大であったのは、日本人を勇気づけたことだと思うんです。

ソアラ出現以降、「日本も、やればできるじゃないか!」と思ったんですね。

というのも、ソアラ以前の日本人というか日本の車好きでは、「日本車は、ヨーロッパ車にはかなわない」というのが常識だったんです。

70年代後半にスーパーカーブームが巻き起こって、その後ブームが終わった後も、外国車には引け目を感じていたのが当時の一般的な日本人だったと思う。

しかしトヨタソアラは、当時ピカ一の商品性を誇る、ドイツのBMW6シリーズに、性能やその他の分野で、全く引けを取らなかったのです。

初代ソアラは国内専用車で、海外に輸出はされませんでしたが、自動車雑誌などがドイツのアウトバーンに持ち込み、お手本にしたであろうBMW6シリーズと、ソアラを比較する企画を盛んにやっておりました。

スーパーカーブームで、当時の日本は自動車大好き国家になっていましたので、トヨタソアラの優秀性を目の当たりにして、戦後の日本が持っていた、何とも言えない劣等感みたいなものが、一気に吹き飛んだと思うんですね。

少なくとも、私はそうだったんです。

そして、「頑張ったら買えそうな価格」であったことが、「ソアラに乗ってみたい」と、多くの日本人に思わせた要因ですが、それもソアラの大きな歴史的功績の一つではないかとも思うんです。

というのも、ソアラ出現以降日本は、その後「バブル景気」と呼ばれた超大型好景気に向かって、まっしぐらに高度経済成長を続けるんですね。

多少強引かも知れませんけれども、時系列的に言うと、「ソアラへの憧れが、日本を経済超大国に押し上げた。」と言えなくもないんです。

その後、バブル景気の終焉と共に、ソアラも自動車商品としての使命を終えるがごとく、ネームバリューを小さくしていったのですが、私が思うに、ソアラは時代の申し子的なところがあったと思うんですね。

そしてひょっとしたら、ソアラ以前の日本人と、ソアラ以降の日本人では、考え方や価値観や「当たり前」が違っているのではないかとも思います。

ソアラ以降の日本人には、戦後抱いていた、何とも言えない劣等感がなく、「経済大国日本の国民」という意識が基本的にあると思う。

ソアラは、まぁ単なる自動車製品と言えばその通りなんですが、それを超えた、人が持つ「心の力」の歴史的証明者的な位置づけができるんじゃないかと。

「憧れ」や「夢」や「悟り」と言った心の力が、実は現実に力を持っている。

これは宗教的真理ではありますが、幸福の科学では、そのメカニズムまで論理的に説明するところがすごいところ。

本日は、経典「黄金の法」から、少し難しいけれども、知っていて絶対に得する「心の法則」部分を、抜粋してお届けしたいと思います。

                 (ばく)

聖書の真実@YouTube イエス・キリストの復活 The Resurrection of Jesus Christ

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2017年第3回講演会    

演題     人生を深く生きる 

本会場    高知県立県民体育館        

衛星会場   全国の支部・精舎     

開催日    4月23日(日)13時~    

高知支部精舎〒781-8105 高知県高知市高須東町2-11   

TEL:088-882-7775 

高知西部支部精舎〒781-1202 高知県高岡郡越知町2519-7   

TEL:0889-26-1077 

高知朝倉支部〒780-8062  高知県高知市朝倉乙988-11   

TEL:088-850-7774 

高知東部支部〒781-5232  高知県香南市野市西野       

TEL:0887-56-5771 

高知四万十支部〒787-0012  高知県四万十市右山五月町2-22 

TEL: 0880-34-7737 

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人間の「心」というものは、単に道徳的な存在ではなくて、「仏光(ぶっこう)物理学」に基づいてつくられたものだと言えます。

この「仏光物理学」とは、大宇宙は仏の意志によって存在し、大宇宙の法則は、仏の光の物理学的法則によって支配されるということです。つまり、三次元宇宙空間とそれ以降の多次元空間を支配する法則を、仏の光の性質に帰そうとする考え方なのです。

そして、この考え方は、実在界の物理学者たちの多数の支持を受けております。

仏光物理学には、三つの基本命題(テーゼ)があります。
第一のテーゼは、仏の光は、親和的性質を持ったものに出合うと増幅され、排他的性質を持ったものに出合うと、それを避けて通るというものです。
これは、イエスが、「持てる者はさらに与えられ、持たざる者はさらに奪われるであろう」と語ったことの真意なのです。つまり、仏の光と親和性のある人には、ますます、仏の光、恵みが与えられ、仏の光を排斥する性質を持つ人には、だんだん、仏の光が射さなくなる。これが真相です。

(中略)

第二のテーゼは、仏の光は、その凝集・拡散というプロセスによって、創造と破壊を行なうということです。つまり、念のカによって、仏の光が目的性を持って凝集すると、そこに、霊的実体が現われる。さらに、その波動を緊密なものにしてゆくと、物質が現われる。その逆に、念による目的意識が解除されると、物質はその形態を失う。霊的実体も、仏の光が拡散を始めると、別なものになる以外は存続しえなくなる。こういう物理法則があるのです。

そして、人霊創造のプロセス、人体創造のプロセスは、この仏光物理学のなかの、光の凝集・拡散の法則によって、明らかにされるのだと言えます。

第三のテーゼは、仏の光は周波性を持つということです。つまり、高周波は高周波と通じ、低周波は低周波と合うということです。多次元空間をも含めた大宇宙空間には、仏の光のなかに伝達の意識を込めた念波というものが飛び交っています。しかし、この念波も、同波長のものしか通じ合わないのです。

(中略)

ここで考えなけれぱならないのは、人間の実体も光子体であり、仏の光の性質をそのまま内包しているということです。
第一のテーゼにより、愛、善、美、真といった、仏の光に親和性のある心の状態を保てば、幸福な人生が待っています。しかし、憎悪、怒り、嫉妬、猜疑心、愚痴、利己主義などの心の状態を保てば、仏の光を排斥し、やがては不幸を招来することとなるのです。

第二のテーゼにより、光明思想を持っていると、霊的に健全になるのはもちろんですが、肉体も健康です。逆に、心に悪想念を持っていると、それが病念をつくり、やがて、肉体的にも病気となって現われます。

第三のテーゼにより、心を高級霊と波長の合う性質に変えてゆくことによって、幸福がもたらされます。しかし、低級霊と同調すると、だんだんに不幸になってゆくことは明らかです。
(黄金の法 P25~31)

 

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